特集 2012年8月15日

ピレネー山脈を越えて西の果てへ(サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 後編)

72日かけて歩いた「サンティアゴ巡礼路」、今回はそのスペイン編です
72日かけて歩いた「サンティアゴ巡礼路」、今回はそのスペイン編です
スペイン北西部に位置する「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」。ローマ(バチカン)、エルサレムと共にキリスト教の三大聖地に数えられるサンティアゴは、中世よりヨーロッパ全土から巡礼者を集め、今もなお徒歩で彼の地を目指す人は数多い。

今年の4月から7月にかけて、そのサンティアゴ巡礼路を歩いてきた。フランス南東部の「ル・ピュイ・アン・ヴレ」から、フランスとスペインの国境にある「サン・ジャン・ピエ・ド・ポー」を経由してサンティアゴに至る、総距離約1600kmの長旅である。

先月にはそのうちの前半800km、フランス側のル・ピュイの道について「フランスの田舎を歩いた一ヶ月」という記事を書かせていただいた。今回はその後半部分、スペイン編である。
1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー)

前の記事:フランスの田舎を歩いた一ヶ月(サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 前編)

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今回はフランスとスペインの国境から

ル・ピュイからスタートした私のサンティアゴ巡礼は、「ル・ピュイの道」と呼ばれる巡礼路をひたすら歩き、32日目にしてようやくフランスとスペインの国境の町サン・ジャン・ピエ・ド・ポーに到着した。

サン・ジャンからは、ピレネー山脈を越えてスペイン北部の内陸を行く「フランス人の道」と呼ばれる巡礼路を歩く事になる。

より大きな地図で表示
今回の記事で歩く「フランス人の道」ルート図
サン・ジャンは町自体も魅力的なのだ
サン・ジャンは町自体も魅力的なのだ
さて、これは前回の記事の復習になるが、サンティアゴ巡礼の必須アイテムとして巡礼手帳(クレデンシャル)がある。泊まった宿や経由した町などでスタンプを押してもらう事で、いつ、どこを歩いたかの証明になるものだ。

私はここサン・ジャンでちょうど一冊目が全部埋まったので、新しい巡礼手帳を手に入れる必要があった(実はこの町でコンプリートするように、こっそり計算していたのだが、それは内緒の話だ)。
スタンプで埋まった一冊目の巡礼手帳
スタンプで埋まった一冊目の巡礼手帳
巡礼手帳はサン・ジャンの街中にある巡礼事務所で買う事ができる。この町から巡礼を始める人も、まずはこの巡礼事務所に行き、巡礼手帳や巡礼路の情報などを入手するのだ。
ここからスタートする巡礼者がまず訪れる巡礼事務所
ここからスタートする巡礼者がまず訪れる巡礼事務所
新しい巡礼手帳はシンプルでマス目が無い
新しい巡礼手帳はシンプルでマス目が無い

いきなりヤマ場のピレネー越え

さて、準備が整った所で出発である。まずはサン・ジャンからピレネー山脈を越え、スペインに入らなければならない。……って、いきなりピレネー越えとはまた随分なものである。

特にサン・ジャンから歩き出す人にとっては、最初の城を出たらいきなりラスボス、くらいのインパクトだろう。天気が悪い時には遭難者が出たりもするそうで、私も気を引き締めなければ。
ナポレオンも通ったというスペイン門を抜ける
ナポレオンも通ったというスペイン門を抜ける
あの山々の向こう側へ行くのだ
あの山々の向こう側へ行くのだ
なお、これまで歩いてきた「ル・ピュイの道」では、巡礼路を示す道標は赤白マークであった。しかしここからの「フランス人の道」では、黄色い矢印が巡礼路の道標となる。
黄色い矢印をたどって行く
黄色い矢印をたどって行く
赤白マークが併記されている箇所も多い
赤白マークが併記されている箇所も多い
この矢印は、分かれ道など迷いそうな場所に問答無用で記されており、赤白マークより迷いにくくて安心感がある。

……が、木の幹、家の壁、地面のアスファルト等、場所を選ばず闇雲に殴り書きしたような印象があり、お上品さでは赤白マークの方が上だろうか。フランスとスペイン、両国のイメージをそのまま表しているようでもある。

