左から林(痔ろう)、西村(不明)、私(キレ&イボ)痔主の三人が集う。酒の肴は林の診断書である。
ぼくたち、おしりの三銃士
出発は夜、新宿で酒を飲むことから始まった。
アルコールは痔の大敵である。今回の旅のゴールは神様に治してもらうことなので、それまで痔をいじめぬくのだ。
酒の肴はおしりの話。
さすがは同じ悩みを抱えた者同士である。独特な接客術がある、おしりカメラ(胃カメラみたいなもの)の映像は驚くほどダイナミック、などなど肛門科あるあるで話の種はつきない。
林が痔ろうを治したときの写真。予想に反して、カラー写真であった。
おしりカラー写真に意気消沈
林が自身の診断書を持ってきて、話がまた盛り上がる。
こうして同じような境遇の三人が書類片手に旅の計画を立てていると、盗み前のキャッツアイのような気分になる。おしりの怪盗三姉妹である。
これもおもしろいだろう、と林が出したのはその時の手術写真だった。
てっきりレントゲン写真かと思っていたら、鮮明なおしりカラー写真だった。これはきびしい。
お遊びが過ぎた。心の消灯時間がやってきた。私たちのおしりは本当に治るのだろうか?と不安になってきた。
続いてバスのりばに移動。次も痔主にとってやってはいけないことの一つ、夜行バスである。
その後夜行バスに乗る。手の「J」マークは痔のJ
神戸まで3,000円のバス
おしりの血行が悪くなることで痔を引き起こす。長時間の座り仕事などはまさにそれで、夜行バスも当然だめ。
しかも林が用意したのは神戸まで3,000円の4列シート。激安激狭シートである。
都庁の駐車場というリアルにファイトクラブが行われてそうな場所に集合してみると、若者であふれかえっていた。
若者は夜行バスのシートを血に染め上げたり(※)しないのだろう。ガラスの十代に対してガラスのおしりの三十代。完敗である。
※痔の人でもそんな人はいないが
サービスエリアではおしりの無事を確認しあう
もう一人の私との対話
同行二人。お遍路は一人であっても弘法大師と二人で行くようなもの、という意味である。
私たちにはその気持ちがよくわかる。
私たち三人にもう一人の私たち(※)が三人。合計六人。4列シートの座席は、前の者がシートを傾けるとヒザに当たるくらい狭い。六人が座るには狭すぎるのだ。
サービスエリアの休憩では、お互いの無事を確認し合う。私ともう一人との私と、あと4人のこと。
出発時には点呼が6回。一人でも置いていけたら今後の人生どれだけ楽だろうか。
※言うまでもないが、痔のことである
神戸に着く。体はガタガタ、おしりイガイガである。
天気晴朗なれど、尻荒れし
神戸は晴天の空模様。しかしアルコールと高速バスによって、おしり模様は荒れ放題である。
その後朝食を摂り、バスが着いた三宮から長田に移動。
長田には鉄人28号の像があるらしい。その鉄のおしりにあやかりたいものだ、と見に行くことにした。
鉄人28号像。全くの余談であるが、鉄人ポーズをしようと林が提案し記念写真を撮ったら…
鉄人衣笠も痔なら凡人衣笠
鉄人といえば、あの鉄人衣笠も痔主であったら、2215試合も連続出場できなかったであろう。鉄人とは鉄のおしりを持つ者のことを言うのだ。
ところで歴史に痔のたらればは禁物であるが、偉人が痔であると本当に歴史は変わる。ナポレオンは痔であったからワーテルローの戦いで敗れたのだという。
[参考]痔の散歩道『ナポレオン 余の辞書に「痔」はある…』
カタそうなおしりだ
鉄人は痔ろうだ
よく見ると鉄人のおしりから何かがたれている。雨水だ。
「鉄人は痔ろうなんだ」誰かが言った。
痔ろうとは、おしりの近くに穴があき、うみが出てくる病のこと。痔でも重いやつである。
私たちがすがろうとした鉄のおしりは痔ろうであった。結局、痔のない世界なんてどこにもないのだろうか。
青い鳥はどこにいるのだろう。私たちが探し求めるおしりの青い鳥は本当にいるのだろうか?
何かがたれている?
