天候悪し
一月二十日は東京に一ヶ月ぶりだという雨が降り、雪に変わった。
雪が積もると撮影は大変になるが、かえっておもしろくなるだろう、そう思って新宿の公園についてみると雪がない。
ただ雨が降っている。ぬれた地面がやる気を削ぐ。
普通の撮影での筆者。笑顔を作るも限界がある。
「やりますか?」
安藤カメラマンが声をかける。やる気である。
カメラに詳しい安藤さんは、今回のような特殊な撮影方法について、的確なアドバイスをくれる。
人形としても存在する鼻でか
鼻でかの写真に必要なのは魚眼レンズと呼ばれる特殊なレンズだ。しかし私の所有するレンズはセミフィッシュアイ、半魚眼といったものだったのでうまく撮れる保証はない。
「やりましょうか」とにかく撮らなければ始まらない。私の合図で安藤カメラマンがシャッターをきる。
鼻とメガネにピントが合っている。人間は鼻とメガネ以外は全ておまけだという強い意思を感じる写真になった。
鼻でかし
「ああ、うん。いいですよ、こんなんじゃないかなあ」とカメラのモニタを見ながら安藤が言う。
「ほんとですか?ちょっと代わってみましょうか」にわかに信じられなかった私は、カメラを奪い取って安藤を写真に撮る。
カメラマンの安藤も。大いに鼻である。
体も入れる
鼻だった。立派に鼻が写っていた。かわいいかどうかはわからない。だが私こそが鼻である、といった強い言葉を発する鼻が写っていた。
「でもあれかなあ、体が入っていた方がいいのかもしれないですね」
かわいい要素を引き出そうとする安藤の誘いに乗ってみて地面に手をついてみる。冷たい。
「あ、かわいいかわいい。やっぱり体ですよ」
安藤と私はともに30代で子供もいる。世間的にはおっさんに分類されるだろう二人が、グラビアモデルとカメラマンに分かれて「かわいい」を連呼する。
「いい。かわいいかわいい。あ、かわいいですねー」
照れた。おっさんがおっさんにかわいいと言われて照れるのはまずいと思ったが照れてしまった。
虚構であったグラビア世界に今当事者としている。もしかしたら私が夢みていた世界はここだったのかもしれない。そんな思いさえ、頭をよぎった。
「ちょっと横から撮ってみましょうか。あ、かわいくないねー」
「あ、かわいくないねー」「横からはかわいくないねー」
やわらかな罵倒がつづく
「うんうん、かわいくないねー」
「これもかわいくないねー、やっぱり横はだめですわ」
横に回りこむカメラに対してこびへつらった笑顔を作るも、安藤の評価は一向に上がらない。
かわいくないなら横からの撮影をやめたらどうかな、その言葉が何度も口をついて出ようとしていた。
グラビアは一対一の真剣勝負である。一度シャッターが切られたら、「おつかれさまでした」の言葉がかかるまで、被写体はカメラマンの欲求に応え続けなければならない。
この真剣勝負を止めてはならない。「かわいくない」と言われる私であるがそれくらいのグラビアアイドルとしての自負はある。
「うん、かわいくないね」「やっぱり横だめだねー」
鼻でか完成
ひと通り撮ったあと、写真を見返しみる。
「あ、ほら、これいいんじゃないですか!?」
安藤が声を上げる。そこにはかわいらしい犬が写っていた。
おっさん?‥‥いや、かわいい犬だ!遠くから見るとかわいい犬がここにいる!
かわいい犬っころのような私だ
かわいらしい犬だと思ったそれは私だった。なるほど、たしかに体を入れたことで全体のコンパクトさが出ている。
見上げる視点が従順さを演出し、こういうペットを飼いたいと思わせる。犬の独特な撮影方法は理にかなっているのだ。
私が撮った安藤カメラマンもKAWAII!
