古いのあるな (※写真は閉店時)
古そうな床屋がある
「甲州街道沿いにものすごく古い床屋さんあるよね?」と知り合いから言われて行ってみるとたしかにある。
桜上水駅入り口交差点近くに変色した平屋が一軒。てっきり閉まってるものだと思ってたが、床屋のサインポールはゆっくりだが回っている。よかった、生きていた。
中を見るとおじいちゃんが一人。ものすごい哀愁が漂っている。今日はもしかしたら泣いてしまうかもしれない。
鈴木蘭々?
入店しにくい雰囲気
知らない古い店だからかなり入りにくい。窓に貼ってあるポスターがまた古い。
目についた写真の女性は床屋のサインポール柄の服を着ている。なんだこれは、床屋の妖精か。もしくは床屋の化身か。
そんな妖精が「さ、変わろ」と言う。赤がグレーに、青がターコイズに色あせて変色している。変わったのはあなただという思いを押し殺しながら黙って入店する。
古すぎてB29の音が聞こえてきた
――あの、へんなお願いなんですができるだけ昔の髪型にしたいんですよ
うん、うん、とおじいちゃん理容師はうなずいている。分かってるのか分かってないのか分からない。不安だったので念を押した。
――たとえばお父さんが理容師始められたときくらいの髪型でいいんですが……いつ頃から始められたんですか?
「そうだな、昭和20年に理容学校入ったもんな」
終戦の年だ。髪を切りにきたはずが「戦」の字。これにつくのが「終」でよかった。「開」だったらまちがいなく坊主刈りだった。
昔の髪型は3つだけ
「長さはどうする?長いの?短いの?」
どうしようか。希望は「昔の」以外に何もないんだけども、すいません、そもそもどういう髪型があるんですか?
「わたしらがはじめたころは長いのと短いのと、あと中間。それしかなかったね」
髪型がない。
昔の髪型には長い、短い、中間しかなかったのだ。それもサイズであって形は実質1つだ。うなぎ屋みたいなものか。寿司屋やうなぎ屋の松竹梅といった感覚で床屋というものがあったのかもしれない。
となると竹をたのんでしまう日本人気質。じゃあ中間でおねがいします。
ザギッザギッ、とどんどんハサミが入っていく
角刈りはどうなんだ
そしてハサミが入っていく。
ザギッザギッと髪に引っかかるようなハサミの感覚。これは原宿の美容院にはなかった感覚だ。腕はいいけど道具はあやしい、年季も入り過ぎるとプラスマイナスゼロになってくる。
――ところで髪型ってほんとになかったんですか?
「短いのは角刈りって名前がついて、その後スポーツ刈りになっちゃったけどな。独り身はみんな角刈りにして短くしちゃうな、世話なしだからな。洗うの世話なしだから」
角刈りとは“世話なし”である。今後角刈りを見かけたら「ああ、世話なしだ」と思うことにしよう。
ところで世話ってなんのことだろうと思ってたら洗髪だった。基本的にみんな油をつけてたそうなので、油のいらない角刈りは洗うときに楽だったのだろう。
店なのに強烈な実家感。くつろげる店とはこういうところを言うのではないか
床屋とビートルズ
「みんな油つけて寝かせてたけどな、毛伸ばしはじめたのはビートルズだな。あそこから流行ったんだ。それまでは髪の長い男は一人もいなかったよ」
その話なんとなく知ってたような気でいましたが、その前はほんとに長い人いなかったんですか?
「ビートルズ以外?いないいないいない」
そんなにいなかったのか。となると今僕らの髪が長いのもビートルズということなのか。
じいさんばあさんから見たらちょっと長い髪の男性には「お、ビートルズ以降」「ビートルズ以降が服着て歩いてるぜ」そんな思いがあるのかもしれない。
なんでこんなに学校の校内放送でかかるのかとか、ハッピ着て飛行機から降りてくる映像をなんでこんなに見かけないといけないのかとか、今やっとわかった。
ビートルズが残した業績ってぼくらの頭にくっついてるのだ。
大正時代からあった
昔からすると今なんてもう髪型がありすぎるでしょう?
「今は十人十色だね。年代によって好き好きがあるからねえ。昔はみんな同じだったけどね。あとは女性は戦後にパーマの薬が入ってきてコールドパーマが流行ったりね。慎太郎カット?あれはまあスポーツ刈りだな、ビートルズのあとじゃないかな」
さすがおじいさん理容師が言うだけあって、髪型の歴史話には説得力がある。そもそもこのお店は関東大震災のあと先代が作った店だそうで、今で87年続いているのだという。
古いとは思っていたが、大正なのか。モボが闊歩したりお札燃やして靴探したりしてるときにこの店ができたのだ。
大正時代からある店だった
83才の理容師
このお父さんの年は83才。「石原慎太郎さんと同じ年だねえ、やめなきゃよかったんだけど、ほら健康診断でいい結果出ちゃったもんだから。国会に出ようと思ったんだな」
健康診断はそのうち生き方を決める重要な要素となるぞ。古い床屋から教わることは多い。
――83までずっとこの辺にいるんですか?
