入ってみると受け付けがある。ここまでは普通だが妙に広い。
居酒屋なのに、道がある
まず一歩足を踏み入れると大きめの受付がある。大きな居酒屋チェーンならこれくらいあるかもしれないが、大きく違うのは道があること。なぜ通路でなく、道か。それは家があるからだ。
そしていきなり家がある。こちらは日本家屋風
家がいっぱいあってもはや街だ
受付の角を曲がると日本家屋がある。そしてその奥にもまだ三軒ある。家、家、家、家……たしかにこれはアットホームな居酒屋ではない、住宅街な居酒屋だ。
真ん中から右と左で家が分かれている。今、居酒屋にいるはずが、住宅街の道にいる。
中もしっかり家である
ためしに一つ中へ入ってみよう。玄関があって靴を脱いで上がるスペースがある。ここまでは個室のある居酒屋で見たことがある。
だが、その後キッチンがある居酒屋なんてあるだろうか?
LDKであり、居酒屋の客席という異空間
どうしてこんなことに?
このお店、悟天は北高崎駅から15分ほど歩いたところにある。
ロードサイド型店舗があり、住宅地が続く郊外の風景が広がっている。まさに住宅街の中に住宅街居酒屋があるのだが、来る途中におや?と思った。
このお店の立地は住宅展示場に挟まれているのだ。
右の黄色い建物が悟天、左に住宅展示場の案内看板とその先に住宅展示場
左に悟天、右が住宅展示場。住宅展示場に挟まれているのだ
元は住宅展示場だったのだ
「そうそう、元々は住宅展示場だったんですよ。そこを居抜きで借りたんです。
前の会社がそのままにして出て行っちゃったらしくて、つぶすにしても何千万とかかるから困ってたんですって。それをうちの会社が二年前に見つけてきてそのまま使ってるんです。」
悟天の店長の大久保さんに聞くと、いきなり答えがでてしまった。ここは住宅展示場の居抜きなのだ。
へんな作りだな~という店は居抜きである場合が多いが、ここまで規模の大きい居抜きマジックはない。居抜きイリュージョンと言ってもいいだろう。
一軒家のモデルハウスなので二階にもいける
子供部屋に使われるのだろう屋根裏部屋的なスペースも客席に
住宅展示場をそのまま使っている
「キッチンを作ったのとフロントをいじったの以外は基本的に全然手を加えてないんですよ。小さい席とかみました?あそこは子供さんが喜ぶような部屋。
あとはキッチンはいたずらされるので水を止めて、トイレも男女共用で使っちゃうときたなくなっちゃうので全部閉めました」
電動バイク?装飾備品もそのまま
インターホンもモデルハウスそのまま
モデルハウスなので備品が一番いいやつ
「シーリングファンがついてるでしょ。住宅展示場なんで備品も全部いいものを使ってるんですよ。お客さんにいいもの見せないといけないので。
電球なんかにしても一番いいものを使ってるんです。逆にそれを維持するのが大変で。外しちゃったりしてますね」
居酒屋でなく家っぽさの原因はこういう細部にある。あとで飲んでいるときに気づいたが、テーブルが突き板でなく本物の一枚板のようだった。居酒屋でそんな店そうそうない。
住宅展示場だったので、備品が全部一番いいものらしい。シーリングファンもついてるし…
「逆に維持費がすごいんです。電球も一番イイやつなので外してるくらいです」
コンセプトまでそのままだ
――4つの家があるようですが
「ここは大きな体育館に一軒家が4つ入ってるみたいな作りになってます。家はそれぞれコンセプトが違って、古民家、サンタフェ風、モダン住宅、メルヘンになってます。コンセプトっていっても前の会社がつけたものなんですけどね」
なんせ内装もそのままなのだから、コンセプトもそのままだ。もはや、家を売るか酒を売るかのちがいだけなのだ。
テーマ『古民家』(前の会社がつけた)
テーマ『サンタフェ風』ヌード写真集のタイトルで市民権を得た感がある
―― ここの部屋がいい!とか指定してきたりするんですか?
