鋼鉄の装甲付き観測所
今回巡ったのは3箇所。
最初に訪れたのは丸出山堡塁跡。軍事施設は終戦後あらかたのものが撤去されているが、ここは非常に珍しい装甲付きの観測所が残っているというところ。
が、場所が容易ではない。
カーナビ、グーグルマップ、iPhoneの三種の神器が無かったらおそらく私は辿り着けなかっただろう。そういうロケーションにあったからこそ戦後の撤去から逃れたのかもしれない。
カーナビに載ってない道。
上の写真の道はカーナビには載ってなかった。が、iPhoneで見たグーグルマップには載っている。近くに車を停め、この先は歩いて行くことにした。
やはり車置いてきてよかったな、と思いながら登っていく。
都会に住んでると(あるいは平野部に住んでると)想像しがたいかもしれないが、こういう山道にうっかり入って途中で行き止まりになり、細いくねくね道をバックでそろそろと戻るハメになったことが何回もある。
こんな感じの道をてくてく登っていく。
さらに登る。
途中、草に覆われた車が。
やがて民家が現れ、その横には畑が広がっていた。その先はいよいよ道が細い。
畑の横を行く。
お、この感じは塹壕じゃないか、と思っていると
前方に砲台跡と思しき構造物が見えてきた。
じゃーーん
砲台跡巡りではお馴染みの形の穴。
その上にでっかい木が生えてるのもなにやらすごい。
その横の石段を登ると、
こ、これだ…!正面が観測所。鋼鉄でできた屋根が見える。
うお~、かっこいい。ここ来てよかった!
写真は何度も見たことあったが、実物は写真よりずっと凄かった。重厚感。
外観。
装甲が想像以上に硬く、しっかりしていることに驚いた。
100年以上前のものなので、もうけっこう腐食してボロボロなのかな…?強く押したりしたら崩れるのかな、となんとなく思っていたのだが、全然違った。さすが軍事用という硬さだった。
そして観測所内部から見た景色が美しすぎて感動。
九十九島の島々がこんなによく見える。
季節も良く、穏やかな風が海から吹いてくる。
感動した。
ここに来て良かった!
大きさはこんな感じ。並んで写真撮るとなぜかUFOみたいだ。
ちなみに観測所というのは、敵がどの方角にいるかを見て伝えるところ。また砲弾がどこに着弾したかを見て、その成果や方角の修正を知らせる。なので、他に大砲を備える砲座があるはずだが、見渡した限り、近くにそれらしくものはなかった。
後日調べてみたところ、だいぶ離れたところにあるようだ(
参考)。(
こちらのサイトも詳しい。)
地下通路で繋がった側防窖室
次に訪れたのは佐世保湾の南側に位置する石原台堡塁跡。ここはキャンプもできる公園として整備されており、車で容易に行ける。
なので、わりと気楽に構えていたら、これがトンでもないところだった。
入り口からして本格派。
当時の堡塁陣地の敷地全体をそのまま公園にしている。これすごいよ。(すごさが後からじわじわ来るよ!)
ちなみに堡塁(ほうるい)というのは、敵が上陸して攻めてくることを想定し、それを食い止める陣地。周囲に堀を設けたり、大砲も陸側に向けていたりする。
明治30年起工、明治32年竣工。日清戦争(明治27年~28年)の後、日露戦争(明治37年~38年)の前に作られたものだ。
古代文明の遺跡のような厳かな雰囲気。(まるで祭壇)
ちょっ、…
これは…
見張り台のようなところもある。
砲台跡には必ずあるこれ。棲息掩蔽部(せいそくえんぺいぶ)と言うそうだ。
弾薬等を入れておくのに使う。
辺りにはひんやりした空気が漂う。ワイン工場を思い出した。
この日は晴れ。少し暑いくらい陽気だったが、壕の中はワイン工場のようにひんやりとしている。臭いもまたワインの発酵室のような、あるいはカブトムシの飼育箱のような臭いが辺りに立ちこめていた。
砲台跡。
砲台が備えてあったところは草が茂っており、言われないとわからないくらいの、“発見前の遺跡”という雰囲気だった。
よく見るとそれらしきものがある。
テントを張るのにちょうどいいスペースも。
右手に見えるのは炊事棟。キャンプができる公園として整備されている。
謎の通路。
さきほどの棲息掩蔽部が並んでいる壕内に、ひとつだけ雰囲気の違うものがあった。
天井にはランプがあり、右手にはロープもある。中に入って行けるというサインだろう。が、電気のスイッチが見当たらない。しばらく探しても見つからないので試しに少しだけ踏入、そこでカメラのストロボを一瞬焚いて中を見ると…
内部が予想以上に深い…!
カメラの本体に付いてる小さなストロボなのでそれほど光量は強くないが、一瞬だけ見えた通路がどこまでも伸びていて先が見通せなかった。そこでいったん車に戻りLEDライト(小さいやつだけど)を持って入ることにした。
…が、カメラのフラッシュで先が見通せなかっただけあり、本当に奥深く通路が続いている。
歩きながら、ふと
「気持ち悪い虫とか出てきたら嫌だな…」
と思って周囲を照らしてみると…
ヒ、ヒエ~~!! (注:画像クリックでモザイク解除)
壁に見たこともないサイズの超巨大ゲジゲジがいるではないか!!
