お通しがそのままのキャベツ
そもそも居酒屋のような店では野菜スティックや冷やしトマトなどそこそこ「切っただけ」といえる野菜はよく出てくるものだ。
もちろん、店側としてちゃんと手をかけている部分はあるだろうから単純にただ切って出しただけではないはずだし。実際おいしいので良いと思う。
だが、ある店の突き出しとして大胆に大きく切ったキャベツと味噌が出てきたときはさすがに驚かされた。
再現写真
キャベツがそのまま出てきた!
と、即座にそう思った。
スティック野菜や冷やしトマトはどこか完成された一品としての説得力があるように思うのだが、キャベツだと、どうだろう、ちょっと調理前のまだ未完成な感じがしないだろうか。
「自宅で家族に出したら突っ込みが入るかどうか」で比べると分かりやすいと思う。
食べてみるとちゃんとおいしいはおいしい。ぜんぜんありだ。
けれど、頭ではキャベツがそのまんま出てきてるなーという感慨は止まらない。
先ほどのつき出しほどダイレクトではないものの、私は店で生のキャベツのメニューを見るとどうしても「そのままでてきた!」と思ってしまいがちだ(コールスローや漬物はのぞく)。
今日はこれまで私が「そのままだ!」と感じた生のキャベツメニューがある店を3軒まわってみようと思う。
そのままのキャベツがうまいことで有名な牛角
まず乗り込んだのは牛角だ。
これ! おつまみメニューで人気の「やみつき塩キャベツ」。「醤キャベツ」という新作も出ていた
焼肉屋で「そのまま野菜」といえばチョレギサラダもそうなのだが、あまり「そのまま」が気にならない
生キャベツ界において牛角の「やみつき塩キャベツ」は間違いなくトップランナー的メニューだろう。
カットも荒々しく、良いそのままさ加減である
そのまま、しかも大きなどんぶりにもりもりにキャベツ
これ、とても美味しいのだ。
塩とごま油と、あとハッピーターン的な何か魔法が入っているのであろう美味しさ。
クックパッドなどでもこのメニューを再現しようというレシピがあって人気のようである。つまりこれはちゃんとした「料理」なのだ。生のままのそのままのキャベツではない。これなら自宅で出しても突っ込みは入らないだろう。
……。
しかしやっぱり、食べすすめるうちに胸に迫るのだ、キャベツのそのままさが。むしゃむしゃと食べていると自分がなにか草をはんでいるように思えてくる。
キャベツ、そのままだなー!っていう部分も出てきて気持ちもいよいよ高まる
醤キャベツ(左)のほうはタレが茶色いせいか若干料理度も高いか
「新登場」というふれこみの「醤キャベツ」のほうは生でもよし焼いてもよしということであった。
気づいたのだが、焼くと一気にそのまま感がなくなる。タレをかけたこと以上に焼くことで調理された、と頭が認識するのかもしれない。
焼いたら一気にホイコーローっぽくなった
ともあれ、数名でシェアする仕様で作られているおつまみメニューを一人で2品、どんぶり2杯分もむしゃむしゃ食べれば「わたし、馬?」と思ってしまうのも仕方がないといえば仕方がないか。
それにしても、野菜サラダだっていってみれば切ってドレッシングをかけただけなのである。
なぜキャベツだと「生のままのキャベツを、今、はんでる!」という意識が先走ってしまうのか。キャベツは火を通して食べることが多いから? だろうか。
天狗のキャベツもまた大胆
考えながらキャベツだけでおなかの半分まで満ちた状態で続いてやってきたのは居酒屋の天狗だ。
パリパリ塩キャベツ。メニュー上でもキャベツのそのままさが光る
キャベツをそのまま出す店は、肉との相性の良さか焼肉屋が多い(生キャベツが延々無料という焼肉屋も結構あるようだ)。
そこへきて天狗は居酒屋なのである。純粋なおつまみとして生のキャベツを投入してきている格好だ。
うん、これもまた良いそのままさを出している
そして皿がでかい
キャベツ1枚1枚もでかい
でかい皿にでかいキャベツが山盛りに。
大胆である。生でキャベツを出すという意味では良い仕事をしているとしかいえない。「そのまま」感が引き立つ。
それで味がまた美味しいのだ。塩とごま油がベースで牛角のものとほとんど同じものなのだが、天狗のほうは若干ジャンクよりの味のように感じた。
ビールに合うのだが、この写真のキャベツのインパクトの強さよ
牛角ではその量に、天狗では皿やちぎられたキャベツ1枚1枚の大きさにそのままのキャベツの迫力を感じざるをえなかった。
どちらでも、やはりキャベツが生そのままで出てきている! という一瞬の驚きは確実にある。
牛繁で意識改革なるか
最後に回ったのはまたまた焼肉チェーンから牛繁である。
ここの生キャベツは他の2軒とはちょっと違うので最後にとっておいた。
「おつまみ元気キャベツ」。価格もこれまでの2軒より100円上がった(そして今気づいたのだが隣の「味付ネギ」も気になる)
お! これは!
フライドオニオンとフライドガーリックの存在でかなりサラダっぽく感じるぞ。
そうか、生そのままの野菜を私の心の中でサラダにしているのはトッピングの有無というのが大きいのかもしれない。
味はいわゆるフレンチドレッシングを使ったサラダ的なものではなくちょっとあまじょっぱい。これまたおいしい。
生のまま! というよりも、これならサラダと見なせるか? と思いかけたのだが。
あ、そのまんまのキャベツ
トッピングの乗った上の部分を絶妙に先に食べつくしてしまうと突如キャベツが現れた。
そのままのキャベツだ!
こう思ってしまうともう最後なのだ。キャベツだね、うん生のキャベツだよねと思いながら完食、結局生のキャベツを見ると「キャベツがそのまま出てきた!」と思ってしまう反射神経は最後まで働き続けたのだった。
今回は最初から最後まで読者のみなさまとの合意なしで語りすすめてしまったが、みなさまにおかれましての生のキャベツ感というものはいかがなものでしょうか。
この日、財布をなくしました
実は生キャベツメニューを食べ歩いたこの日の朝、私は財布を路上に落として紛失していたのだ。
記事は生キャベツを食べ歩きながらおもしろおかしく財布をなくしたことについても書き含めてやろうかと思っていた。
しかし、書き始めると生キャベツのそのままさへの思いが炸裂し財布へ言及する隙なく最後まで書き進めてしまったのだった。
私の生キャベツへの戸惑いの思いの深さは財布の紛失以上であるらしい。