「部屋を指定で来られる方も多くいらっしゃいますね。一番人気だと、やはりメルヘンあたりが女性の方に人気ですね。
あとこういう変わったスペースなので、コスプレパーティーをされる団体がいらっしゃったりとか。」
"家"目当てのお客さんもいる。大小さまざまな"家"があるので満足いく"家"感を味わえるのだろう。
テーマ『モダン住宅』から。お父さんの書斎となりそうな部屋でも飲む。
テーマ『メルヘン』の装飾だけの部屋、「こびとの部屋」だそうだ(前の会社によると)。居酒屋にこんなとこあるだろうか。
―― ここむちゃくちゃ広いですよね
「全部埋まれば300席くらいありますよ。住宅展示場の商談スペースも客席にしましたし、奥の部屋見ました?あれは前の会社の事務所なんです」
脱衣所かなというスペースも、屋根裏も、ここでもあそこでも飲める。はたして、こんなにも人は家で飲みたいのだろうか。
間仕切りがあるのは商談スペースだったから
パーティースペースの一番隅が殺風景なのは元が事務所だったから
その実態は繁盛店だった
―― 住宅展示場で居酒屋やることの不安はなかったんですか?居酒屋といえば、みたいなイメージと全然ちがいますけど……
「そうなんですけど、うちの居酒屋チェーンは群馬でけっこう強いので口コミでどんどん増えていって週末は全部埋まったりしますね。
元住宅展示場というのもここでだからこそできる形ですよね。都内では絶対やれない広さだと思いますよ」
なんと、先ほどの心配はよそに、ここは人気店だったのだ。一体、ここで飲む魅力とは何なのか?ここからは実際に飲んでみることにした。
ここで本サイトから林(左)、高崎出身だというテクノ手芸部の吉田氏(右)を迎えて実際に飲むことにした
高崎まで家飲みしにいく
本サイトからウェブマスターの林氏が、高崎出身だというテクノ手芸部の吉田氏がそれぞれ仕事帰りに駆けつけてくれた。
両者とも飲むためだけに高崎まで来たのだ。それも住宅街の居酒屋に。
感覚としては「カニの本場、北海道までカニ食いに行く」と同じ感じで「住宅街の本場、高崎まで家飲みしに行く」といったところだろう。
家飲み界の最高の贅沢がはじまろうとしている。
「何食べる?有り合わせのものしかないけどさあ」そんなこと言ってそうであるが…
手元には突き出しがあるという違和感
この違和感はすごい
店内は間接照明とBGMのJAZZのせいで、和風創作ダイニング個室系居酒屋なのかな、という雰囲気もある。
だが目を閉じるとそう、新築に住み始めた友人に招かれ、カバン置くとこどこ?と聞いてしまいそうな整然としたダイニング。奥さんに手土産のマカロンを渡し「実はぼく食べたことないんですけどね(笑)」と言う自分を想像してしまう。
人ん家(ひとんち)だ!ここはおしゃれな人ん家だ!
飲んでいると、ここは隣にいる林か吉田の家なんだろうなという感覚が常にある。
「奥さんどこにいるんだろう?っていう気はずっとするね」と林が言う。まさにそんな感じだ。
店員がビールを運んできても「おかまいなく」と言ってしまいそうな、ある種の緊張感。人ん家も住宅街居酒屋も飲み始めはいつだってそんな感じだ。
「(ピンポーン♪)どちらさまですか?」(実際は厨房にオーダー中)
外の家飲み、始まる
アサヒビールのページにあった「家飲みの魅力とは?」からメリットを抜き出してみると、終電や服装、あらゆることに気をつかわなくてよいこと、経済的であることなどがあげられていた。
しかし基本的には外食であるため、その中で通用するのは「リラックスできる、落ち着く」のみであった。
やはりこれは家飲みではない。そんなことを痛感した。
[参考]アサヒビール ご繁盛サポートネット「家飲みの魅力とは?」
「中学んときの写真!?」(実際はメニュー)
塩キャベツ、たこわさ…ものすごく居酒屋っぽいメニュー
家のよさも出てきた
四人組の女性客が入ってきて隣のソファ席に通された。そのときにふと「ようこそ」という気持ちがわいた。
ちなみにメニューの注意書きページに「ナンパお断り」と書いてあった。なんとなく「一つ屋根の下」で飲んでる感じはあるので、ついつい話かけてしまうのだろう。
次第に、あっちで妹が飲んでる、というような気分になってきた。唐突に兄妹が増えたりする、この家力(いえぢから)すごい。
「勝手に上がりこんで飲んでるみたいな感覚」と吉田
酔いが回ったころでも静かだし、人んちが過ごしやすい場であることに気づきはじめる
しかし唐突に店員が入ってきて、家ではないことを再確認する
これは夢か
「勝手に上がりこんで飲んでるみたいな感覚」と吉田さんは言う。なるほど、どろぼうの酒盛りだこれは。わっはっは、と酔いも回って陽気になってくる。
トイレに行くと他の家からも笑い声だけが家の中から聞こえてくる。日曜7時の住宅街を通り抜けているような感じなのだが、お客さんの姿は見えない。
私たちはもう死んでいるのかもしれない。そんな気さえしてくる。
早くお家に帰ろう、そんな思いでトイレから出ると急ぎ足になる。今や、私たちのお家は高崎にある居酒屋のサンタフェ住宅のダイニングにあるのだ。
寒空の下、人んちの団欒をのぞき見るような感覚だ
東京タワーを居抜きで借りて居酒屋にしたい
居抜きマジックはすばらしい。一瞬でへんなことになってくれる掛け算のおもしろさだ。
構造改革やスクラップ&リビルドという言葉が流行ったあと、とコラボやマッシュアップなんていう言葉がでてきたが、居抜きマジックはそんな時代に合っている。つぶして再生というよりは、前のものに掛け算して新しい楽しさを生み出す。こういう店がもっと増えればいいと思う。
サッカー少年は、国立の緑の芝生を思いっきり駆け巡ってスライディングしてみたい、と思っている。
そしてかつてのサッカー少年は、国立競技場を居抜きで借りた居酒屋に入りたいと思っている。
緑の芝生の上で思いっきりたこわさを食べたいと願っているのだ。