それもよく見ればあちこちに何匹もいる。
大きさは足の長さも含めれば20cmくらいあるんじゃないだろうか?
巨大ゲジはライトで照らすと、
「およよよよ、ポトッ!」
と壁から落ちて
「サササササ~ッ」
と走っていく。その速度は通常サイズとまったく変わらない俊敏さ。それを見て、
「こんなのがもし天井から首筋にでも落ちて来たら、気持ち悪すぎてショック死するぞ!」
と思った私は、首をすくめて完全にへっぴり腰ウォークになってしまった。
通路の奥には階段があり、その先はT字路になっていた。
T字路を曲がったところで再び警戒して辺りを見渡すと、天井から何か垂れ下がっているのが見えた。
「何だろう、これは…」
真っ暗闇でよく見えない。
ロープの塊?それともクモの巣?
変な虫の卵とかじゃないよね…?などと思ってジロジロ見ていたら、突然それがパタパタパタッと羽ばたいて飛んでった!!なんとコウモリだったのだ。
これにはもう、本当に腰が抜けた。
T字路を曲がった先には、こういう部屋があった。右手には小窓が幾つも並んでいる。
ものすごく小さな窓から外が見える。これ何?
部屋の奥にさらに小部屋があった。
ここに外に通じる出口があったら嬉しいな…と期待したが、そこで行き止まりとなっていた。いやそれより、小部屋を覗いたらそこにも超巨大ゲジとコウモリがセットで佇んでいて、ビクッとなって速攻で引き返した。
コウモリは冷静に考えればそんなに恐くない生き物なのだが、吸血コウモリ(首筋に噛みついて血を吸う)のイメージもあってこの時はとにかくビビりまくった。
※日本に吸血コウモリはいない。
T字路の反対側も同じ作りになっていた。コウモリが飛び交っている。
飛んでる。
コウモリからしたら逆に、突然入ってきた人間にびっくりしただろう。出口付近まで逃げてきていた。
よく見ると、ものすごくかわいいかもしれない。
トンネルを出て、もう一度
全体図を見ると、周囲をぐるっと一周できる遊歩道がある。
せっかくなので歩いてみた。
遊歩道は、堡塁のかつての外堀だった。
上陸した敵が陸戦を仕掛けてくることを想定して、堀になっているのだ。
ん?正面に何かあるぞ。
こ、これは…
これは先ほど地下通路から見た小窓と一致するものであることが、すぐピンと来た。あの小窓は銃眼だったのだ。
堀に進入してきた敵を狙い撃つためのもの。「側防窖室(そくぼうこうしつ)」と言うらしい。こんなの初めて見たわ…。
銃眼の前は1メートルくらいの深い溝になっている。
堀の反対側の角にもあった。
こちらは外から出入りできる入り口がある。
反対がの角にあった窖室もまた地下通路で繋がってるんだろうか?と思って中を覗いたら、即座にコウモリ2匹がいるのが見え、そそくさと引き返した。(家に帰ってから
ネットで調べてみたところ、こちらは繋がっていないようだ)
それと蚊もすごかった。
事前に虫除けスプレーをふんだんにかけてきたにもかかわらず、ここの蚊には効かず、ガンガン刺してくることに戦慄を覚えた。この界隈だけ生態系が他と違う感じような印象を受けた。
あちこちの草むらでガサゴソ音がするので見たらカナヘビだった。子供の時以来、久しぶりに見た。
防空用砲台跡
3つめ、最後に見るのは佐世保全体を見下ろす位置にある弓張岳にある砲台跡。
佐世保の中心街から車で10分ほど山を登ったところにある。
観光名所的ムードに満ちあふれている。
こちらは展望台があり、観光バスも停まれるようになっていて、すっかり観光名所ムードに整備されている。
弓張岳展望台。
佐世保湾と九十九島が一望できる。
米軍基地もとてもよく見える。(空母みたいなのは強襲揚陸艦ボノム・リシャール)
ちなみに階段にあったくねっとした手すりの名は「クネット」。(丁寧に英語でも「QUNETTO」と書いてある)
展望台とは反対側に「砲台跡広場」がある。
階段の造りがこれまで見てきたものと比べて、随分お粗末。時代的に初期の頃に作られたものなのかなぁ、と思ったら逆で、こちらの方が新しい。作られたのは昭和16年。太平洋戦争直前に4ヶ月の突貫工事で作られたものだそうだ。
石段を登ると
どーんと砲台跡が広がっている。古代文明という雰囲気。
サイズ比較として真ん中に立ってみる。
ここには防空用として高角砲が備えられていたそうだ。第2次世界大戦は航空機が主役となった戦争だった。
昭和20年、佐世保が空襲を受けた際ここから応戦したが戦果は無し。敗戦と共に撤去された、とのこと。
周辺の雰囲気はこんな。
こういうのも。
中央が砲座、周辺の穴は弾薬庫等だろうか。
大きさ比較。
中は冬眠できるくらいの広さ。うっかり「ここに住むとしたら…」みたいな想像をしてしまった。
同じタイプのものがもうひとつあった。
佐世保にはこの他にも全部で8つほどの砲台跡があるらしい。
こういった遺構に触れることが呼び水となり、家に帰ってからさまざまなサイトや本を読んだ。かつての歴史を思い出し、再考するきっかけになるという点でこうした遺構の存在は重要だと思う。
いつか旅順の要塞跡や東京湾の海堡なども見に行きたい。