なんとおしりから雨水がたれていた。鉄人のおしりは痔ろうだったのだ。
長田神社で痔の祈願
そして旅は目的地である長田神社へ。
長田神社は日本書紀に出てくるほど由緒ある神社である。神社の境内にある楠宮稲荷社に痔を治してくれるご神木があるという。
いよいよ痔の平癒を祈願する
おしりを治すにはエイを絶つ
痔の平癒を祈願するには、エイの絵が描かれた絵馬に願いを書くという。
この神社には、当時よく食べられていたエイを絶って願掛けしたら痔が治ったという逸話があるのだ。
みんなおしりがつらいのである
絵馬に住所は禁物
「年末に古いやつを外させていただいたのですが」と、禰宜(※)の佐々木さんが絵馬を前にして言う。それでもこの数である。
これだけ同じ悩みを持つ者がいるのだ。なかなかに壮観で力がわいてくる。ここがおしりのパワースポットというのは本当だろう。
「昔から絵馬に書くのは名前くらいにして、住所まではね。あの人、痔やわ、とばれてしまうんでね」と佐々木さん。
なるほど、痔はばれてはいけないものなのか。
※ねぎ、神社の役職の名前
家族全員の健康と仕事運を祈っている文面だが、効果は主におしりに顕れる
私たちを感嘆させたあいうえお作文。山田君、ドーナツ型クッション一つ持ってきて!
その口ぶりが気になる
痔が治ったという話はあちこちで聞くそうだ。
「ただこちらから、具合どうですか?と聞くわけにもいかないですしね」と佐々木さんは言う。
正確な人数が分からないので、とご利益については遠慮されていた。
近年のパワースポットブームについても「痔のパワースポットだとお友達を誘いにくいでしょうから…」と無関係だそうだ。
何かひっかかるなと思ったが、その引っ掛かりは痔の捉え方の違いだ。佐々木さんのそれはムラ社会のそれなのだ。
当サイトにはZくんというキャラクターが存在するが、ここで使用されるとは思わなかった
おしり2.0
佐々木さんのお話では痔が恥ずかしいものとされており、少なからず違和感を覚えてしまう。これは世代間のギャップによるものではないだろうか。
旧ムラ社会特有の閉塞的な扱いに、おしりはうんざりしてうっ血しては腫れていた。
しかし、もはや戦後ではないのだ。
ミニスカートが流行し風通しがよくなり、ゴーゴーダンスでおしりの血行もよくなった
今では私たちの痔はもう心のなかで「ジ」いや、「THE」と称しているくらいライトな扱いである。どうかおしりの地位の向上を神社の方にも感じてもらいたいものだ。
「世界人類のおしりが平和でありますように…」
節分行事、追儺式の鬼面が販売されている
節分で鬼を見る
この日は節分で、長田神社では追儺式という神事が行われる。
この鬼がなんとも古風な恐ろしさで味わい深い。これを見るのが旅のもう一つの目的であった。
林は「尻くじり鬼」という鬼面を買っていた。鬼面を買う大人を初めて見た。どこに惹かれたのかは聞くまでもなかった。
うどんが売られている。鬼がついたという餅が入っている。働かされているぞ、鬼。
とにかく寒いのだ、温かいうどんが泣くほどうまい
温度に歓喜の声を上げる
この日はあまりにも寒かった。
うどんを食べると温度が入ってきた、と体がうれしい悲鳴を上げた。もちろん一番大きな声を上げたのはもう一人の私であった。
拝殿から地響きのような太鼓の音と、幾重にもなるほら貝の和音が聞こえてきた。鬼だ。鬼が出てきたのだ。
鬼が出てきて。たいまつをふりかざして踊る。同じような踊りが4時間つづく。
ストイック神事
太鼓がドーンと一回打ち鳴らされると、ほら貝がブオーと一斉に鳴らされ、鬼が踊る。足を踏み鳴らし、松明を振りかざす。
それが延々と繰り返される。時間にして四時間である。
他の節分はタレントが豆まいてキャーである。対してこのストイックな時間の流れはどうだ。
あの屈強な鬼たちに私たちが失った何かを見る
失われたしりを求めて
鬼のおしりはふんどしで締められていた。
お清めで水をかぶり、ふんどしで締め上げる。冷やして締め上げては血行も悪いはずだ。
それでも鬼たちは威勢よく裸足を踏み鳴らす。高らかにたいまつを振りかざす。
私たちが失って久しいものを遠くから見ている。もうあの世界にはたどり着けないのだ、と。
「大丈夫か?」「大丈夫だ」鬼のしりとテレパシーで対話するもう一人の西村
幻想的であり力強い儀式だ。ストイックな時間の流れ方が古式を感じさせる。
たいまつがお守りになる
鬼が使ったたいまつの燃え残りは、家の軒先に吊るしておくと魔除けになるそうで、縁起物として売られている。
西村が喜んで買い求めていた。おしりの先にぶら下げるのだろうか。
一家の長として家族へのお土産にするのか?それとも自身の尻先にとりつけるのだろうか?