サン・ジャンの町を出てからは、緩やかに上るアスファルトの車道をひたすら歩く。ピレネー山脈という語感から険しい山道を想像していたものの、意外とそうでもなかった。
自転車で行く人も多い
自転車で行く人も多い
しかし、本当に人が多い道である
しかし、本当に人が多い道である
また、歩く人の多さにも驚かされた。サン・ジャンから巡礼者が増える事は覚悟していたものの、まさかここまで人が多いとは。行き交う言葉はフランス語ではなく英語が主である。

「ル・ピュイの道」では、巡礼者のほとんどがフランス人、次いでフランス語を話せるカナダ人、その他の欧米人が少々といった割合であった。日本人は稀で、32日間の行程で私が会った日本人はわずか二人である。

ところが、このピレネー越えだけで既に三人の日本人を見かけている。わずか1日で32日分の日本人を凌駕してしまったというワケだ。
基本的になだらかだが、露出している岩がダイナミック
基本的になだらかだが、露出している岩がダイナミック
そしてついに、スペインのナバラ州に入った
そしてついに、スペインのナバラ州に入った
ピレネーの道は半分を過ぎたくらいからようやく未舗装路となる。そこからさらに少し登った所がスペインとの国境だ。

峠を越えてからは後は下り坂。木々が生い茂る山道を下りていくと、程無くしてピレネー越えの宿泊地であるロンセスバージェスが見えてきた。
峠を越えたら後は下るのみ
峠を越えたら後は下るのみ
木々の向こうに見えるのが、ロンセスバージェス
木々の向こうに見えるのが、ロンセスバージェス

スペインの巡礼宿事情

ロンセスバージェスは町なのかと思いきや、そうではなく巨大な修道院とその付属施設から成る場所だった。どうやら、昔からサンティアゴ巡礼者を受け入れてきた施設らしい。

ここには巨大な巡礼宿があるので、ピレネーを越えた巡礼者のほとんどはここに泊まる事となる。
山の麓にポツンと存在するロンセスバージェスの修道院
山の麓にポツンと存在するロンセスバージェスの修道院
なお、スペインの巡礼路ではアルベルゲという巡礼宿を利用する。

アルベルゲの利用料金は公営で4~6ユーロ、私営で6~10ユーロと、フランスで利用していたジットの半額以下と格安だ。

ただし、ジットにはまだ民宿といった雰囲気があったものの、アルベルゲはその点違っていて、まさに巡礼者を収容する為の施設といった様相である。
寝台列車のようなロンセスバージェスのアルベルゲ
寝台列車のようなロンセスバージェスのアルベルゲ
大部屋に二段ベッドが並べられているのが一般的(噂によると三段ベッドの宿もあるらしい)
大部屋に二段ベッドが並べられているのが一般的(噂によると三段ベッドの宿もあるらしい)
このように、アルベルゲは大部屋に二段ベッドが基本である。その二段ベッドもガタガタな場合が多く、特に上段は下段の人が寝返りをうっただけでギシギシ揺れ、そのあまりの揺れっぷりに地震の夢を見て起きる事も多々あった。いや冗談ではなくホントに。

毛布は用意されていない所がほとんどで寝袋が必須である。毛布がある所もあるにはあるのだが、南京虫が潜んでいる可能性があるので、やはり寝袋を使った方が良い。私は一度南京虫にやられて腕中がブツブツになり、二週間痕が消えなかった。

自炊の為のキッチンは大抵付いているが、調理器具や食器がまったく用意されてない事もあり、何の為のキッチンだよ!と嘆きたくなる。
こういうシャワー、中学校のプール以来だ
こういうシャワー、中学校のプール以来だ
シャワーもアルベルゲによっては個室の扉が無く尻が丸見え、あるいは仕切りすらなく隣のおじさんと肩を並べて体を洗った事もあった(欧米は日本の銭湯のような他人に裸体を晒す文化が無いので、おじさんはかなり恥ずかしそうだった)。

いずれにしろ、まぁ、アルベルゲの設備にはあまり期待しない方が良いという事だ。
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ピレネーの麓は牧場と山続き

さて、ピレネー山脈を越えてからも、しばらくは山と牧場の道を行く。

とは言え、道はかなりしっかり整備されているので、歩くにさほど苦労はしない。さすがは大勢の人々が歩く道なだけある。
巡礼路の景色もなかなかだ
巡礼路の景色もなかなかだ
村の中を馬がダイナミックに疾走する
村の中を馬がダイナミックに疾走する
山道も踏み固められているので割と楽
山道も踏み固められているので割と楽

