北大近くの銭湯ってどこだ?
話の発端は以下のYahoo!知恵袋への投稿。
[参考]銭湯で入浴後に牛乳を飲むようになったのはいつからですか?――Yahoo!知恵袋
Yahoo!知恵袋には同様の質問がたくさんよせられていたが、この回答だけ具体的な答えで光っていた。
一体その銭湯はどこなのか。その銭湯でなくても古くからある銭湯をさがして、銭湯牛乳話を聞いてみたい。
当サイトデイリーポータルZの10周年展で札幌に来ていた私たちは、北大から一番近くにある千歳湯を訪ねた。あいにくこの日は定休日で、店の前で電話をして聞いた。
札幌に来た。千歳湯にはいい煙突が立っている
北大近くの銭湯とは
――北大近くの銭湯が牛乳を最初に置きはじめたって説があるんですが
「ちょっとわかりませんねえ。うちは昭和30年代からやってますけど、う~ん……そのときから牛乳はあったと思いますね」
――どこか古い銭湯ってこの辺りにないですか?
「もうみんなやめてるんですよね。そうねえ、昔でいえば、石狩街道の東二丁目に大黒湯というのがあって、そこは古かったですね。空知信金の向かいあたりにあったの」
古い銭湯がない。早くも手掛りを失ってしまった。警察に行って道案内がてら聞いてみようか。
なかなか年季入ってる銭湯は昭和30年代から
この電話、多分中のおばちゃんに通じている
なんだろうこのアンテナは
道中、けっこうな高さのアンテナが敷地内にあるクリーニング屋を見つけた。なんだろうこれは。スパイだろうか。気になる。
スパイかどうかという質問自体失礼にあたるが(スパイに失礼とかあるのか?という気もするが)、旅気分というのはおそろしいもので、ほんのちょっとだけスパイかどうか聞いてみようということになった。
旅の恥はかきすてというが、すてられるとこに住んでいる方はたまったものではない。
クリーニング屋にこの柱とアンテナ、なんなんだ
「すいませ~ん、スパイの方ですか?」
スパイじゃない、趣味だ
すいませ~ん、この高いのなんですか? アホを装って聞いてみたら、快く答えてくれた。
どうやらこれはパンザマストといってアマチュア無線用のアンテナらしい。スパイじゃない。趣味だ。アンテナの柱建てちゃうってすごいですね。
「いやいや、多いですよ。山の方に住んでる人なんてもっと高いのバンバン建ててますよ。本州の方がこういうの多いでしょ」
調べてみるとパンザマストとは組み立て式のタワーのことで、これは電力会社が使ってたものをもらってきて使ってるらしい。台風のときなんかはやっぱりちょびっと心配らしい。
へ~、どうもありがとうございます~。とお礼を言って店を出て気づいた。
ぶらぶらだこれは。私たちは今、なんてぶらぶらしているのだろう。
交番が近くになくて警察署に行った
警察署でさらに話はわからなくなり
警察の方も大黒湯があった場所は分からないらしい。空知信金の場所なら分かるからそこ行ってみれば?という話であった。
銭湯の牛乳の話も知らないし、銭湯自体大分少なくなっているよと聞く。
空知信金の近くには区役所もあるらしい。昔のことを調べるならそういうとこに聞くのはどうかと助言をもらった。
警察は親切。浮浪罪を拡大解釈すればこのぶらぶらだって逮捕できるだろうに、そうしてない時点ですでにえらいと私たちはおもっている。
お~、あるある、銭湯たくさんありますね
区役所にて
古い銭湯の場所を知りたいんですが……と札幌北区役所をたずねると“エピソード北区”という区の歴史が書かかれた小冊子を見せてくれた。ここに昭和46年の銭湯マップが載っているという。
[参考]銭湯全盛のころ昭和46年北区銭湯マップ――エピソード北区
すごい。銭湯だらけだ。しかし手元のグーグルマップで調べた銭湯の所在地と比べるとほとんどがもうない。“北大近くの”と考えると、先ほどの千歳湯くらいしか残っていなかった。
参った。手がかりがない。
昭和46年にはたくさん銭湯があって「風呂あがりの牛乳(25円)も銭湯の楽しみで」とある。
信金に聞きに行くも知らないから区役所に行けと。世間の風はぶらぶらにきびしい。
信金のむかいの店に聞いても知らないという
電話で情報を集めるか
一向に情報が集まらない。適当に入ったそば屋でも電話で情報を集める。
ある銭湯は「ちょっと待ってください、今くわしい者と替わりますので」とときめく展開に。代わったくわしい者は「なるほどなるほど、私、バイトなもんでよくわかりません」と。バイトかー。
また、とある銭湯は「うちはこの辺で一番古いよ、昭和30年くらいからやってるから」と言うので、その頃には牛乳があったんですか? と聞くとガチャンと切れたり。これは平日からぶらぶらしてるなと思われたのだろう。
いぜんとして情報は集まってない。
蕎麦の花を見ながら蕎麦を食べるのは、豚を見ながらとんかつ食べるようなものだろうか
この展開、一気に見つかるやつだ
「あのね、さっきから話を聞かせてもらっていたけどね」
ここで、後ろの席で一杯やっていたお父さんが口を開いた。
「古い銭湯探してるの? 私は昔っから銭湯が好きでね……」
来たぞこの展開、大きな波がくるにちがいない。
「さっきから話を聞かせてもらったけど、あそこは行ったのかい?」どこですか?「千歳湯ってのがあんだよ、あそこは古いよ」あ、行きましたそれ
電話で情報を集めるか
一杯やってたお父さんにはあそこは古いと断言する銭湯があった。
「あそこは古いよ、千歳湯だ」
がーん。し、知ってる。最初に行ったとこだ。そこ昭和3~40年代らしくて、もう少し古いところ探してるんですよ、と言ったらその後もあの銭湯はどうだ、あそこも古いぞ、とあげていってくれる。
その都度、それもう聞いた、それ知らない、と銭湯への電話がつづく。
ぶらぶらおじさんたちが集う店
古い銭湯はほとんどないらしい
何軒目かの富士乃湯さんとはけっこう長く話をした。
――北大の近くの古い銭湯ってご存知ないですか?
