升で埋め尽くされた店がある
升といえば祝いの席で酒樽と一緒に置いてあるといったおめでたいイメージがあるが、普段使いすることはない。もともと計量器なんですねアレ。
今回紹介する升専門会社は「大橋量器」という。早速、本社兼工場のある岐阜県大垣市に向かった。
こちらが本社
店!店がある!こちらの大橋量器さん、製造した升を販売する「ますや」という店を併設しているのだ。
店内に入ってみると 、木のいい香りがすると共に目に入る一面の升。升に囲まれた空間がそこにあった。そしてそこには、普通の升だけでなく変わり種の升や、升を使ったアイデア商品もあった。その紹介は後ほど。
店を一周するだけでおそらく一生分の升に触れ合える
そして今回お話を伺うのは、大橋博行さん。祖母が起業したここ大橋量器の三代目社長だ。
自社の升を手に笑顔の大橋さん
1993年に会社を継ぎ、もうすぐ20年となる大橋さん。まずは升の製造・販売というお仕事について話を聞こう。
――升という商品を、どのような形で商売として成り立たせているのですか。
「もともと計量器だった升が、イメージが合うということで大手の酒造メーカーがお祝いの席に酒樽と一緒に升を置いてPRしたところ、人々の升に対するイメージが計量器というよりお酒を飲むものとして定着したんですね。
大手のメーカーが作ったシステムに乗っかって、商売をしているという形ですね。酒造メーカーからの注文がやはり多いです」
――確かに、祝いの席というイメージの定着はありますね。
「ただ近年、祝いの席というもの自体の需要が下がってきているので、昔に比べてメーカーからの注文が減っていることを受けて、升を利用した商品も販売しています」
こうして生み出されたのが、升をグッズやインテリアとして利用した「ますや」にあるような商品だ。例えば、五角形の升。エッ?と思うかもしれないが実物を見てもらおう。
そうです。受験生大好きゲン担ぎです。
五角とごうかくを掛けているのだ。お世辞にもこの形状の升は飲料用の器としては無理がありそうだが、勉強机の一角にちょこんと置いてある光景を想像すると、妙にしっくりきませんか?
作った商品は、新商品が一堂に会する展示会に出品する。そこで百貨店やインテリアショップのバイヤーに気に入られると、その店で販売してもらえるそうだ。
升は日本古来からあるものということで注目も高く、ニューヨークの展示会に出品したこともあるらしい。MASUとして世界的に認知される日が来るかもしれない。
レーザープリントで升を自由にデザインするハイテクサービスも。
升を利用した新商品の販売は、三代目の大橋博行さんが考えたものである。三代目社長の革新だ!この革新に至るまでの経緯を伺った。
突然の宣告
僕の親は普通の公務員なので仕事を継ぐなんて話をしたことがないが(むしろ継げるなら継ぎたいくらいだ)、升の会社を起業した初代の孫として生まれた大橋さん。常日頃から家業を継ぐことを言われていたのだろうか。
大橋さんは長男なので、幼少期は順当にいけば会社を継ぐと思っていた。
――幼少期から家業を継ぐことを言われていましたか。
「直接は言われなかったですね。言葉の節々に自分が継ぐと思われているような所が見られましたが。はじめて面と向かって継ぐことを言われたのは、結婚すると親に報告した時でした。」
――それはいつくらいですか。
「28か29の時ですね。当時僕はコンピュータ会社に就職して6年経ち、家業を継ぐことをほとんど考えなくなっていたので、まさに突然の宣告でした」
最先端のコンピュータ会社から、一気に日本の伝統工芸品である升の製造会社である。聞いた方も驚きのジョブチェンジだ。
併設の工場の2階には、材料の木材がたくさん
日本二周して売上を取り戻す
――三代目となって、まず何をしましたか。
「最初の一年間は、ひたすら現場の機械の操作や作業を全てやったんですね。父からは徹底的にコスト意識の考え方を持たされました。
ですが、中学時代父に聞いた会社の売上が1億だったんですが、最初の一年間の売上が5000万円台だったんです」
――約半分ですね…。
「これはまずい、ピンチだ!と思って、各地のショップに売り込む営業を始めたんです。日本一周して、二周目に入るほど駆けまわりました」
売上の減少の原因はやはり、前に書いた祝いの席自体の需要減が大きいそうだ。
褒められ屋敷でもあった鏡割りの光景、ありがちに思えるが今では貴重なのかもしれない。
溝をつける機械。これで板をカットして
矩形の溝をつける。この部品を4つ組み合わせると升になる。
――最初は大変だったんですね。
「親父(先代)ともよくぶつかりました。親父はとにかく大量生産でコストを安くする方針だったので、品質重視の商品を作ろうとした僕と意見が合わなかったんですね」
――確かに、真逆のやりかたです。
「この『ますや』という店を作ることも反対だったんです。でも、当時の僕は絶対にお店が必要だ!と衝動的に作ってしまった(笑)」
2005年に衝動的に始めたこの店も、「升の新たな可能性が面白い!」と多くの取材がやってきたそうだ。確かにこんな所狭しと升が並ぶお店、注目を集めないわけがない。
配置を整える大橋さん。上にあるハート型の升、升であることを知らなければ弁当箱と思われるだろう。
初代から引き継いだもの
家族で引き継いでいる会社には、初代が作った「絶対に守るべき家訓」や「一切変えてはならない秘伝の製法」が存在するイメージがある。実際そういったものはあるのだろうか。
「家訓としては、特に初代から残っていることはないですね。ただ、製造技術は、初代から変わっていません。製造技術や機械に関しては、初代・先代が確立したものを自分はただ使わせてもらっているだけ、という考え方です。
その点、どのように売り出すかを考えています。日本酒を飲む以外の世界に升が行く事ができるかどうか、可能性を常に模索しています。」
大橋さんが行なっている革新は、升の可能性の模索。千年以上の歴史を持つも売上が落ちてきた升に新たな役目を与えてやる…究極の再生職人だ。
升を組む行程も機械で可能である。この機械に板をセットすると
組み上がった升がニュッっと上に出てくる!
