その旅館を見た私の第一印象は「こ、これかぁ」という類のものであった。看板がなければ少し大き目の民家、あるいはアパートと思っていたかもしれない。
正直なところ、玄関の戸を開けるのに少し勇気が必要だった。
かなり年季の入ったたたずまいである
意を決して中に入ると、愛想の良い旦那さんが出迎えてくれた。私は靴を脱ぎつつ周囲を見渡す。
外観はなんともシンプルな感じの建物であったが、内装は意外にも水色を基調としたポップな色使いである。木造ならではの味もあり、なかなかかわいらしい建物だ。
古い建物ならではのあたたかさがある
色使いがポップでファンシー
受付を済ますと、旦那さんは私を部屋へ案内してくれた。客室は二階にあるようで、赤いカーペットの敷かれた階段を上る。
この階段、そして廊下もまた物凄く味があり、部屋に入った私は「これは良い旅館だぞ!」と大層感激した。
階段の柵、やや狭まる廊下が目を引く
旅館というかむしろ学校建築のような印象を受けた
そして二階の廊下、おぉ、これは面白い
特にこの二階の廊下が素晴らしい雰囲気である。それぞれの客室の入口に門が設けられているのだ。
客のパーソナルスペースを意識させる為だろうか、それとも単なる装飾だろうか、いずれにしろ、現代の旅館には無い発想だろう。
植物的な曲線を使った、アール・ヌーヴォーを思わせる意匠である
水色の内装に赤いカーペット、そしてこの客室を仕切る門。基本は和としながらも明らかに洋の華やかさを意識した、昭和というよりむしろ大正な雰囲気の建物である。
うん、大好きだ、こういうの。
客室に掲げられている番号札は和式(もちろん、四番は無い)
客室の居心地もなかなか良い
さりげなく置かれた備品がまた素敵なのだ
炭を入れる暖房器具だろうか、こういうのも置かれていた
ハンガーラックがまさかの衣桁(いこう、着物を掛ける伝統家具)
少々痛んでいるが、それもまた味だ
民族資料館に並んでいそうな調度品がさも当たり前のように並ぶ室内に、歴史の深みを感じる。
しかもただ古いだけではない、旅館らしい風格が感じられるのもまた良いのですよ。
この床の間とか、旅館らしい一面も
丁寧に作られた建物である事が分かる
個人的にはこの窓と手すりが好きだ
窓枠もレールも木製のこの窓。決してスムーズに開く窓ではないけれど、それを意識しながら慎重に開け、ようやく部屋に吹き込んでくる空気がまた良い。
効率的に寝るだけではない、「あそび」が感じられる旅館である。
ボーン、ボーンという音が聞こえたので階段を下りる
これまた古そうな振り子時計があった
水場も良い味を出してる
トイレの小便器が手動水洗なのもニクい
写真をパシャパシャ撮っていたら、ご主人が出てきたので少しお話を伺い、記事の掲載許可を頂いた。
どうやらこの建物、元は漁師さんを泊めていた番屋なのだそうだ。戦前までは北方領土で漁師をしていたそうだが、戦後に追い出されてしまったので根室に移住。直後にこの番屋を建て、その後旅館に改装したらしい。
元は番屋なので普通の旅館とはつくりがちょっと違う、というワケである。むしろそれがこの旅館の味であり、趣きであり、魅力なのだと思う。いやぁ、良い旅館に巡り合えた。
中村屋旅館
住所:根室市平内町2丁目27番地
電話:0153-23-3854
ドラマのロケにも使われたらしい
その歴史と独特な風情からか、過去にはドラマのロケにも使われたそうだ。昭和62年に放送された松本清張原作の「地方紙を買う女」である。私が泊まった部屋には俳優の露口茂さんも泊まったらしい。
近代的で立派な設備のホテルとか旅館も良いけれど、こういう味のある旅館に泊まるのも良いものですなぁ。ただ古い建物の宿命ゆえ、冬は物凄く寒いらしいです(お風呂は近代的で快適でした)。
昭和の当時にも、既に古い建物としてドラマロケに使われたんですな