お次に待つのはローマ時代の石畳

二日ほどかけて山地帯を脱した後は、緩やかな丘が連続するエリアに入る。風に穂がさわさわ揺れる麦畑の道を行くと、その先には絵になる町が現れる。その繰り返しだ。

この「フランス人の道」は、ローマ帝国が整備した街道を元とするそうで、途中には古代ローマ時代の石畳や橋が残っていたりしてビックリする。
畑に白い道と町の家並みが映えますなぁ
畑に白い道と町の家並みが映えますなぁ
この付近に残る古代ローマの石畳
この付近に残る古代ローマの石畳
ローマ時代の橋は歯車みたいな面白い形
ローマ時代の橋は歯車みたいな面白い形
日本はまだ弥生時代だった頃の土木構造物が、今もなお現役で利用されているというのはやはり凄い。特に橋はその形が特徴的で気に入った。

この古代ローマ時代の橋は別格としても、サンティアゴ巡礼路には古くてカッコ良い橋がゴロゴロしていて楽しい。橋に差し掛かる度に足を止め、ついつい見入ってしまう。
中央がとんがっているのが中世の橋の特徴
中央がとんがっているのが中世の橋の特徴
古い橋がよく保たれているものである
古い橋がよく保たれているものである
どれもその場に調和し、独特の味がある
どれもその場に調和し、独特の味がある

どこまでも広がるブドウ畑と麦畑

さて、道に話を戻そう。「フランス人の道」序盤で通るリオハ州は、ワインの産地としても有名だ。

途中のアルベルゲで何度か一緒になったワイン通のキムさんが言うには、「リオハワイン is スパニッシュワイン」なのだそうだ。スペインを代表するワインの産地なのである。

確かにこの辺りでは、巡礼路沿いの風景もブドウ畑がかなり目立つ。
背の低い、ワイン用のブドウ畑だ
背の低い、ワイン用のブドウ畑だ
見渡す限りのブドウ畑
見渡す限りのブドウ畑
余分な葉をちぎる作業をしていた
余分な葉をちぎる作業をしていた
また、この辺りは麦畑も多い。緩やかに傾斜する丘を覆う麦穂の色は、神々しささえ感じさせる。歩いていてとても気持ちが良い。
どこまで続くの麦畑
どこまで続くの麦畑
ここに十字架を立てたくなる気持ち、分かる
ここに十字架を立てたくなる気持ち、分かる
そして大都市ブルゴスに到着
そして大都市ブルゴスに到着
スペインの巡礼路は数多くの大都市を経由する。「フランス人の道」序盤に限定しても、パンプローナ、ログローニョ、ブルゴスと大きな都市が三つもある。

いずれの町も、中心に到着する4kmくらい手前から町が続いているなど、ずっとフランスの田舎を歩いてきた身からすれば、ありえないくらいの大都会だ。
牛追い祭りで知られるパンプローナ
牛追い祭りで知られるパンプローナ
リオハ州の中心ログローニョ
リオハ州の中心ログローニョ
そして巨大な大聖堂が有名なブルゴス
そして巨大な大聖堂が有名なブルゴス
大都会は大きなスーパーが多く物価が安くてありがたいが、その分アルベルゲの場所が分かりにくくて困るし、あと町を出る時に道間違いを起こしやすい。

やはり個人的には、滞在するなら小ぢんまりと美しくまとまった町が好みである。
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果てしなく広がるメセタの台地

大都市ブルゴスからは中盤、メセタのエリアに突入する。

メセタとはスペイン中央部に広がる標高1000m前後の台地の事で、このエリアはまさに地平線の先まで歩く、これぞ巡礼路というべき光景を目にする事ができる。
台地上はどこまでも真っ平ら
台地上はどこまでも真っ平ら
町から町を一本の道が繋ぐ、道の基本型ともいえる道だ
町から町を一本の道が繋ぐ、道の基本型ともいえる道だ
各町のたたずまいも良いカンジ
各町のたたずまいも良いカンジ
どこを取っても絵になるメセタは、まさに「フランス人の道」最大の景勝区間である。途中で泊まったアルベルゲのおかみさんは、メセタはスペインで最も美しいエリアだと言っていた。