次は、かつて流行ったねこ鍋をやってみる。本屋に同じ方向の写真集はあった。(「ねこ鍋」の画像検索結果は→
こちら)
つぎは猫に学ぶ
犬のかわいらしさを学んだ後は、猫に学ぶことにした。かつてネットで流行した「ねこ鍋」である。
「ねこ鍋」とは2007年8月にニコニコ動画に投稿された動画が元になっているらしい。もう4年が経つ。
4年前私は20代だった。今やグラビアもこなす30代、一体何があるかわからないものである。
「ああ、これねー」と言う安藤さんは呆れ顔だ。どうしようかという気持ちは僕にだってある。
3~4人用の鍋に入る。虎の屏風を前にした一休さんの心境である。
当然ながら入れない
鍋は3~4人で鍋を囲めるくらいの土鍋である。しかし入るとなると当然1人も入らない。
「入れないとは思うんですけど、それなりに入ってみようと思うんですよ」
そう説明すると安藤さんもやっと納得したようだ。さてどう入ろうか。虎を屏風から出せと言われた一休さんの気持ちだ。
「鍋に入る」という食材としての自分と、思いにふけるポーズで演出した知性が拮抗し、かわいらしさを生む。
入れないドジさがかわいいのではないか
色々と鍋に入ろうとしていた。写真を見返していても、鍋に入りたい、という気持ちだけは見えた。
鍋に入りたいけど入れない。そんなもどかしさがかわいらしさに変わるのかもしれない。
例えばこんな状況を想像してみよう。
「今日からみんなの仲間になる大北クンだ、入りたまえ」
そんな紹介を受けた転入生の女子高生(身長30m)が教室(ドアの高さは2m)に入りたくても入れない。手だけ入れてみたり、覗いてみたり、しまいにはむりやり入ろうとして教室を壊してしまうドジをやる。それはかわいいかもしれない。
想像でさえ「かもしれない」止まりであるが、そんなかわいらしさが人鍋(ねこ鍋に対して)にあるのではないだろうか。
「こっちの方が入ってる率は高い」と言う、自宅にSASUKEセットを作るタイプの人
最後に飛行犬というものを
最後に、最近インターネットでたまたま目にした飛行犬というものをやってみたい。
駆ける犬がジャンプした瞬間だけを切り取って、飛んでいるように見せるのだ。たしかに飛んでいるように見えるが、私個人としてはかわいらしさを理解し難かった。
だがあれも自分でやってみることで何かわかるんじゃないだろうか。
「とりあえず僕やってみますわ」と張り切ってかけ出した。この時点で手を前につき、すでに四足歩行でいた。やる気だったのだ。
スーパーマンのように飛んでるように見せるには、犬のように走り回らないといけない。
だがそんなことは建前でしかなく、犬になりきることが、一つの愉楽となりつつあった。
しかし類人猿にしか見えない
ある程度の速度で前に手をつくのは恐怖だった。本当に犬のように走りまわることは不可能であることに気がついた。
派手に転倒する
何度か繰り返すと前についた手が滑って派手に転倒した。手の平が腫れ上がったように熱と痛みを持つ。
「う~ん、ちがうと思うんですよね」
一向に犬らしさを獲得しない私をもどかしく思っていたのか、安藤が自分でやると言い出した。
こうでしょ?とカエルのような動きで安藤カメラマンも
やはり転倒する
犬は四足だというが、前足二本と後ろ足二本に分かれてタタッ、タタッ、と跳び箱のように跳んでいる。
安藤の気づきは的確だった。しかし実際にやってみると速度も体躯のバランスも違った。
結局犬のように走りまわると派手に転ぶということだけがわかった。
一番よく撮れたものがこれ。飛んでるとは言いがたいポーズだ。
その場で飛んではどうか?
せめて一番いい写真でも選ぶか、とあきらめかけたその時。安藤が気づいた。
「その場で飛んでみたらいいんじゃないですかね?」
流れが変わった。
「もうその場でジャンプした方がいいんじゃないかな」と安藤さん
なるほどたしかに飛んでるに近いが…かわいさはどうだろう
笑顔も足したらどうだろう
確かに今までに比べてはるかに飛んでいる。しかしこれはかわいいのだろうか?かわいさがまだよく分からない。
「笑顔でも足してみましょうか」
「あ、うん、笑顔ですね、やっぱり」
今までにかわいい撮影を繰り返してきた私たちには一つの確信があった。笑顔を作っておけば、たいてい何とかなる、と。
飛んでるかわいい犬がいた
かわいいは作れる(犬のマネで)
かわいらしさの獲得という点で、犬猫の撮影方法をマネするのはある程度有効である。
おっさんが犬のマネをふざけてやってもかわいらしいとは言えない。
しかし真剣に犬のマネをし始めた場合、これは話が違ってくる。這いつくばり、転げ回り、翌々日にはひどい筋肉痛に悩まされようとも、必死に飛ぶ。
そうして「これはおっさんではない、空飛ぶ犬だ」と認識されたとき、おっさんは「かわいい」と言われるのである。
かわいいと言われたいおっさんたちよ、今夜一斉に月に向かって吠えようではないか。