中国・広州の骨董自転車事情
中国は抱いていたイメージ通り自転車がとても多かった。車道でも歩道でも自由自在に自転車が走る。町のリズムに自転車の速度が合っているのかもしれない。
これだけ自転車が多ければ今回のお目当て、古い自転車もそれだけ多いはずだろう。
これは車道。大きな交差点の様子。車と自転車、そして歩行者が入り乱れるスクランブルぶり。
大きな町ではレンタサイクルが充実していた。もちろんこういう自転車は手入れが行き届いていてかなりきれいである。
自分で乗るならこっちの方がいいけど、今眺めたいのはそうじゃない。もっと古い自転車はないのか。
もちろん管理も行き届いている。中には電動のレンタサイクルもあった。さすが中国、自転車大国。
表通りのマクドナルドでは日本とあまり変らない価格でハンバーガーが売られていて、コンビニでは普通に菓子パンが買えた。地下鉄もバスも便利でほとんど日本にいるのと変わらない。
でも一歩路地を入るとやはりそこは中国、広い大地と長い歴史が産み出した骨董と呼ぶにふさわしい自転車にいくつも出会うことができた。
たとえばこれ
間違いなく骨董品。
骨董自転車である。
前輪のリム(タイヤの内側にある金属)が崩壊しているのをはじめ、全体がほとんど自然に還ろうとしている。それをシダ植物が優しく迎える。
それなのに何重にもカギがかけられており、大切にされているのか放って置かれてあるのか判断しづらい。
正直ボロい。しかし骨董自転車という観点で見ると、かなりレベルの高い作品である。見る人が見れば自転車の販売価格を骨董的価値が追い抜いているんじゃないだろうか。物は一度価値が無くなった後、再び高くなることがあるのだ。
こちらも中国・広州で見つけた骨董自転車。
へたー。
全体的に下につぶれた感じがする。タイヤもブレーキも生きているのでまだまだ現役で走行可能だとは思うが、シートの朽ち果て方がなかなか芸術的で、常に立ちこぎを強要されるだろう。一つ前の骨董に比べるといささか若い気もするが、だからこそこれからの成長が期待できる一品である。これからも厳重にカギをかけて放って置いてもらいたい。
骨董手前だがなかなか味のある自転車もあった。
無骨なデザインから本気度合いがうかがえる。
股の部分のフレームがパイプ二本である。一本折れても走れるんだぜ、そんな男気あふれるフォルム。単に一本だと売るの不安なだけかもしれないが。
あとこの自転車にはカゴに猫が寝ているのがいい。猫にとってもはやこの自転車は動かない物として認識されているのだ。
ぐたー。
ほかにも中国の自転車には荷台を改造して人が座れるようになったものが多かった。
荷台のクッションは自作だと思う。
後ろに女の子を乗せるときのための備えだろうか。家のソファーをひっぺがして乗っけときました!的な工作がまたマッチョな魅力を倍増させている。
こっちも自作が光る一品だ
かごが灯油のタンク!
