誰もいない渋谷
下の写真を見てもらいたい。昼間の渋谷駅前、スクランブル交差点である。
いつもならばまっすぐ歩けないくらい人がいるのだが、写真にはまったく写っていない。たまにはこんな瞬間もあるのだろうか。
渋谷、無人。
もちろんずっと見張っていれば運よくそういう瞬間も来るかもしれないが、そんないつ訪れるかわからない瞬間を気長に待てるほどの根気はない。
上の写真を撮った時は、実際にはこんな感じだった。
まあいつもの渋谷の風景ですな。
ではこの人たちをどうやって消し去ったのか。ジェロか。いやそれは演歌歌手だ、セロか。
いや、答えはこれである
エヌディーよんひゃくー(と書いただけでドラえもんの声になるのが不思議だ)。
カメラのレンズの前につけるフィルター、ND400。これをつけるとカメラに入る光の量が通常の400分の1になるというすぐれものである。
どうすぐれているのかはこのあと説明する。
ほとんど真っ黒。
レンズから入る光が少ないとどうなるかというと、カメラが勝手に考えて長い間シャッターを開けておいてくれるのだ。長い間開けておくことで入ってくる光の量をかせぐ。
するとどうなるかというと、止まっているものはそのままに、動いているものだけが大きくぶれてまるで消えたように写らなくなるのだ。
言葉で説明するより写真で説明した方がわかりやすいですよね。たとえばこの人ごみの中、壁画の写真を撮りたいとする
このくらい離れないと壁全体が見えない。でも離れると人しか写らない。
じっと待って人が少ない瞬間を狙ったが、それでもこのくらい写り込む。
そこでND400の出番である。
このフィルターを付けて入ってくる光を抑えると、写真を撮るのに1分くらいシャッターを開けておく必要がある。カメラの前を歩いている人はその場所を一瞬で立ち去るのだけれど、普通のカメラならばその一瞬を切り取るので人が写る。しかし写真を撮るのに1分かかるカメラにとってはそんな一瞬など、ないと同じなのだ。
つまり
こうなる。
みごと歩いている人だけ消えるのだ。
これを使えば人でごった返す渋谷駅前だって
たくさんの人が
ほぼ消える。
上の写真でぼんやりと残っている残像みたいなもやもやしたものは、動きが遅いか、ほぼ止まっていた人たちである。駅前だと待ち合わせなどでそこにとどまっている人もいるのだろう。
もっともっと時間をかけて、たとえば1時間くらいシャッターを開けて撮れば、きっともっとスカッと無人にすることができるはずだ。しかしそれには入ってくる光の量をもっともっと減らす必要がある、つまりこのフィルターを何枚も重ねなくてはいけないのだ。
やりたいのはやまやまだけれど、このフィルターは1枚3000円くらいするので日本の平均的なサラリーマンのおこづかいから考えるとこのくらいぼんやり人が残っているくらいが限界なんです。
これも渋谷。
それにしても目の前にたくさんいる人が写真には写らないというのは不思議な面白さがある。写るものと写らないものを自分で選べる優越感。1分くらいかけてゆっくりと写真を撮るのも新鮮で面白い。景色からじわじわと光を吸い取っているような感覚がある。
ではさらに、この中にぽつんと自分だけ写りこむことはできないだろうか。誰もいない大都会に自分だけ、っていう写真が撮れたらすごくないか。
都会で一人ぼっちの写真を撮る
無人の都会の風景の中に自分だけぽつんと立っている写真を撮りたい。きっとそれは世界の終わりにうっかり取り残されてしまった人、みたいな写真になるはずだ。
撮り方は単純である。フィルターをつけたカメラをセットして、シャッターを開けている間、自分だけ動かないようにする。動いているものが消えるフィルターなので、景色と動かなかった自分だけが残るはずだ。
渋谷のスクランブル交差点が赤に変わるまでずっとシャッター開けていた。
撮影中、僕の周りをたくさんの人が容赦なく歩き回る。とくに人の流れを整理したりもしていなかったので、カメラと僕の間を横切る人もたくさんいた。