うん、確かに素晴らしい道である。……が、その路上には木などが無く、太陽の光を遮るものが一切皆無。おまけに次の町へ到着するのに二時間以上かかるという過酷な道でもある。
暑いと聞いていたが、むしろ風が冷たくて寒かった
暑いと聞いていたが、むしろ風が冷たくて寒かった
幸いにも私が歩いていた時期のスペインは異常に涼しかったらしく、参ってしまうような暑い日はさほど多くなかったが(むしろフランス中盤の方が暑かった)、普段は灼熱の太陽が容赦なく照りつける、大変な道らしい。

まぁ、その景観や過酷さも含め、ここを歩かずしてサンティアゴ巡礼は語れない、そんな区間である事は間違いない。

教会の廃墟に泊まる

メセタの途中には、サン・アントンという教会の廃墟があった。古くよりサンティアゴ巡礼者を受け入れてきた修道院らしいが、フランスとの戦争の際に破壊されてしまったのだそうだ。

この教会の廃墟に差し掛かった際、少し前に知り合ったイタリア人のアントニオが「ここに泊まる事ができるんだ」と教えてくれた。へー、廃墟に泊まる事ができるとは、なかなか面白いではないか。
巡礼路は廃墟教会のアーチをくぐって先へと続く
巡礼路は廃墟教会のアーチをくぐって先へと続く
見事に破壊されているが、その一角に小屋が
見事に破壊されているが、その一角に小屋が
おぉ、ちゃんとしたアルベルゲじゃないか
おぉ、ちゃんとしたアルベルゲじゃないか
なかなかそそるアルベルゲだったので、この日はここに泊まる事とした。宿泊者はイタリア人のアントニオとフランス人のビジャネ、ドイツ人のジョシュア、そして私の四人である。かなり特殊な宿だけに、皆、なんていうか、物好きそうなメンツであった。

シャワーはお湯でなく冷たい水なので、浴びるのにかなり気合が必要である。私と入れ違いにシャワー室に入ったアントニオもまた、「アー!」「オー!」と絶叫しながら浴びていた。
しかし、凄い所だ
しかし、凄い所だ
夕食作りを皆で手伝う
夕食作りを皆で手伝う
この廃墟アルベルゲでは、なんと夕食も出して頂いた。神父さんであるご主人がメインの調理を担い、宿泊者はそれをサポートする。……と言っても私は出遅れてしまい、結局何もする事が無く(ナイフが二本しかないのだ)、椅子に座って眺めていただけであるが。

食後に皿洗いをしようと思っていたのだが、それも調理に参加していなかったジョシュアがあっという間に片付けてしまった。いやはや、お恥ずかしい話である。

ちなみにこの廃墟アルベルゲは宿泊料が設定されておらず、全て寄付で賄われている。ベッドのみならず夕食まで頂いたので(しかも働く事もできなかったので)、それ相応の金額を包んでおいた。

メセタは続くよどこまでも

さて、引き続きメセタである。相変わらずの真っ平らな台地をひたすら歩く。

私は全く飽きる事無く歩く事ができたが、後に会ったご年配の日本人男性は、どこまでも変化の無いこの光景に少々嫌気が差し、もう帰ろうかと思ったという。

確かに、水平線の彼方まで続く道を見ていると、どこまで歩けば良いのやら、という感じはする。
どこがゴールなのか、どこまで歩けば良いのか
どこがゴールなのか、どこまで歩けば良いのか
空の青さがハンパ無い
空の青さがハンパ無い
途中の村では羊がもうもうと砂煙を立てていた
途中の村では羊がもうもうと砂煙を立てていた
おびただしい数の道標が立ち並ぶ巡礼路
おびただしい数の道標が立ち並ぶ巡礼路
途中からは車道沿いの道になったものの、巡礼路やその周囲にはなかなか興味深いものが多く楽しませてくれる。例えば、無駄にたくさんの道標が立っていたり、麦畑の中にポツンと古びた十字架が傾いて立っていたり。

そのような中、途中の村で気になるものを見かけた。こんもり盛られた土山の下部に、入口らしきものがぽっかり口を開けているのである。何だろう、これは。
とある村の入口にあった奇妙な盛土
とある村の入口にあった奇妙な盛土
……何だろう、これは
……何だろう、これは
最初は墓かなと思った(古墳っぽいし)。しかし、盛土の上には空気穴か煙突らしき筒が立っている。墓ならばそんなものは必要ないだろう。