「もうみんなつぶれてしまいましたからね。銭湯はほとんど残ってないんですよ。(ネットで見た丸亀湯?)あそこももう更地になってますね。
ふつうのことをしていては、銭湯は生き残れませんから。スーパー銭湯にするとかね、あとはうちみたいに変わったことやるとか。マキを炊くようなふつうの銭湯は生き残っていけませんから」
いじわるな言い方だが、聞いてほしそうだなと思った。どうやって生き残っているのか聞きたい気もあるが、聞いてほしそうなこの空気の方が気になってしまう。
――(行くか)……ちなみにどういうことやってるんですか?
「それはね、うちはシャワーからも“つるつるのお湯”が出るんですよ。これが乾燥肌にいいっていうんでお客さんにも多く来ていただいていますね。アカっていうのは何か知ってます?あれは石けんカスなんですよ……(以降、つるつるのお湯のよさがつづく)」
――はあ、なるほど、つるつるのお湯が。
「もう1つ、うちは純石鹸を130円で売ってるんですがね。昔の石けんが今とちがうのはどこか知ってます? あのね、昔の石けんはね、ネズミが食べた。ところが今はネズミがね、食べないんです……(以降、ネズミも食べられる純石鹸のよさがつづく)」
よさよ。ああ、富士乃湯のよさよ。電話を切るころには頭の中が富士乃湯のよさで頭がいっぱいになっていた。
ちがう、そういうことじゃないんだ。また手詰まり。ちょっとちがう角度からいってみるか。
と、北海道の銭湯の組合(※)に電話してみたら、牛乳を置くのには保健所の許可がいるから保健所に聞いてみればどうかと教えていただいた。
そうか、保健所か。なるほど、保健所ね。電話をしていたらまた背後から声が聞こえた。
※北海道公衆浴場業生活衛生同業組合
「保健所に聞いてみるのもいいよな?」そしておっちゃんはいなくなった
札幌の保健所の方でもわからず
「あとはよ、保健所か牛乳屋に聞いてみるってのもいいんでないかい?」
保健所と話しているのを聞いたおっちゃんが自分のアイデアのように言い残して、会計を済ませて帰っていった。ああ、あの人はだめだ。私たち三人の中で無言のアイコンタクトが交わされた。
保健所の方の話では、届出があったとしても銭湯という形で届けているとは限らず、いつが最初だったかなんて昔のをさかのぼるのは不可能に近いという。
たしかに私たちのぶらぶらで札幌保健所の負担をふやしてはたいへんだ。
せめてみなさんに迷惑かけないようにこの“貧しくなる自由”を謳歌したいと思います。
保冷バッグを買っていけば東京に魚も持って帰れるんじゃない?
全国浴場組合
北海道の情報が集まらないので、せめて全国の情報はどうだろうと全国浴場組合に電話をして聞いてみた。
――銭湯の牛乳は北大に起源があるという話はありますか?
「聞いたことないですね。それに全国で事情がちがうので私どもではわからないんです」
――全国的にはいつ頃からなんでしょうか?
