左がハトヤ、建物はさんだ右がニューハトヤ。鳩のマークが素敵。
御徒町スタートでまず向かうは、「ニューハトヤ」。ニューのついてない「ハトヤ」と「ニューハトヤ」と「ハトヤPart2」が並んでいる。それぞれ建物につけられた鳩のマークが超絶かわいい。
が、「ニューハトヤ」と「ハトヤPart2」は閉店セール中であった。
せっかく鳩がかわいいのになぜパンダか。あと、安すぎる。
創業60周年。閉店セール。「ニュー」のついているものは新しくない、を証明するにあたって、幸先よすぎるスタートである。
開放的な駅前のペデストリアンデッキ
から見渡せる、忘れられた路地に「ニュー」はある。
ホテルニューウエノ。
上野の「ニュー」は駅近くてそこそこ便利なビジネスホテル。看板に政府登録ホテルとある。政府登録ホテルってなんだ。調べていて出てきた「国土交通省関東運輸局
ホームページ」が「ホームページの時代」の産物だったのでちょっと感動した。
「ニュー」の法則:
「ニュー」のある路地は電線非地下化
駅に出ていた看板に「カリフォルニア調」とあった、鴬谷のビジネスホテル(たぶん)。中黒(・)が渋い。
鴬谷の一角はそこそこの歓楽街なので、鴬谷のホテルってつまりそういうことかと思ったが、駅から看板が出ていて安心した。もうひとつ「ニュー」のつくホテルがあったが、そっちはそういうホテルで、ぜんぜん古くなかった。今回載せないが、風俗店の「ニュー」も然りである。感慨深い。
「ニュー」の法則:
ラブホテル界の「ニュー」は現役の「ニュー」
チェーンのパチンコ店、「ニュートーキョー」の日暮里本店。
パチンコ業界の「ニュー」にも、哀愁はない。店舗はばりばり改装されているし、ギラギラしているし、元気いっぱいだ。
「ニュー」の法則:
パチンコ界の「ニュー」も現役の「ニュー」
しかし、2階の談話室が気になった。いいロゴ。
いいエスカレーター。
行ってみると、やっぱり哀愁ただよういい喫茶店だった。
メニューは独自系ファミレスという雰囲気で、価格おさえめだが定食がお重に入ってきたりしていい感じだった。
「ニュー」の法則:
「ニュー」はロゴがいい。
西日暮里より先、見つけられなかった駅もあるのでさくさくといく。
日暮里舎人ライナーのかっこいい橋脚
の陰に「ニュー」
パチンコ店。法則にしたがい、元気いっぱいである。
向かいの西友のほうがものすごい哀愁をとばしている。ここの西友はものすごくエスカレーターが遅いことで有名。
法則にしたがって、電線非地下化の路地に「サウナニュー大塚」
そして「コーポニュー大塚」
いいロゴ。
法則を3つも満たしている。まだ道半ばにしてなんだが、今回のベスト「ニュー」である。大塚駅には初めて降りたのだが、この周辺もとても雰囲気のある時代の店舗が現役の商店街を形成していて、素敵な街であった。
そういう街には、どんどん再開発計画がやってくるのが東京。
チェーンの居酒屋。勘亭流の「ニュー」もある。
法則にしたがういい路地。
雑居しすぎの雑居ビルである。
看板が出過ぎだが、「ニュー」は手書きふうのいいロゴ(探してください)
パチンコ店。やはり普通。
新宿の「ニュー」はパチンコ店と風俗系しかなさそうだったのであまり探さなかった。すっかりとばしたが池袋も同様であった。
代々木の「ニュー」は、まさかのおしゃれな美容院である。そんなの全然「ニュー」じゃない。
渋谷の居酒屋、「ニュー信州」は、渋谷川と、まもなく副都心線と直通してなくなる東横線の高架の横にある。
私以外にも、何人ものひとがカメラを向ける、メジャーでフォトジェニックな哀愁。
そして電線非地下化。まだ現役だが、「渋谷ビフォアアフター」の「ビフォア」感をひしひしと感じる一角。
ニューのなかでは最も堂々としたロゴ。あ!