クライマックスをようやく迎える
この儀式のクライマックスが餅割の儀。辺りが暗くなった六時から始まる。
ここまで四時間。踊りに変化はなかった。
昔の人のエンターテイメント時間というのはこれくらいの速度で流れていったのかもしれないとふと思った。
さすがに現代の私たちは、飽きと寒さでへこたれていた。そしてそれはパラレルワールドの私たち(※)も同じ思いだった。
※言うまでもないが痔のことである
この「出たぞ」感。マイケル・ジャクソン級である。
壮大なギャグじゃないのか
この餅割の儀の二匹の鬼役(禰宜の佐々木さんによると鬼の単位は匹らしい)として出てくるのはここ長田の集落の男たちにとって最高の名誉であるらしい。
この儀式がすごい。鬼が出てきて餅を割る。それで30分持たすのだ。
どうやってもたせるか?その答えは「割りそうで割らない」繰り返しにある。
餅割るぞ!(声もないのでジェスチャーで判断)
割りません!(声もないのでジェスチャーで判断)
今度こそ餅割るぞ!(声もないのでジェスチャーで判断)
振りかぶって(声もないのでジェスチャーで判断)
わらない!(声もないのでジェスチャーで判断)
道具とりかえよ!(声もないのでジェスチャーで判断)
早く割ってほしい
神事に腹を立てる現代人
大人気ないことだし、古式であることを尊重したいのだが、いいかげん早く割ってほしい。雪も降ってきた。しりが、しりがまた悪化してしまうではないか。
しかしその時。どうせまた割らないのだろう、と思っていた鬼が餅を割り、どうしてそのスピードを餅割りに生かさないのだと思うほどの速さで去っていった。
あのやろう。
鬼に対してこんな思いを抱いたのは初めてだった。
と思ってるところに割ってピューッと帰る鬼
旅のおわりに、合格発表
旅はいつか終わる。このおしりの旅の終わりも近い。
鬼を見た私たちは大阪の私の実家に移動した。私の父はいわゆる町医者で痔の診断に定評があるらしいので西村の痔を診てもらうことにしたのだ。これを旅の終着点とする。
旅はまだ終わらない。翌日の朝、私の実家にて。
「これからおしりを診てもらう人とごはん食べるのは緊張しますね」と西村が言う。
「相手の目を見る前に殺れ」そんな余計な感傷を持ち込まない殺し屋のルールが今となってはよくわかる。
念入りにシャワートイレを使う西村
病院に着いてもシャワートイレにこもる
朝だけで三回目のトイレに行く西村
TOILET完全制覇
トイレを見かけるたびに西村は入っていく。シャワートイレで念入りにおしりを洗っているようだ。
西村が肛門科に診てもらうのは二度目であるが、まだまだ緊張しているようだ。
一度目の西村は「なんともない」と診断されていた。だがそれが逆に今の不安をもたらしているようだった。
西村が書いた絵馬には「おしりの具合がそんなに悪くありませんように」とある。合格発表はもうすぐだ。
「なんともないっていうことはないと思うんですけどね‥‥」と西村は言う。
もう一人の自分は本当にいるのか?そしておしりの青い鳥は現れるのか?その答えが今出ようとしている。
父が仕事仲間の尻を診る。夢を見ているかのようだ。
西村さんの心中はさておき
持病はないか、アレルギーはあるか、と愛想もなく素早く診断を進めていく。
西村の心中をさておいて、私は父が淡々と診断をし、元気に働いているところが見られて嬉しかった。
そしたらちょっと診てみましょうか、と西村は別室に案内された。
表情はずっと硬かった
初めて見る父の仕事ぶり
「そしたらここにね、横になってもらってズボンとパンツひざまでおろしてもらえますか」
看護師さんの声が聞こえてくる。なつかしい。私も昨年末にこれをやった。
あの時の医者は独特だった。「いいか?ちょっと痛いけどな、がまんしろよ、大事なことだからな」兄貴分として接するという特異な接客術を持っていた。
林が痔ろうで診てもらったのは「すごくいい」とやけに褒めてくる医者だったという。
肛門科は気恥ずかしさを伴う場所なので、キャラクターを作った接客術が受けるのだろう。
そう思っていたが、私の父はちがった。ただ「素早くやる」というスタイルだった。
西村の合否判定は早かった。マークシートを機械が読み取るかのように。
そう、おしりのセンター試験が始まったのだ
この間仕切りの奥で、仲間が父にしりを診てもらっている
