人けのない離島の山の上でひっそりと佇み、静かに自然との一体化をすすめている砲台跡はどこか神秘的で、我々が今住んでる世界とは別世界のようだった。しかしそれは架空の世界の話ではなく、紆余曲折を得て現在に繋がっている…と、うっかりかっこいいことでも言いたくなるような、そんなムードがありました。砲台跡巡り、よかったです。
足音にエコーがかかりまくる…!(豊砲台跡)
今回私が巡った砲台跡は4箇所。それと関連スポットとを併せて計6箇所を訪問順に見ていきたいと思う。
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ほぼ古代遺跡
最初に訪れたのは、上見坂堡塁(かみざかほうるい)跡。堡塁とは、敵の侵攻を食い止めるための陣地で(これが寄り集まって要塞となる)、大雑把に言えば砲台みたいなものだ。
ここは公園として整備されており、数ある砲台跡の中でも行きやすい、わりとカジュアルなスポットになっている。
ここは公園として整備されており、数ある砲台跡の中でも行きやすい、わりとカジュアルなスポットになっている。
展望台がある。駐車場もあり訪れやすい。
展望台より。浅茅湾を一望できる。
砲座跡には、森林の中を歩いて行く。
砲座跡は柵も何もなく、あちこち登って自由に見学できる。
最初、どの部分が砲座に当たるのかわからなかったが、説明板を読んだりしながらしばらく見ていたらだんだんわかってきた。
大砲は埋め込んであるのではなく、移動式で普段は兵舎に格納してある。使う時に運んできて写真の斜めのスロープを登り、平らになってる部分に設置した。
砲の数は四門、口径は15cmとのこと。
が、結局一度も使用されることはなかったそうだ。
最初、どの部分が砲座に当たるのかわからなかったが、説明板を読んだりしながらしばらく見ていたらだんだんわかってきた。
大砲は埋め込んであるのではなく、移動式で普段は兵舎に格納してある。使う時に運んできて写真の斜めのスロープを登り、平らになってる部分に設置した。
砲の数は四門、口径は15cmとのこと。
が、結局一度も使用されることはなかったそうだ。
造られたのは日露戦争が始まる2年前の明治35年(1902年)。
砲座跡
明治後期に築かれ、砲座跡が最上段にあり、砲座の周囲には砲弾置場、壕は砲の手入れ道具を保管したり、砲手の仮眠所にも使われました。 砲座には砲口径十五糎(cm)級の火砲が四門据え付けられていました。実際には訓練だけで、第二次大戦中も敵艦が近寄らず一回も発砲することはありませんでした。(説明板より)
写真の「ダンジョンへの入り口」のようなものは、中に入ることができる。
中は空っぽ。
壕は砲の手入れ道具を保管したり、砲手の仮眠所に使われたとあった。敵の攻撃を受けた際の待避所にもなるんだろうか。こういった壕は、どの砲台跡にもあった。
砲座部分。周囲の壁には棚のような凹みが幾つもある。砲弾などを置いたそうだ。
「兵舎跡」というのもあった。
崩落っぷりすごい。。
兵舎跡
明治後期に兵舎として建てられ、砲を砲台に据えた時は、砲発射要員、雑役炊事兵を含め百人程度の仮眠所に使われました。 また、平時は火砲四門が格納できるようになっており、砲を雨ざらしにしないためここに移されました。 第二次大戦中は演習用兵舎に使われ、戦後は国際無線用動力の発電機が置かれていました。(説明板より)
兵舎跡の中。
他に便所跡などもあって、便所跡は立入禁止だった。
上見坂堡塁跡の場所。けっこうな山の中にある。敵が沿岸に上陸して来た時の後方支援用に造られているようだ。(別ウィンドウで表示)
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すごいロケーション
次に向かったのは、姫神山(ひめがみやま)砲台跡。海に突き出した岬の山の上にある。
道が載ってない。(別ウィンドウで表示)
地図で見ると道が途中までしかない。知人に聞いたところ、軽登山をしないと辿り着けないとのことだったので、その覚悟で向かった。
ウェルカムな雰囲気の標識もあったので楽勝かと思いきや…
地図には乗ってない道が続いている。
途中からこんな道になった。
狭くて反対側から車が来たら絶対すれ違えないし、道はデコボコ。しかも、こういう道に限って途中で行き止まりになっていて脱輪に怯えながらバックするハメになることが多いので、進むか戻るか真剣に迷ったが、
「ええい、ままよ!」
と進んでいった。
狭くて反対側から車が来たら絶対すれ違えないし、道はデコボコ。しかも、こういう道に限って途中で行き止まりになっていて脱輪に怯えながらバックするハメになることが多いので、進むか戻るか真剣に迷ったが、
「ええい、ままよ!」
と進んでいった。
不安な道が続く。
道はさらに悪くなる一方で、凹んだ部分に土嚢が埋めてあるなどした。4DWの車をレンタルすべきだったか…と思いながら運転した。
はこういうものがあちこちにある。
今回、対馬を車で一周したわけだが、あちこちの山の斜面に写真のような正体不明のものがあるのを見かけた。
ストーブのようなもの?窯?