「私どもが分かるのは東京ですが、東京では昭和30年代に置かれはじめましたね。乳製品を置くには保健所の許可が必要なんですよ。そのときは明治乳業と一緒になっていろいろやったものですからね、未だに銭湯の牛乳は明治が多いんですよ」
なるほど、思い返してみれば銭湯の牛乳といえば明治のような気がする。それがどうしたと言われてみればそれまでだが、なんだかちょっぴり得した気分だ。
へえ~、これがスープカレーか~
専門家のお話も
銭湯の著作が多い“庶民文化探究家”の
町田忍さんにもお話をうかがった。
「北海道の銭湯で牛乳が売られたのと、それ以外の地域で売られたのとは事情が異なるとおもいます。
一般的に銭湯で牛乳が売られるようになったのは、単に“冷蔵庫” が普及したからです。きっかけは北海道のはなしとは関係がありません。
その時期は大体昭和30年代中ころから後半だとおもいます、わたしの近所の銭湯では昭和40年ころでした。
牛乳屋が新たな販路を開拓刷るために銭湯に営業をかけた結果です」
なるほど、これは全国浴場組合の話とも一致する。なぜ銭湯に牛乳が置いてあるのかは、冷蔵庫の普及と牛乳屋さんの営業努力が大きいと。
北大の学生さんが研究で使ってる牛乳がうまいから持ち込んだとか、そういう話もおもしろいが手堅い現実もなかなかにあじわい深い。
へえ~、北海道の茶碗蒸しって甘いんだな~
そして北海道の謎は?
記事を書く段階になってやっぱり札幌はどうなったんだと気になってしまい、また電話をしていたら、北海道浴場組合の方が札幌の銭湯博士こと
塚田敏信先生に話を聞いてくれた。
――北大の近くで牛乳を置きはじめたという話があるんですが
「う~ん、そういうこともあるかもしれないですね。一般的には北海道も昭和30年代になって牛乳を置きはじめました。お風呂屋さんはあたたかいですから、冷蔵ケースが普及してからなんですよね。
ただ、個人で宅配牛乳なんかをとってお客さんに出してたりなんかしてるかもしれませんけど……私もかなりのお風呂屋さんに聞いてきましたが、そういう話は聞いたことがないので。う~ん、あったかもしれないとしか言えないですね」
――牛乳以前は何が置いていたんですか?
「昭和20年代にラムネを置きはじめるところが出てきましたが、お金をとってというのはそこが最初じゃないでしょうか。
それ以前は例えば函館なんかだと朝湯会というものがあって、その当時は暖房なんてないですから火鉢があったんですよね。その火鉢にやかんを置いて、麦茶をあたためて出すなんてことはあったといいます」
――銭湯の牛乳って明治が多いんですか?
「東京だとそうかもしれませんが、北海道はばらばらですね。明治が一番早く撤退したくらいです。
昭和30年ころになって、明治、森永、雪印のいわば御三家がコーヒー牛乳なんかを出すんですよね。その後フルーツ牛乳。銭湯といえばこの辺の牛乳ですよね。雪印はそのあともパイン牛乳やチョコレート牛乳なんてのもだしてましたね。
牛乳のビンもその後一時三角パックになったりして、しかしこれが評判わるくてね、ビンに戻ったんです。そこで一昨年あたりに牛乳ビン革命が起きましてね」
――な、なんですか、牛乳ビン革命!?
「私は牛乳ビン革命と呼んでるんですが、ビンがうすくなって軽くなって、ふたもプラスチックになったんですよね。あとはビンに直接印刷をせずに印刷したビニールを巻くようになりましてね。牛乳ビンの存在感が急になくなったんです……」
――あ~、それぼくも昨日飲んで思いました。ところで先生、午前11時に公開される原稿なのでこの辺りですんません!(この時、午前9時半)
牛乳ビン革命がおこって、つるんとしたビンになった
北海道ならもしや
銭湯の牛乳は昭和30年代中頃、冷蔵庫ができたのと牛乳の会社ががんばったから、ということでいいだろうか。
余談だが、北区でいただいたエピソード北区は本当におもしろく、たとえばラーメンの起源についても書かれていたりする。
[参考]札幌の味、そのふる里をたずねて-竹家のラーメン――エピソード北区
wikipediaなどでは明治時代に横浜で中華そばが生まれ、ラーメンという呼称も中国語にもともと拉麺というものがあるとされている。
しかし北海道ではちがう。
大正時代に“異常に歯の長い”王さんがやってきて、日本人が「チャンそば」と呼ぶのに心を痛めて、できましたという快い響きの「ラー」をあてた「ラーメン」という言葉を考えたのだという。
独自だ。ここは独自なのだ。私たちの知っている真実とはちがうが、北海道ならそういうこともあるかもしれんと思わせるふところの広さよ。
北大の牛乳も、実際そういうことなのかもしれない。事実はちゃうよと言われても、それでもやっぱり北海道なら、と思わせる何かがある。
後半は電話取材ばかりだったのでふぬけた写真ばかりになりましたが、歯抜けはやりすぎでした。しかし言い訳にもなりませんが彼は本当に歯の治療中だったのです……なんの言い訳でしたっけ。