特集 2012年10月23日

実は毎日「地獄の黙示録」

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居間が2階にある家では、階段を上がると目の前が廊下ではなくいきなりフロアになっていることが多い。我が家もそうだ。

しばらく住んでいるが、つねづね階段を上がって唐突に居間に登場する家族について思うところがあった。

なんだろう、この感覚は。悩んでそして

「あ、これ『地獄の黙示録』っぽいのか」

と気づいた。順を追って説明したい。
1979年東京生まれ、神奈川、埼玉育ち、東京在住。Web制作をしたり小さなバーで主に生ビールを出したりしていたが、流れ流れてデイリーポータルZの編集部員に。趣味はEDMとFX。(動画インタビュー)

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> 個人サイト まばたきをする体 Twitter @eatmorecakes

いきなり居間という唐突

狭い住宅事情を抱える都市部でのみの話かもしれないが、採光のために居間を2階にすえる設計の家は昭和の時代にくらべてずいぶん増えた。

1階が居間で2階が個室という旧来パターンの家にばかり慣れ親しんでいたため、最初2階に居間のある家をたずねたときはすごく新鮮だった。

明るくていいなと思ったと同時に感じたのは、階段を上がっていきなりが部屋! という唐突さへの驚きだった。
拙宅、居間へのアプローチ部分
拙宅、居間へのアプローチ部分
上の写真、右下に写っているのは食卓である。我が家は特に狭小ということもあって前置きなしに階段を上がればいきなり食卓にこんにちは、といった格好だ。

ここで食事を取っているあいだ誰かがのぼってくると、のっそりと人が浮上してくるように見える。
状態としてはほとんど落とし穴
状態としてはほとんど落とし穴

「ぬっ」

この居間への家族の登場の仕方、擬音で言うなら「ぬっ」意外のなにものでもない。重ね重ね唐突なのだ。

同様に2階が居間だという友人宅などに遊びに行くと、やはりかなりの高確率で我が家同様の「ぬっ」という味わいが楽しめる。

さて、以上を踏まえてタイトルである「地獄の黙示録」との関係性についてである。

下の写真を見てほしい。分かりやすい写真が撮れた。
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「ぬっ」といえば「地獄の黙示録」

何を言いたいかはお分かりいただけたのではないか。

「地獄の黙示録」の有名すぎるシーン、ウィラード大尉役のマーチン・シーンがドアーズの曲をBGMにジャングルの沼から顔を出すあれ(これ)っぽいのだ。

ちなみに通常我が家では階段を上がって左側が居間になっているため、そのまま上がってくると上の写真のようにいかにもな状態にはならない(顔が右脇から先にてくる)。
大人がふつうに上ってくるとこんな感じになる。急に現れる横顔はこれはこれでまた味わい深い
大人がふつうに上ってくるとこんな感じになる。急に現れる横顔はこれはこれでまた味わい深い
大人ではなく子どもが1段1段手をついて上がってくるとさきほどのような分かりやすく「地獄の黙示録」的な状態になるのだった。
ぬいぐるみでも
ぬいぐるみでも

不安ですが続けます

階段をのぼってまっすぐ先に居間がある家では我が家以上「地獄の黙示録」的なことになるはずだ。

勇ましく話してはいるが、大作を引き合いにだしてこんなにも分かりづらい話をしてしまい実際は本格的に不安である。

しかし「地獄の黙示録」みたいだ! と思っちゃったのでここは私と読者のみなさんと、気持ちをひとつにして先を続けたい。

居間じゃなくても階段さえあればいいのか

さてこの「地獄の黙示録」」的な状況、居間だからこその感覚ではある。

が、「ぬっ」と地上から顔が出るその感じだけであれば、居間への階段でなくとも普通の階段でも見ることができる。
というわけで、普通のビルの普通の非常階段にやってきた
というわけで、普通のビルの普通の非常階段にやってきた
分かりやすい写真を撮影するため、カメラは踊り場に置く。

同僚である当サイト編集部の石川に階段をのぼってもらって写真を撮ってみよう。
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うん、なんだかお日さまが昇ってきたみたいな連続写真になってしまったかな。この記事、「階段で日の出写真を撮ろう」というタイトルでもよかったかもしれない。

……いや違う! お日さまではないのだ。「地獄の黙示録」なのだ。もう一度、ちゃんと人間のあたまなのだと思って見てみよう。
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どうでしょうか、黙示録を感じていただけましたでしょうか。地獄の。焦りで倒置法になってしまった。

ただ単純に人がひとり階段をのぼってきただけの話なのであるが、なにかぬーっと下から湧き出る感じはくんでいただけたのではないか。

しかし被写体が笑顔なのは想定外だった。

実は毎日「地獄の黙示録」

階段をのぼる。多くの人が日々行っていることである。ここまでの話をまとめると、つまり人は毎日うっかり「地獄の黙示録」をやっているのだ。

ようやく本稿のタイトルのわけをご説明することができました。
さらなる「ぬっ」を求めて外へ出た
さらなる「ぬっ」を求めて外へ出た

エスカレーターの「湧いてる」感じ

見ようによっては地中から湧き出すような雰囲気を出す階段からの登場シーン。だが、ぬっと顔を出した本人には「ああ、いま自分ぬっと顔出してるなあ、『地獄の黙示録』だなあ」という気はまったくないだろう。

だって、階段をのぼっているだけだ。

階段は自分の足を使っているだけにしっかりとのぼっている実感がある。「ぬーっと湧き出している」とは感じない。

そこで、は、と気づいた。私は階段ではなくエスカレーターに乗っているときに「いま、ぬーっと湧き出しているなあ」となんとなく感じることがこれまでに度々あったのだ。
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暗いところから明るいところへ、ぬーっと
暗いところから明るいところへ、ぬーっと
機械のちからで自分の体を続く地面へ移動させてもらっている状態に違和感があり「ぬっと湧き出している」ように感じるというのは結構メジャーな体験なのではないか。

前に人が乗っているとあまり感じにくいが、一人で乗っていると前方にある段々の暗さが地面に近づくにつれ明るくなる様子を見ることができる。こんなときに「おお、湧いて出てるわ、自分」と思う。
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ぬっと湧いた!
ぬっと湧いた!
この感覚が私だけのものでないとしたら(今日の裏テーマは書き手と読者のみなさんとの心をひとつに、でお願いします)、階段やエスカレーターをのぼるとき、人ははたから見ても「ぬっ」としているし、実感でも「ぬっ」っとしているのだ。

いよいよ毎日が「地獄の黙示録」状態である。

さあ、超強引な自分にほれぼれしたところで街の黙示録(地獄の)ぶりも見てみよう。

ぜひジャングルの沼から出てきていると思ってみてください。
ぬっ
ぬっ
帽子がぬっ
帽子がぬっ
ぬっ
ぬっ
ぬっ
ぬっ
エスカレーターならではの横向きのぬっ
エスカレーターならではの横向きのぬっ

そのつもりで生きる

と、そんなふうに考えてたら普通の駅の階段を見ても
地中から人がわらわらあふれてるみたいに感じるようになってきた。

そもそも実際、階段を上がるってことは上へ湧き出しているようなことだ。
見方をちょっと変えただけなのだった。

なんだか病気みたいなまとめになってしまったが、そのつもりになれば人生いかようにも面白くなるんだな、とポジティブに終わろうと思います。
わらわら
わらわら
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