次に、倉庫かなと思った。倉庫なら採光や空気穴の為に筒が立っていてもおかしくないような気がするし……たぶん。

結局、これが何であるのか分かったのはもう少し先。メセタの出口にあたるレオンという町の手前にまで来た時だ。
あ、もしかして、家ですか?
あ、もしかして、家ですか?
これまで見たような小さいものではなく、立派な入口を備えている。それはどう見ても家であった。煙突も複数付いており、屋根の一部はコンクリートで補強もされている。

これにはかなり驚かされた。この地方独自の住居形態なのだろうか。確かに地下は涼しいだろうし、日差しの強いメセタにはピッタリなのかもしれないが。
レオンの少し先には盛土住宅の団地もあった
レオンの少し先には盛土住宅の団地もあった
しかし、面白いものである。かつてレオン王国の首都であったレオンの町は、この巡礼路上で一、二を争う規模の都市である。町はずれとは言え、周囲には普通の家屋も密集する住宅地なのだ。そのような場所に、さも当たり前のように盛土住宅があるのである。

このような住居形態が現役で残っている。しかも大都会のすぐ側で。これには大層感動した。
というワケでレオンの町に到着
というワケでレオンの町に到着
ここから、いよいよ終盤である
ここから、いよいよ終盤である
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橋と馬とガウディ建築

メセタは巡礼路の風景が最大の見どころであったが、メセタを抜けレオンを越えてからは市街地や車道沿いが多くなり道の風景は少々単調になる。

しかしながら、その途中の町には興味深い建築物が多く、歩くモチベーションが落ちる事は無い。
このような車道沿いが多くなる
このような車道沿いが多くなる
オルビゴという村には物凄い長い橋が
オルビゴという村には物凄い長い橋が
ワケが分からない程に長い
ワケが分からない程に長い
前述の通り、サンティアゴ巡礼路には数多くの古くてカッコ良い橋が架かっている。しかしこのオスピタル・デ・オルビゴに架かる橋は、この通り絶大なインパクトだ。

またこの橋の袂では、馬を引き連れた巡礼者を見かけた。馬に乗るのではなく荷物を載せて、引いて歩いているのだ。
最初に見かけた時は巡礼路の木に繋がれていた
最初に見かけた時は巡礼路の木に繋がれていた
馬を引き連れて歩く巡礼者
馬を引き連れて歩く巡礼者
陸橋を越える姿はなんともシュールだ
陸橋を越える姿はなんともシュールだ
普通に乗る事もあるらしい
普通に乗る事もあるらしい
巡礼路上では引いて歩いていたのに、町に入ったらなぜか荷物を下ろして普通に乗り、どこかへカッパカッパ走って行ってしまった。

馬に食べさせる草場でも探しに行ったのだろうか。イマイチ彼らが馬に乗るタイミングが分からない。
馬と一緒にアストルガに到着
馬と一緒にアストルガに到着
このアストルガは、アントニオ・ガウディの作品がある事で知られる町だ。カテドラルに隣接する司教館がそれである。

司教館という文字通り、元は司教が住む館として建てられたものだが、あまりにもデザインが斬新だった為に司教が嫌がったそうだ。怒ったガウディは建設を途中で投げ出し、のちに別の建築家が完成させたのだという。
雲のせいで魔王の城みたいだが、左の建物が司教館
雲のせいで魔王の城みたいだが、左の建物が司教館
ちなみに、前述のレオンにもガウディの作品がある
ちなみに、前述のレオンにもガウディの作品がある
アストルガの司教館の他、レオンにあるカサ・デ・ボティネスもまたガウディの作品である。

しかしこちらは現在銀行の所有であり、中に入った途端に警備員が飛んできてつまみ出されてしまった。関係者以外立ち入り禁止なら、入口に書いておいてほしいものである。

最後の難関、二つの峠越え

さぁ、巡礼もいよいよ大詰めである。ここからはアンタナス峠とセブレイロ峠という二つの峠を越えて、サンティアゴのあるガリシア州に入る。「フランス人の道」最後の難関だ。
というワケで山へと向かう
というワケで山へと向かう
そしてえっちらほっちら山を登る
そしてえっちらほっちら山を登る
小石の山の上に「鉄の十字架」がそびえ立つ
小石の山の上に「鉄の十字架」がそびえ立つ
アンタナス峠に至るその一つ手前の峠には、「鉄の十字架」と呼ばれる十字架が石山の上に立っている。

