日中シンクロとは
日中シンクロ、という写真の撮り方がある。
天気のいい日に空をバックに写真を撮ると人の顔が真っ暗になってしまうことがないだろうか。
こんな感じ。
カメラが明るい空に露出を合わせてしまうからだ。
カメラの設定を変えて人の顔に露出を合わせて撮ると今度はこうなる。
せっかくの青空が真っ白に。そしてモデルの編集部石川のしたり顔よ。
せっかくの青空が真っ白に飛んでしまうのだ。
空を青いまま、かつ人の顔も明るく撮りたい、そんなときにはストロボを光らせるとうまくいく。
空が青いまま顔も明るい!
こういうのを日中シンクロ、という。
編集部のアイドル石川大樹を撮った上の写真では、その効果がわかりやすいよう、光をかなり強くして撮ってあるが、これは調整次第でもうちょっと自然に写すこともできる。
でもこのなんとなく不自然な感じもおもしろくないだろうか。たとえばこのやり方できれいな花を撮ってみるとどうなるのか。
驚きの結果になりました。
ぬばー。
気持ち悪いのだ。
青い空をバックに日中シンクロでバラの花を撮ってみたのだが、フラッシュの当たった花だけが妙に浮かび上がって背景が暗く落ち込む。その結果、どこか現実離れした合成写真みたいな写りになった。
毛が生えているとよりいい
気持ち悪さは被写体に毛が生えていると顕著である。
ビワ。食べたら呪われそうである。
花を撮るときにはかなり近寄ってデジカメ(一般的なコンパクトデジカメです)のマクロ設定で撮っている。
一般的なコンパクトカメラでフラッシュの光があまり強くないため、マクロ設定で寄った方が気持ちわる効果が高いのだ。
しかしそれが功を奏して拡大すると毛の一本一本まで見える。さらにフラッシュを光らせた結果、うぶ毛に光があたっててらてらしている。これは気持ち悪い。
ひまわりも毛が生えていてぞわぞわする。
同じやり方で人工物を撮ってもこれほど気持ち悪くはならない。
青い空をバックに、木にフラッシュを当てて撮った。
生物の巨大化が止まらない。
べったりと毒々しく、しかも近寄って撮るから手前のものが巨大化されている。その結果、言葉では言い尽くせない気持ち悪さがある。
下の花壇、普通にきれいな花が咲いているのだが。
くるぞ、次。
食べるなら足から食べてください。
まるで花が意思を持ってでかくなったみたいに見える。撮り方一つでこれほどまでに変わるものなのだ。
日中シンクロで花を撮るとグラフィティっぽくなる
この写り方、何かに似ているなと思っていたのだけれど、このあいだ地下道を通ったら似たような絵が描かれていた。
平面的で毒々しい。
こういうタッチの絵に通ずるところがある。日中シンクロはヒップホップなのかもしれない(たぶんちがう)。
どこか人工物っぽくもなる。
とにかく失敗ばかり
最近花を見つけるとこの撮り方を試しているのだけれど、なかなか数が集まらない。この撮り方、実は失敗が多いのである。
花に寄りすぎているのでピントが合わなかったりフラッシュを光らせすぎて真っ白になってしまったり。今回はほとんど偶然的に気持ち悪く撮れたものだけを集めている。
だいたいはピンボケです。
この手法でおっさんとか猫とか、生きているかわいいものを気持ち悪く撮りたいのだけれど、いかんせん正面からフラッシュを光らせることになるのでハードルが高いのだ。撮ってもいいよ、という方はぜひお声がけください。
きれいなものをきれいに撮るのはもう飽きた
いまアートっぽいこと言ってしまった気がしてちょっと照れているのだけれど、最近のカメラは性能がいいのできれいなものを撮るとたいていきれいに撮れてしまうのだ。でもそんなの当たり前だろう。そこをあえて気持ち悪く撮ると気持ち悪い写真ができてなんともいえない気分が味わえますよ。