それとも宗教的な何か?祠?
これは「蜂洞」というミツバチを飼う巣箱らしい。なんでも対馬は日本で唯一ニホンミツバチだけが生息する島とのことで、蜂蜜は対馬の特産品になっているらしい。
…というのは家に帰ってネットで調べて(それも何とキーワードを入れたらいいかわからずけっこう悩んだ)、ようやくわかったことで、この時はまだ
「道は細くて不安だし、謎の物あるし…!」
という感じだった。
…というのは家に帰ってネットで調べて(それも何とキーワードを入れたらいいかわからずけっこう悩んだ)、ようやくわかったことで、この時はまだ
「道は細くて不安だし、謎の物あるし…!」
という感じだった。
舗装ってすばらしい。
さらに進んでいくと、突然舗装されたきれいな道になった。自分の進んできた道は正しかったことが証明された気がした。
そして広い場所に出た。
いきなり車のCMみたいな場所に辿り着いた。広いところに出てものすごくホッとした。
道はまだ続くがここに車を置いて、ここからは歩いて頂上を目指した。看板には砲台跡まで500mとあった。
再び狭い砂利道をてくてく歩いて登っていくと…
遺跡発見!!
うぅ~わぁ~!
山の上には広大な砲台跡が残されていた。
なんかもう「砲台跡」と言うよりは、ひとつの文明か何かのようだ。
なんかもう「砲台跡」と言うよりは、ひとつの文明か何かのようだ。
砲座跡。明治33年竣工。3つの砲座があり、計6門の28cm榴弾砲が備えられていた。
砲台の跡には植物が生えている。
こちらは弾薬庫。やはり中に入れる。
写真だとフラッシュを焚いてるので明るく見えるが実際は真っ暗。
両端に階段があり、上に行ける。
上には観測所の跡がある。
一箇所、コンクリートに穴が空いている。
この穴の行く末は…?と思って、下に行ってみると
下の部屋(=司令室)へとつながっていた。
通信方法がアナログだ。
観測所からは周囲の海がよく見渡せる。
いい眺めだ…。
丘の上から砲台側を見ると、ただの林にしか見えない。
砲台部分は掘り下げられているため隠れている。
観光バスなどは絶対入れない行きづらい場所にあるせいか、自分以外一切人がおらず、この不思議な空気を満喫することができた。
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地図を変えてしまう
次は砲台跡ではないが、万関橋(まんぜきばし)という対馬の有名な橋をば。
島を2分している。 (別ウィンドウで表示)
対馬は元は繋がった1つの島だったが、明治33年(1900年)に軍艦が通れるようにと掘って人工の水道を作り、島を分断した、というスケールのでかいシロモノ。
そこに架けられたのがこの万関橋。
そこに架けられたのがこの万関橋。
軍艦を通すために掘った人工の水道。
スケールがでかい。これを人間が掘ったのか…。
万関橋は、今では対馬の主要観光スポットとなっていて、観光バスなどが停められるところが橋の両サイドにある。
が、告白すると、最初手前にある小さい橋が万関橋かと思って写真撮ってた。(人工的に掘ったと聞いていたのでこっちかと思った)
大船越橋。
一応地図。
こちらは江戸時代に通したものとのことで、浅いので大きな船は渡れない。(昔はもっと浅く、満潮時しか通れなかったそうだ)
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棹崎(さおざき)砲台跡
次は対馬のだいぶ北の方にある、棹崎(さおざき)砲台跡。ここは周辺一帯が公園として整備されており、アクセスしやすい。
パッと見ただの公園だが…
実はただの公園ではない。
のどかな公園的風景の中に、唐突に本気の世界への入り口が開いていてギョッとする。
通路の先には上(=地上階)に上がる階段があるのだが、
階段を上がった先が観測所。
外観。
上が展望台になっている。
その少し横に穴があり…
下に回ってみると、やっぱり繋がってた!