三代目は「若大将!」と呼ばれる?
――三代目だから楽だった点はありますか。
「やはり、設備や製造技術があるということが一番ですね。一から揃える必要がないですから。取引先も先代までの所から引き続きお世話になることが出来たのも大きかったです」
社長が息子に代替わりすると取引先から「よ!若大将!」など景気のいい声をかけられる、という勝手なイメージが僕の中にあったので、実際の取引での様子はどうだったのかも聞いてみた。
「高いシェアを持つ下請けの会社だったりしたら、そうもてはやされたりするかもしれないですが、うちはあくまで酒造メーカーの多くの取引先の一つですからね。別段声をかけられることはなかったです。『担当が変わったんだ』程度の認識かもしれません」
イメージとは違い、なかなか世知辛いものである。
升が大量に積まれる光景はなかなか壮観
――逆に、三代目だから苦労したことはありますか。
「三代それぞれに苦労していることはあると思いますよ。初代には立ち上げて製造技術を確立する苦労がありましたし、親父(先代)には売れる苦労があった。とにかく親父の時代はお祝いとしての升がよく使われていましたからね。だからこそ効率重視の考え方なのでしょう。
そして三代目の僕には、怪しくなった売れ行きを再び再建させる苦労がある。日本酒をあまり飲まなくなる時代の変化がなければ、今のやり方とは変わっていたかもしれないです」
時代が変化した結果生み出された、グッズやインテリアとしての升たち。お客から変わった升の注文を受けることも多いが、その一つ一つが新しい商品のアイデアに繋がるのでほぼ全て受けるそうだ。
生み出された品々がずらり
升にそうめんを入れる清涼感の提案
三角すい升。ぜ、前衛的なフォルム!
色塗り升の人気で大赤字
――思い出に残っている商品はありますか。
「色を塗った升ですね。営業に回って間もない頃は、升を盆栽の器として使う提案をしていたんです。根腐れする!と怒られたりしましたが、ある所で、『この升に色を塗ってみたらどうか』と提案されたんです」
この升。一見プラスチック製にも見えるが手触りは升そのもの
「半信半疑で塗ってみたところ、見た目もいいし木の感触が残った手触りもあってなかなか良い物ができたんです。完成したものを持って行ったら、なんと展示会(前出)の目玉商品として出品することになったんですよ!」
――スゴイですね!売れたんじゃないですか?
「数千という注文が来てうちの工場だと生産が追いつかず、必死に作りましたが納期に間に合わないうえに、品質も悪くて返品の山でした。大赤字が出ましたよ。
でもそういった経験を通じて、升のメーカーが升と升づくりの技術を使って、今の生活に合った新しいものを作ることが面白いと気づけたんです。そして他が真似できないことである、と」
単純な技術や機械だけでなく、升のメーカーであるという事実や歴史も引き継いでいる、と大橋さん。その意志と制作意欲、本当に見習いたいです。
インテリアとしていかがですか、升。
目指せ一家に一升
インタビューの帰り際、せっかくなので売られている升を購入した。そうして家の木製の棚の一角に置いてみるとなるほどしっくり来る。
そりゃそうだ。木と木なんだから、調和するのは間違いない。改めてインテリアとしての升の一面を実感することが出来た。
今後インテリア升が普及し、どの家庭にもちょこんと升が置かれているような光景を期待しています!
「三代目インタビューの他に、三枚目インタビューもやりますか?」などノリノリで取材を受けてくれました。