ようこそ、素晴らしき世界へ
「ああ、しこりあるわ。西村さんここ、うみがたまってますわ」
西村の反応を待たずに父は続ける。
「肛門周囲膿瘍いうてね、うみがたまってるんです。今から切ってうみを出しますわ」
確定。おしりが化膿してしまった痔の一種である。これが進めば林の痔ろうになる。
食い込んだ爪の痛みで私は拳に力が入ったのがわかった。同時に、私は西村の病状を何も応援してなかったこともわかった。
実は私は西村の結果が何もなかったとき、この記事の西村をいなかったことにしようと考えていた。
ようこそ西村さん。ようこそ私たちの世界へ。ウェルカムパーティーのクラッカーを心で鳴らした。
いなかったことにされる西村の例
いなかったことにされる西村の例その2
即、手術です
「切開します」と父が声をかけて、部屋の中はあわただしく準備する音が聞こえる。おしりの2次試験が始まるのだ。
え?と驚く西村を尻目に(※)手術が行われようとしていた。
「ちょっとチクっとしますからね」麻酔の注射が打たれたようだ。続いて少しの金属音。患部を開いてうみを出してるのか。
「しばらくじっとしててください」と言い残して父たちが出てきた。ものの2~3分で手術は終わった。2次試験の判定も早かった。
仕切りを開けてみた。タオルをかけられた西村が寝そべっていた。
そこにもう一人の西村はいなかった。
※本稿のハイライト
そこに西村は"一人"でいた
西村まさゆき
「肛門周囲膿瘍」
一年ほど前から違和感はあった。違和感と共に血が出てくることが多くなってきた。これは、たぶん痔かもしれない。
といっても、そんなに痛みもないし、ほったらかしでも何ともなかったので、そのまま放置していた。
しかし昨年の夏、出血がひどくなり、名古屋で取材中に歩けないぐらいまでにお尻が痛くなった。
家に帰ってから「デリケートな部分」に効くといううたい文句にほだされ、藁にもすがる思いでフェミニーナ軟膏を塗ってみた所、薬が傷口にしみて「ひーっ!」と10cmほど飛び上がってしまった。
トイレの手すりを握りしめ、痛みに悶絶しながら、インディーズな民間療法を安易に試した事を後悔した。
さすがにその時は、近所の病院にお尻を診てもらいに行った。
しかし、先生の見立ては「ちょっと腫れてるけれど、特に今どうこうするほどでもでもない」とのことで、痔なのかどうかがハッキリしなかった。
血が出てるのに何ともないってどういう事だと若干の不満はあったものの、処方された軟膏を塗ったら良くなったので、またほったらかしにしてしてしまった。
喉元過ぎれば熱さを忘れる、ぼくのニワトリ並みの学習能力の低さが露呈したところで、話はさらに半年進む。
今度は膿が出てくるようになってきたのだ。
さすがに膿が出始めると、病院に行くのが恥ずかしいというような次元をこえて、こわいの感情が大きくなってくる。
病院に行かなければ……と思っていた所での今回の旅行だった。
そして、痔の平癒祈願に加えて、なぜかライター大北さんのお父さんにお尻を診てもらうことになった。
前日、大北さんの実家に泊めていただき、朝食を大北さんのお父さんと一緒にいただいた。
これから、診るもの、診られるものに別れる両者が相まみえて同じ食卓で朝食をとる。歴史小説っぽいシチュエーションだけど、ただの痔の診察だ。
そして、病院に移動しいよいよ診察。
大北さんのお父さんは、ぼくのお尻を見た瞬間「あー、肛門周囲膿瘍やな」と判定してくれた。
しかも今すぐ切開して膿を出し切るという。そんな、政界みたいに今すぐ膿を出しきらなくてもと思ったけど、あれよあれよという間に麻酔され、切開され、膿が出てきた。たぶん、今なら政界よりぼくのお尻の方がクリーンだ。
麻酔が切れて行くに従って切開された痛みが増して行く。ただ「肛門周囲膿瘍」という病名が付いた事で、痛みと反比例するようになぜか安堵の気持ちが増して行く。
これからは胸を張って、堂々と痔と主張できるのだ。
何も恥ずかしいことはない。痔なのだ。
待合室で診察の結果を待ってくれていた林さんに「肛門周囲膿瘍でした」と報告したら「あ、それ僕と全くいっしょですよ!」と喜んでくれた。なぜ喜ぶのかわからないけれど、その時は「あ、そうなんですか!」とぼくも一緒に嬉しくなってしまった。痔の喜びを共有できる人が近くていて、本当によかった。