この十字架が立つ石山は、巡礼者が旅の無事を祈願して置いた小石が積み上がったものだ。今でもここを訪れる巡礼者の多くが、メッセージを書いた石を山の上に置いていた。

なお、「鉄の十字架」とはいうものの、その支柱は木製である。
鉄の十字架の先にあるマンハリンという廃村
鉄の十字架の先にあるマンハリンという廃村
ここには一軒だけアルベルゲがある
ここには一軒だけアルベルゲがある
崩れ落ちた石積が散乱するマンハリンは、まるで遺跡のようなたたずまいを見せる廃村である。その中に一軒だけ存在するアルベルゲは、一人のおじいさんとその支援者が守っている最後の砦だ。

ここのおじいさんは巡礼者がアルベルゲの前を通る度にカランカランと鐘を鳴らし、道中の安全を祈願してくれる。
峠を越えて急な坂を下りていく
峠を越えて急な坂を下りていく
盆地にあるポンフェラーダという町を越え再び山へ
盆地にあるポンフェラーダという町を越え再び山へ
この辺りのビエルゾもワインの産地として有名だ
この辺りのビエルゾもワインの産地として有名だ

まさかまさかの足捻挫

セブレイロ峠を目指し、ビジャフランカという山間の町にまで来た時だ。ビエルゾワインをかっくらって、さらにビールをしこたま飲んで、非常に良い気分で寝ようとしたその際、宿の階段を踏み外して転倒。左足首を捻挫してしまった。

かなり痛んだが、まぁ明日になれば治っているだろうとそのままベッドに倒れ込むように寝たのだが、翌朝起きてみるとくるぶしからつま先まで紫色に腫れ上がっていた。立ち上がると激痛が走り、何かに手をつかないと歩けない状態である。

ここまで来てこんな事になってしまうとは。我ながら情けない話である。
杖を突いて足を引きずりながら歩いた
杖を突いて足を引きずりながら歩いた
正直、一時はもうダメかと考えたものの、ここまで来てリタイアするのも癪なので、行けるところまで行こうと思った。宿で売っていた2ユーロの杖(というか棒切れ)を買い、それを突きながら何とか進む。

あんまりな形相で歩いていたのだろう、心配してくれた巡礼者から痛み止めを貰い、それでだましだまし歩いていった。
山道は本当にしんどかった
山道は本当にしんどかった
なんとかセブレイロ峠の村まで来る事ができた
なんとかセブレイロ峠の村まで来る事ができた
セブレイロ峠への山道に入る途中の村には薬局があった。私は足の症状を見せ、出してくれたイブプロフェンの錠剤と塗り薬を購入した。

その日の宿で一緒になった日本人ご夫婦からは内出血を起こしていると言われ、リタイアを勧められたりもした。しかし、私はあえて進もうと考えていた。

昔はバスや鉄道など無かった。道中でケガをした巡礼者は、その地で療養するか、のたれ死ぬか、痛みをおして進むか、この三つの選択肢しかなかったはずだ。飛行機の日が決まっているので療養はできないし、死ぬのは嫌だ。ならば採るべき道は一つである。
杖で速度を殺しながら山道を下りる
杖で速度を殺しながら山道を下りる
トラクターに道を阻まれる事も
トラクターに道を阻まれる事も
セブレイロの宿で受付を待つ列に並んでいると、私の足首を見て驚いたスペイン人の青年が待ち順を飛ばしてくれるように掛け合ってくれた。

さらに荷物をベッドまで運んでくれたり、医者を呼ぼうかと提案してくれたりと、色々世話をしてくれて大変ありがたかった。

スペインの人は情熱的で少々賑やかすぎる所があるが、その分、こういう時には親身になってくれるのだ。私のスペイン人観がひっくり返った瞬間である。
山の中の巨大な修道院を眺めながら行く
山の中の巨大な修道院を眺めながら行く
やっとサリアに着いた
やっとサリアに着いた
サリアはサンティアゴまで残り111kmの地点にある町である。ここからサンティアゴまでは、木々が生い茂る穏やかな丘陵地帯を行く。

なお、サンティアゴまで徒歩で100km以上歩いた人には巡礼証明書というものが発行される。故に、その条件をギリギリで満たす位置にあるサリアからは、巡礼者がぐっと増えるのだ。