周辺の様子。公園風にアレンジされているが、よく見ると塹壕っぽい。
そしてこれはどう見ても砲台跡だ。同じカタチの物が幾つもあった。
なにげに日本最北西端の地でもある。
岬の先端には灯台があった。
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超弩級砲台跡
次は世界最大の巨砲だったという豊(とよ)砲台跡。対馬最北部にある。
場所 (別ウィンドウで開く)
またしても地図に道がない。
案の定、道は狭かったが舗装はされており走りやすい。犬の散歩をしてたおばちゃんの説明をヒントに車を走らせ、ほどなく到着。
案の定、道は狭かったが舗装はされており走りやすい。犬の散歩をしてたおばちゃんの説明をヒントに車を走らせ、ほどなく到着。
車を停めるスペースもあった。
入り口からして、すでにただならぬ雰囲気が漂ってくる。
そういえば対馬では、どこも入場料を取られることはなくオール無料だった(少なくとも私が行った限りでは)。というか、受付の人がいるとこ自体ほとんど無かった。
ドキドキ感を煽る説明書き、とボタン。
ここに入っていきます。
入り口付近はけっこう明るかったので、30分だけ点くという照明は昼間は要らなかったかな?と思ったら、奥がけっこう深かった。
ずーーん!
説明板には「砲動力機室」と書いてあった部屋。
これは「蓄力機」と書いてあった。
砲塔部。
砲塔部に来たら自分の足音がすごい響く。
こんな空間に、いるのは自分一人。
その独特の雰囲気はぜひ動画でどうぞ。
(冒頭に挙げたやつと同じですが)
その独特の雰囲気はぜひ動画でどうぞ。
(冒頭に挙げたやつと同じですが)
音が響くのがすごくて、ついつい動画を撮った。
う、あああ・・・
ここでは絶対上を見上げる。
豊砲台が竣工したのは第2次世界大戦前の昭和9年3月。砲塔部分は幾つか説があるようだが、「四十五口径40.6センチ加農(キャノン)砲一基二門」 「砲身長18.5メートル、砲身重量は108トンもあり、実用射程距離は30キロメートルにおよびこの地で対馬海峡封鎖の防衛拠点を成していた」とのことだ。(説明板より)
しばらくいたら観光ツアーの一団もやって来た。(大きさ比較のために一枚)
いったん外に出て上から見ることもできる。
上は憩いの場風になっていた。が中央に巨大な穴。
フェンスが無かったら危険過ぎる。
ちなみにこの砲台も、実戦では1発も発射することなく終戦を迎えたという。昭和20年10月に米軍により解体された。
唐突感
最後は、浜辺に野ざらしになっているナヒモフ号という旧ロシアの軍艦の艦砲を。
場所。(別ウィンドウで開く)
海がきれいだ。
そこに唐突に置いてある艦砲。こんなのちょっと見たことないよ!
日露戦争当時の実物の大砲なんてなかなか見られないと思うのだが、それが海辺にぽつんと置いてある。
ナヒモフ号とは、ロシア・バルチック艦隊の軍艦で、日本海海戦で日本と戦って沈没。その後、金塊を積んでたらしいということで引き揚げた時の艦砲がこれ、とのこと。
大きさ比較。でかいです。(囲いもなんもなく、さわり放題)
なんというかこれ、かなり歴史的価値の高い物じゃないかという気がするのだが、それがこんな風に何の説明もなく置いてあるのが離島らしくて面白い。
ロシア将兵上陸地という石碑もある。
沈没したナヒモフ号の乗組員は救命ボードでこの浜に上陸、住民はロシア人の姿に驚きつつも敵味方の区別なくもてなしたという、いい話も残っているそうだ。