「そうだな、ここ住んでるからな。さっきも今日一番に来たのは小学校の同級生が来たけどな。でももう何人も死んじゃったけどな。半分くらいは死んじゃったな」
――お父さんも床屋だったのに理容学校入ったんですか?
「それまではみんな親方に弟子入りしたんだけど理容学校が戦後できたんだよな。
理容学校入ったのは中学出てすぐだからな、遊び気分だな。みんな床屋のせがれでさ。同じような境遇のやつらで楽しかったよ。アルタの前にあった都電でもって通ってたんだ」
雑然とした店内
ギブミーチョコレート
――この辺は変わりないですか?
「目の前の甲州街道も16m道路だったからな。そこから30mになって、今は40mか。
京王線も桜上水が終点で2両だったのが今は10両。車庫も高幡不動にいったしな。
マッカーサーもここ通ったんだよ。最初にマッカーサーが来てたときなんか隠れてたんだ。そしたらもう、チョコレートだの、ガムだの、配ってくれるんだ。
みんな撃たれるかと思って隠れたんだけどな。大喜びだよ。出てって子供はみんなVサインなんかしてな。おごってくれるんだよ」
髪を切ってもらいながら昔の話をうとうと聞いていたがハッとした。ギブミーチョコレートだ。あの伝説のフジロック行ったんですか? みたいな感覚で、進駐軍にチョコもらったんですか? と思わず訊いてしまった。
それにしても進駐軍にVサインか。ビクトリーにはちがいないけども子供は無邪気だ。
ちょうどここをマッカーサーも通ったのだ
デジアナ
みんなヒゲを剃りに来ていた
髪は一段落して理容ならではのヒゲソリに。
「昔は今みたいに安全カミソリがなかったからみんなヒゲそりに来てたな」
静かな衝撃。ヒゲだけ剃りに床屋に来てた人が多かったらしい。昔はにぎやかだったのだろう。ところでこれだけ長くやってると、へんなお客さんとかいなかったのだろうか。
「酔っぱらいなんてのは一番困るんだよな。
昔酔っぱらいってのは多かったんだ。床屋でも開いてたら入ってきて、なんだかんだで因縁つけてくるんだよな」
そういえば昼から赤ら顔でふらふらしてるおっさんって本当にみなくなった。なんででしょうね。
「やっぱりそれでまぎらわせたんだな、苦労を。であとは借金してな、ツケにして飲んだんだ。
そんで酔って暴れてな、車なんか運転したり危なかったんだから」
人とのつながりがない、経済成長も見込めない……現代社会を語ると暗くなりがちであるが、過去をふりかえるとどうだろう。「酔っぱらいがいない」という輝かしい現在があらわになるじゃないか。
店内に溢れる実家感にひきつづき、これも年季入りすぎた床屋のもつ“癒し”の作用であろう。
DAIGOよ
シャンプーまでやるのか
ヒゲが終わったと思ったら洗髪まであった。これだけ盛り沢山だと4,000円くらいかかるのかもしれない。
鏡の下を引くとシャンプー台が現れた。ああ、こういうのあった気がする。なんだかなつかしいなと思ったら、体を前に倒すようにうながされる。
ああ、シャンプーうつぶせでやるのか。
鏡の前の台がパカっと開いて、シャンプー台に
いきつぎの音が聞こえる
仰向けになってはえぎわあたりに湯をかけられる感覚を思い出してほしい。今度はうつぶせになって後頭部にかけられる感覚。どうだろう。
そう、顔にかかるのである。
目をつむって洗髪を受け、時折息継ぎをプハーッと。プハッ、パハッ、と息もれの音がするうつぶせ洗髪、新しい。
もしくはめちゃくちゃ古臭い。
仰向けだとお湯は顔にかからないが
うつぶせは鼻を経由して落ちていく。なぜ今あおむけなのかハッキリと分かった
思ってたよりいいとこだった
最後は真っ青な油をつける。「それポマードですか?」と聞くと「それよりは柔らかいよ」と。不安だ。なんだかわからないものが青い。
髪型が整い、会計は2,200円。安い。時間にして80分近くである。あのお父さんの技術料どうなってるんだ。
いつまでも謎に包まれたままの年季入ってる床屋であるが、たしかな技術とあやしい道具とたっぷりの今昔話がついてくる。……けっこういいな、これ。
こうして人は七三分けになるのである
ビフォア。ボサボサおじさんと保育園の子供に言われていた。
この辺がものすごく昭和っぽい
こうして人はお父さんになる
物心ついたときから父親は七三分けだった。うちだけではなく友人の父もその辺に転がってるお父さんも七三分けだった。
一体どうやって人は七三分けになるのだろう。その答えはここにあった。
長い、短い、中間の中から短い(の中でも角刈り、スポーツ刈り)を選択しなかったもの、それが私たちのお父さんなのである。
子が生まれてもボサボサの髪でネットに記事を書いたりして父になった感覚なんてなかったが、ようやく今日きた気がする。
だってこれはどう言い逃れしようともお父さんである。毎日洗髪したが3日はあの青い油の匂いが残っていた。これもお父さんのそれだ。お父さんとは何か。その答えは床屋にあるのではないか。
「お父さんどうしたんですか、一人だけ時代がちがう……」子を迎えに行った保育園が騒然となった