洗面所から戻った私は、布団をたたんで部屋の隅へ追いやると、ハンガーにかけていた上着を羽織り外に出た。
ここ数日、ぱっとしない空模様の日が続いている。春も間近な3月にしては、気温もだいぶ低かった。この日の朝も例外ではない。
冷たいドアノブを回すと、さらに冷たい風が室内へと吹き込んでくる
午前10時頃の住宅街は、静まり返っていて不気味だ
開店直後にも関わらず、スーパーは客を集めている
近所のスーパーにまでたどり着いた私は、目当ての品を探して店内を徘徊する。男性客が少ないこの時間、私の存在は他の客や店員にどう思われているのだろうか。いや、どうにも思われていないだろう。
たった二品の買い物であったが、「袋はいりません」の一言を告げるタイミングを逃し、私の手にはしっかり袋詰めされた品物があった。
どこまでも白いビニールである
購入した品物を袋から解放してやる
これから私は飴を伸ばす。
その材料は砂糖と水あめと水。たったそれだけだ。飴というものは、これ以上ないくらいにシンプルな菓子である。
70グラムの砂糖を必要とする
想像以上の量である
水あめは30グラムだ
粘り気があまりに強く、皿に移すのに若干の労を要した
まるで己の過去のように、執拗にスプーンにからみついてくる水あめ。振り払っても振り払っても、なかなか皿に落ちてくれない。ただひたすら、重力の力によって自然に落ちてくれるのを待つのみだ。
まさか材料の計量にここまで手間取るとは。思ってもいなかったところに伏兵が潜んでいる、そんな所に人生を感じる。
砂糖と水あめを鍋に移す
水50CCを加え、これで準備は整った
全ての材料を混ぜた鍋を強火にかけると、すぐにふつふつと泡が立ち上ってくる。
煮詰まるにつれその泡は大きくなり、そして香ばしい匂いがあたりに漂い始める。
火にかけた直後から泡はその生成を始める
生まれては消え、生まれては消えてゆく泡たち
泡は周囲の他者を取り込むように成長し、そしてたくましくはじけて消える。
地球が誕生して46億年。幾度と無く繰り返されてきた生命のサイクルが、この片手鍋の中に投影される。それを上部からのぞき見る私の目は、いわば神の視点だ。
その様子をずっと眺めていたいところであるが、残念ながらそうはいかない。砂糖が焦げる前に、火からおろしてやらねばならない。
試しに少量たらしてみると、それはすぐに飴へと変じた
氷水を入れたボールで少し冷やす
鍋の底で固まる飴
加熱しすぎたのか、冷やしすぎたのか、いやその両方か、溶かした砂糖は鍋の中で既に飴へと変わりつつあった。
私は慌ててスプーンでそれをこそげ取り、敷いたアルミホイルの上にぶちまける。
急いでこれを伸ばさねばならない
しかし、その熱さに手が出せない
何とか引き伸ばせたと思った端から固まっていく
伸ばして折りたたみ、ひねるように再度伸ばす
もう一度折りたたもうとしたところ、あえなく折れた
ボウルの氷水で手を冷やしながら、飴を伸ばしていく。しかしそれは二度目に折りたたもうとした際、パキっと音を立てて折れ崩れた。
たった二回しか伸ばす事ができなかった飴。それは熱さとの戦いであり、また時間との戦いでもある。
かなりの量の飴がアルミホイルと運命を共にした
また、私が手に取ることができた飴の大きさは、せいぜい親指一本強程度。残りは全部鍋の底やアルミホイルにへばりつき、そのまま露と消えた。
70グラムの砂糖と30グラムの水あめから生まれたのがこのわずかな量の飴である。途中で散っていったグルコースたちの鎮魂歌を聴け。
希少な生存者を一口大に切り分ける
練りこみが甘いため透明度が高い
しかし、鼈甲飴とは食感が異なるのもまた事実
ハサミを入れるとざっくり切れ、口に含んで噛むとジャリっと砕ける。それは明らかに、練らずに固めて作る鼈甲飴とは全く異なった感覚である。より市販の飴に近い食感だ。
たった二回、たった二回しか伸ばしていないにも関わらずここまで違ってくるとは。私は思わず感嘆の声を上げ、そして練りこみが甘かった事への後悔と共に、再挑戦への決意を固いものとした。
一方、石油ストーブの上ではモツが煮えていた
1時間後、私は再び材料を計量し、それらを鍋に入れて火にかけた。
私が夢に見た飴は、もっと何回も伸ばせていた。たった二回で固まるなどという事はあり得なかった。
ならば再び挑まねばならない。夢で見たあの飴伸ばしに少しでも近づけるように。
分量は先ほどと全く同じだ
ただし、今度はアルミホイルに油を塗った
火から降ろすのも早めにし、冷やす時間も短くした
おかげでだいぶ緩くなった
伸び具合も良いが、やはり熱い
ここからはもう無我夢中である。飴をアルミホイルから手早く引き剥がし、指先で伸ばして折りたたむ。
氷水で指を冷やしてはいるものの、その熱さは生半可ではない。私は首筋に歯を突き立てられた獣のような咆哮を上げながら、ひたすらに飴を練った。
しかし苦痛を伴うその努力もむなしく、飴は三、四回(夢中で練っていたので正確な回数は不明である)私の手の中で踊ったのち、そのまま固く、動かなくなった。
最後にひねり伸ばした為、ツイスト状になった
油が功を奏したのか、アルミホイルに残る量も減った
切る感触も、先ほどとは明らかに違う
より飴らしく仕上がった
引き伸ばし回数がわずか数回違っただけで、その出来栄えは随分違うものだ。より多く空気を含んだ飴は若干白みがかり、滑らかな光沢を発している。
食感もまたかなり違い、先ほどのものはジャリジャリだったのに対し、今度のものはシャリシャリと砕ける。飴を噛むのが癖である私にとって、どちらが良いかは言うまでも無いだろう。
左が一回、右が三~四回引き伸ばしたもの
その違いは見た目にも顕著に現れている。ほとんど練らなかったものはゴツゴツと荒々しい外観なのに対し、練ったものは角がなくなり、そして輝きも柔らかい。
これが飴を練る意義なのか。私は妙な納得を覚えながら、外の寒空を眺めていた。
窓の隙間から冷たい風が吹く中、私は額に汗をにじませながら食器を片付けた。熱さにやられた指先は、まだ赤い。
飴の夢を見ることは、もう二度となかった
夢の中で、私は飴を伸ばしていた。それは実際に作ってみる前の私のイメージであり、そしてそれは現実とは違っていた。飴の熱さ、飴が冷えて固まる速度など、考えもしなかった事だ。
飴作りは、伸ばしてたたんでの練りこみが極めて肝要である事も分かった。素手ではなく何か器具を使って、あるいは熱さに強い手袋をはめて、もっと熱い段階から練りこんでいたら、さらに見た目も味も異なってくる事だろう。
そんな事を思いながら、私はモツ煮をつついていた。