なぜか清々しい気持ちになり、大北クリニックを後にした。
寒いながらも、よく晴れた二月の土曜日であった。
寝そべった人の声は細く弱々しいものだ
一体なぜこんなことに…
西村は麻酔が切れてきたようだ。切開した部分が痛くなってきたとしきりに言っていた。
父から「東京に戻ったらむこうのお医者さんに術後の経過を見せてください」と言われていて、ああこの人は大阪で痔を切開したのだな、とハッとさせられた。
この後彼は新幹線に乗る。大阪と東京のスーパーの違いを見つけたいとも言っていた。
彼の代わりに私が言ってあげよう。何もこんなところで切らなくてもよかったのだ。
別室で待っていた林とべつやくに拍手で迎えられる
こんにちは、新しい西村さん
うみを出した西村は別人のようだった。緊張がぐっとほぐれていて表情も柔らかい。
えらいことになりましたね、と声をかけると、それでも正しい診断が下ってよかったと西村は言っていた。
別室で待っていた林とべつやくが新しい西村を拍手で出迎えた。それは新しい西村が生まれたことへの誕生日祝いのようであった。
「それ僕も同じ状態でした」と林
特別寄稿:林雄司
■利己的な《彼》
利己的遺伝子という理論では肉体は遺伝子の乗り物だということになっている。
それは我々痔持ちからすると直感的に理解できることだ。
過度の飲酒、座りっぱなしの生活、乱れた食生活が続くと痔が悪化する。《彼》がやってくるのだ。
そうなったら最後、1日の行動はすべて《彼》にいいかどうかが基準になる。飲まない、腸を意識した食事、適度な運動、ゆったりとした入浴。
主導権は《彼》が握っている。
飲み会も断る。エロスにも勝る。自分なんてものはない、僕はまさに乗り物だ。
(利己的遺伝子を広めたドーキンスもきっと痔だったんじゃないだろうか?)
■神戸に行かねばならない
いまデイリーポータルZのライターふたりのところに《彼》がいるらしい。大北栄人と西村まさゆきの両名だ。
長田神社に連れて行かねばならない。
長田神社のなかにあるお稲荷さんにアカエイの絵馬を奉納すると痔に効くというのだ。
これを聞いて、痔のために神戸まで?と思う人もいるかもしれない。
だが違う、いまふたりの主体は《彼》なのだ。西村と大北という乗り物に乗っているだけだ。神戸に行くのもその《彼》のためである。合理的な話ができる相手ではない。
早々に神社にアポを取って日程を決めた。高速バスの予約もした。
ふと思うのは、今ふたりを操っているのは痔ではなく、確実に僕だ。
僕がでかい痔なのかもしれない。
痔を切除した僕そのものが痔になっているというのはなんのカルマだろうか。
■青春を取り戻す
いまいちばん辛いのは西村さんらしい。高速バスの長時間移動に耐えられるだろうか。
西村さんは途中のパーキングエリアで痛さに耐えかねて降車を申し出るかもしれない。
「………おれに、構わず行ってくれ…」
痛みに耐えながら声を絞り出す西村さん(と彼)。
バスの後ろのガラスを覗くと。ネットでよく見かけるorzみたいな姿勢のまま遠ざかってゆく西村まさゆき。
そういうシーンが見られたらなと思って高速バスにした。
今回の旅は僕らの青春をとりもどすための旅でもある。
■旅の終わり(もしくは始まり)
旅の様子は大北くんが書いた本編に譲る。
お参りをしたせいが僕はすこぶる好調である。10代にもどったような気すらする。西村・大北の両名も表情が明るい。旅は終わり、僕らは平凡なライターに戻ることができたのだ。
うれしさのあまり広告のような画像を作るほどである。
もう一人の自分との出会いと別れ
旅は何もしないでぶらぶらするものだという認識だったが、何か明確な目的がある旅もいいものだ。
今回はその目的がお参りだったが、例えばお伊勢参りもそうだ。弥次さん喜多さんの旅にも大きな目的があったからぶらぶらできたのだ。
弥次さん喜多さんは陰間、おかま仲間だったらしい。それなら痔はつきものだったろう。
私たちの東海道中膝尻毛はここで終わるが、本稿を書き終えた今もう一人の私はまた元気を取り戻したようだ。
やまいだれに寺である。ゆりかごから墓場まで、私はもう一人の私とこれからの人生を歩む。
手術費を下ろす西村。この後はずっとガーゼで過ごすことになる。重ねて言うが、何も旅先で痔の手術しなくてもよかったのではないか。