本当にこんなので僕だけが写るのだろうか。
人ごみにのまれてどこにいるのかわからない。
信号が変わるまで、45秒ほどシャッターを開けて撮った写真がこちら。
ぽわーん。
わーい。
さすがに人が多すぎたのか、行きかう人の残像がもやとして残ってしまった。それでも僕だけがカチッと写っているのはなんだか不思議な雰囲気である。
撮影中は45秒くらいじっとしていなくてはいけないのだけれど、それが思いのほか大変だった。まっすぐ立っているつもりでも、写真をよく見ると上半身が微妙にぶれている。ふらふらしているのだ。
明治とかその頃の写真は機材の性能が低かったため、撮影に何分もじっとしていなくてはいけなかったらしい。まばたきも我慢したとか聞いたことがある。実際やってみるとわかるのだけれど、すごい大変だぞそれ。
撮影を手伝ってもらった地主さんにも一人ぼっち写真を体験してもらった。
はい、一人ぼっち。屋根のゆがみが空間がねじれてるみたいに見える。
いろんな場所で撮ってみてわかったことがある。日向よりもちょっと薄暗い場所の方が撮りやすい。
たとえば外よりもこういう地下街の方が一人ぼっちになりやすい。
たくさんの人が行きかう地下街で。撮影時間は60秒。
ほら一人ぼっち。
多少薄暗い方が人の歩いた残像が写りにくいのだろう。
いい写真撮れた!と興奮していたのだけれど、このあと警備員さんが来て「三脚を立てると通行人のじゃまになりますので」と注意されてしまった。すみませんすみません。一人ぼっち写真は三脚でカメラを固定する必要があるので撮る場所には注意しましょう。
この方法は、もちろん記念写真にも使える。都庁をバックに撮ってみた。
僕以外の人はいま消します。
一人ぼっち!
と思ったら後ろの人がばっちり写っていた。意識していないのに1分くらいじっとしていたということだろう。すごい。
今度こそ。
一人ぼっち、面白い。次は半分だけ消えるというはなれ技に挑戦したい。
半分透けたい
動いている人を消すことができることはわかった。写真を撮っている間、自分だけ動きを止めることで一人ぼっちの写真を撮ることもできた。
では次は、自分だけ写りながら、さらにちょっとだけ透けてみたい。そんな需要がいつどういう状況であるのかわからないが、半分透けるっていうのはやはり人として限界を超えている感じがして魅力的である。
たとえば撮影中、こんな風に上半身だけ動かし続けるとどうなるのだろう
メトロノームのように
左右に振る。振っているところを外国人に写真撮られた。
頭の方が徐々に消えた。
足は止まっているのでカチッと写る。対して上半身はわざと動かしていたので半分透けたのだ。顔なんてほぼ見えない。逆にお化けみたいに足だけ消そうとその場で足ふみしてみたのだけれど、こちらは全体がぶれて思ったように足だけ消えなかった。
もうなにがなんだか。
その場で動くとやはりブレる。これならむしろ移動しながらところどころで立ち止まった方がいいんじゃないか。うまくいけば分身できるはずだ。
60秒間の中で15秒ずつ移動した僕を一枚の写真に収める。
四つんばいから徐々に移動しながら立ち上がって「人間の進化」みたいな写真が撮れるんじゃないかと思ってやってみた。
猿人。
原人。
ヒト。
道ゆく人にいぶかしげな目で見られながらもできた写真がこちら。
透けすぎ。
やはり60秒の中の15秒ずつではちょっと足りなかったか。
新しいタイプの心霊写真。
たぶん便利なんだと思います
デイリーで記事を書いていると普段人通りの多い場所で写真を撮ることが多いのだけれど、いちいち人の顔にモザイクをいれていくのは正直面倒くさかったりする。そういうときはわざと人をぶらせたりして対処していたのだが、このフィルターを使うとそもそも消し去ることができるから便利だ。ただし1枚撮るのに1分くらいかかるけど。
ND400は重ねると日食の写真を撮るのにも使えるので、5月の日食にむけて今のうちに買っておくといいかもしれません。