ニューを呼んでる!
恵比寿の「ニュー」は、電線非地下化といえども有名なパンケーキの店などがあるオシャレな路地にあるのだが
もはや遠くからみても、どれが「ニュー」かわかる。
当然これだ。いい「ニュー」。いい「ハイツ」。
近くには「ニューセントラルサービス」「ニュードメイン」と、勇気ある社名の会社が2社も入った、「ニュー」を呼びすぎなビルもあった。
目黒
「NEW WORLD
CLEANING SERVICE」
これは、ちょっと迷うけど「ニュー」ではなく「NEW」だ。
五反田のニューは、前きたことのあるものすごく素敵な階段のあるビルに入っていた。(
参照)
しっかりしてる旧「だるま」の看板に比べて「ニューダルマ」のてきとうさはなんだろう。しかも全部カタカナにしたことでうっかりヨーロピアンだ。
試行錯誤のあとは伺える。
順々に再開発されていった大崎で、いちばん新しいのは
大崎Think Park(2007年)。ここは紛れもなく21世紀。
つぎに大崎ゲートシティ(1999年)。そこそこ貫禄ある雰囲気だが、平成。
そして、いちばん古いのが、「大崎ニューシティ」(1987年)。安心の昭和。
「OHSAKI NEW CITY」に重なって「New Otani」とあるのをみて、あ、ニューがニューを呼んでる!と思ったが、はたして「ニューオータニ」を「ニュー」扱いしていいものか。いいか。
ニューの法則:
「ニュー」のついてるやつがいちばん古い
「なかみ家」ってなんだろうと思っていたらモツの店だった。そのままだった。
デートスポット案内のホームページに「いつ行ってもひとがいなくてオススメ」と書かれていた、ニューピア竹芝。
伊豆大島行きのフェリーなどが出ているのだが、それ以外の時間は、たしかに誰もいない。
サウスタワーロビーに模型があった。全体像をみせるのに便利だな、と思って撮ったけど、模型がある時点で既に昭和ぽい。
21世紀とか言うから焦ったが、調べたら、ニューピア竹芝の完成は1991年である。10年もサバよんでる。
看板のニューが「NEW」になったり、新橋が「しんばし」になっちゃったりして心配したが
エスカレーターも安心の丸ボディ(ガラスが湾曲してるレトロなタイプ)だし
中の哀愁具合も変わらない。あの頃の混沌がそのままに。(
参考)
銀座の中央通りに面するデパートでありながら、独特の存在感を放ちまくるニューメルサ。
ここもまた、ニュー新橋ビル同様にいろいろ突っ込みどころの多い異空間なのだけど
1階の化粧品売り場がどーんと「チャレンジする化粧品」(いわゆる年齢化粧品)なあたりで、一般のデパートとの一線の画し具合がわかっていただけるかとおもう。
東京駅が新しくなり、再開発も一段落してすっかり「東京の顔」になっている丸の内側に対して、八重洲側の置いていかれっぷりに私はどんどん愛着を増していっている。そんな路地に、やっぱり、「ニュー」はある。
インペリアルってなんだろうとおもったら雀荘だった
おしゃれな入り口だけど見上げればこの哀愁。
地味になったがこれでゴールです。
「ニュー」のつく時代はバブルまで
山手線を一周して、パチンコ店やラブホテル、「NEW」などの例外はあったものの、「ニュー」のつくものはおおむね「バブルまで」ということがわかった。そしてどこもかしこも、やはり私の大好きなリアルな昭和の哀愁をまとっていた。今後も検証を深めていきたいので皆さんの投稿を募集したい。Twitterのハッシュタグ、「#ニューのつく時代」でお待ちしています。