これまでも巡礼者は多かったし、まぁ、増えるといってもそれほどではないだろうと思っていたが、それは甘い考えだった。
が、学校行事の集団が……
が、学校行事の集団が……
巡礼路を歩いていると、ふと背後からざわめき声が近付いてきた。何事かと振り返ってみると、そこには大勢の高校生が。

足が痛むので早く歩けないし、とりあえず先に行って貰おうと道を寄ったのだが、待てど待てどその列は途切れない。まるで大名行列のごとく終わりが見えないのである。結局、その集団行軍の通過を待つのにたっぷり15分かかった。
歩きやすい道だし、人が多いのも頷ける話ではある
歩きやすい道だし、人が多いのも頷ける話ではある

ついに到着、サンティアゴ

サリアから丘陵地帯をひたすら歩くこと四日目の昼、私はモンテ・ド・ゴゾに辿り着いた。

モンテ・ド・ゴゾは「歓喜の丘」という意味である。サンティアゴを目指して歩いてきた巡礼者が、ここで初めてサンティアゴのカテドラルを目にし、歓声を上げる事から着いた名だ。
モンテ・ド・ゴゾのモニュメント
モンテ・ド・ゴゾのモニュメント
ついに来た、サンティアゴ・デ・コンポステーラ!
ついに来た、サンティアゴ・デ・コンポステーラ!
モンテ・ド・ゴゾから坂を一気に下る
モンテ・ド・ゴゾから坂を一気に下る
そうして、サンティアゴのカテドラルに到着
そうして、サンティアゴのカテドラルに到着
いやぁ、長かった!
いやぁ、長かった!
フランスのル・ピュイを出て72日目、ようやく私はサンティアゴ・デ・コンポステーラに到着した。いやはや、感無量である。

足の痛みはまだ残っているものの、脹れはある程度に引いており、なんとか杖無しでも歩けるくらいには回復していた。ホント、リタイアしないで良かった。足が持ってくれて良かった。
到着したその足で巡礼事務所へ
到着したその足で巡礼事務所へ
頂きました、巡礼証明書
頂きました、巡礼証明書
サンティアゴに到着した翌日、私は正午のミサに参列した。このミサはここまでたどり着いた巡礼者を祝福するもので、巡礼者一人一人の国名と出発地点が読み上げられるのだ。

またそのミサの最後には、大香炉を振り回す儀式も行われた。
この大香炉の儀式は毎日見られるというワケでは無く、特別な式典や大きな寄付があった際にのみ執り行われるそうだ。私は本当に運が良かった。

そして、私はこの儀式を見る為に、ここまで遥々1600km、歩いてきたのだと思った。

若者にこそ行って頂きたいサンティアゴ巡礼

こうして私のサンティアゴ巡礼は終わった。この72日間は本当に色々な事があった。ありすぎて語り切れないくらいである。色々な場所を見て、色々な国の人と話し、大変良い経験になったと思う。

一つ気になったのは、スペインの「フランス人の道」では若い日本人に一人も会わなかった事だ。欧米人や韓国人などは若い人も多いのに、日本人で歩いているのは定年されたご年配の方々のみなのである。

マジメな話、若いうちにこのような体験をしておくと視野が広がるのではないかと思う。一ヶ月以上の休暇は社会人にとって現実的ではないけれど、学生ならまだ間に合う。大学生諸君、今からバイトでお金を貯めて、春休みにサンティアゴ巡礼とか、いかが?
フランスで別れた切り、一度も会わなかったジョンさん夫妻とサンティアゴでまさかの再会。巡礼ではこのような奇跡がよく起こるらしい
フランスで別れた切り、一度も会わなかったジョンさん夫妻とサンティアゴでまさかの再会。巡礼ではこのような奇跡がよく起こるらしい

フランス編、スペイン編の二回に分けて書かせていただきましたサンティアゴ巡礼ですが、その道中は本当に様々な体験をする事ができました。記事に書いたのは特に印象に残った部分のみで、他にも書きたい事はまだまだあります。

そこで現在、著者の個人サイト「閑古鳥旅行社」にて、サンティアゴ巡礼の旅行記を書いています。一日単位で、できるだけ詳しく書く事を心掛けていますので、ご興味のある方はご覧いただければ幸いです。
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