荷台にクッションまではなんとなく読めたが、かごに灯油のタンクは予想できなかった。さすが中国、奥が深い(そして自転車がボロい)。
今回の記事の趣旨とは違うが、他にもどうかしちゃってる自転車も見つけたのでおまけに紹介したい。
なんだろう、このもやもやするかっこよさは。
子供が欲しい部品全部選んで組み上げた、みたいな自転車である。プラモで出たら買うレベル。
業務使いいろいろ
中国、そしてあとで紹介するインドでもそうだが、骨董価値に加え、業務使いされている自転車をたくさん見かけた。日本だとすぐに軽トラを使いたがるが、このくらいならば自転車でいけるんだ、と認識を改めさせられる。
かなり使い込まれた自転車にガスボンベを装着している。無茶だ。重くてバランス悪いのではないか。やはり常に右へ右へと振れていた。
こちらもほとんど骨董の域に達しつつある自転車に大量のサトウキビをオン。正面衝突したらサトウキビが全部相手に突き刺さる。
自転車大国中国はやはりすごかった。これを超える国があるのか、と思っていたがインドがなかなかいい線行っていたので紹介したい。
インドの骨董自転車事情
続いてインドで見かけた骨董自転車を紹介したい。
インドは中国ほど自転車が流通していないようだった。どちらかというとバイクと荷台付き三輪車をよく見かけた。
しかし数は少なくても十分にインパクトのある骨董自転車を有していたのがインドである。見てもらいたい。
ガンジス川をバックに。こんな絵になるボロ自転車も世界中にないのではないか。
ガンジス川のほとりを歩いていると、ばーんと道の真ん中にこの自転車が止まっていた。写真を撮るために引っ張り出してきたのではない、ここにあったのだ。
適度にボロイ、しかしそれがまたガンジス川の風景とぴったりマッチしていてかっこいい。これ、日本に持ってきたら近所の子どもにゴミ呼ばわりされるレベルだが(実際僕が今乗っている自転車は近所の子どもにゴミと呼ばれている)、インドのこのシチュエーションにはBMWよりもマッチしている。
寄ってみよう。
ハンドル周辺。ヒーロージェットと書いてある。こういうブランドだろうか。
すべての部材がほとんど直線で出来ているのもインドの自転車の特徴である。棒、切って作りました!といった素直な印象を受ける。
それからインドは中国に比べ、自転車が固まって置かれていることが多かった。どういうことかというと
こういうことである。ごちゃ、っと一個になって置かれている。
インドにはこれから大切に使い込めば骨董になりそうな、丈夫で無骨でデザインのいい自転車がたくさんあった。10年後が楽しみな国である。
かなり新しい自転車だがデザインは中国で見た骨董自転車と共通している。この形、日本では最近あまり見ない。
質実剛健なデザインの中にも、荷台を支える支柱がねじれているのがおしゃれ。まだまだ新しく、骨董とは言えない。
しかしインドにも骨董自転車がないかというと、そんなことはない。人口12億である、なめちゃいけない。
なかなかの骨董的価値を感じさせる自転車を見つけたので紹介したい。
ほぼ背景と同化。
股のところと前輪につながるところのフレームが二本ずつである。すなわち丈夫。他にも、サドルがほぼバネのみ、実用重視の荷台、大きく横に張り出したハンドルなど、骨董自転車の見どころをきちんと網羅している。中国のそれに比べ、所有者の所有する意思があまり感じられないのはインド的自転車放任精神の現れか。誰も取らないとは思うが。
あとインドでは骨董バイクが多かった。
渋い、を超えた先にある迫力。
業務用もまたインドらしさ全開
骨董自転車については中国に一歩遅れをとった感の否めないインドだが、業務用自転車については対等かそれ以上のインパクトを見るものに与えてくれる。
前後左右にミルクを入れたタンクを装備した自転車。ほとんど軽トラ並みの運搬力である。インドの交通量の多い幹線道路をこれが横切る。
タンクといえば中国ではガスボンベを一本横に積んでいたのを紹介したが、インドではこうだ
三本。
内容量の違いもあるので単純にどっちが重いのかわからないが、どっちも無茶だということだけはわかる。
こちらは新聞配達の自転車。自転車で各家庭を回るという日本的スタイルではなく、これが街角にやってくると人が集まってここから新聞を買うという移動販売型。
料理用油の一斗缶を満載した自転車、というか三輪車。この辺になってくると、もはや軽トラを越えた感すらある。
全体を通して見ると、インドの骨董自転車は中国に比べてまだ若く、単体で鑑賞するには少し物足りないものがあった。
しかし業務用だったり、あるいは人が乗っているのを見ると、インド人と自転車のそのなじみ具合というか一体感はすばらしい。道具なんだから使われてこそ価値が上がるのだ。
インドの骨董自転車はインド人に乗られてこそ輝く。
自転車は古い方がかっこいい
中国とインドの自転車を見てきての感想は、古すぎてかっこいい、だ。クラシックカーが好きな人なんかにはわかってもらえるんじゃないだろうか。自分で乗るならエコカーがいいけど、人が乗ってる古いワーゲンには憧れるものなのだ。骨董自転車もそういうことだと思う。
いまかなり持ち上げて書きましたが、実際写真を撮っていたときの僕の目には古くてかっこいい自転車!としか写っていなかったです。
中国で見たハイテクっぽい自転車。たぶん電動。このままティーンズロード(改造好き若者向けバイク雑誌)に出られそうである。