まさか魚の骨が刺さるなんて
この日の夕飯のおかずは、自家製のアマダイの干物だった。
干物や焼き魚は頻繁に食べており、きれいに骨だけを残して食べる技術にはそこそこの自信があったので、喉に骨が刺さるなんていうのは考えてもいなかった。
何事も慣れてきたくらいが一番危ないというが、まあそういうことだったのだろう。
相模湾産アカアマダイの一夜干し。
適度に水分の抜けたアマダイはとてもおいしく、なるべく残さず食べてやろうと、骨の周りの肉までガツガツと食べていた。
骨の周りというか、小骨くらいだったら骨ごと食べてやろうというくらいの勢いだ。
きれいなバラには棘があるのと同様に、こういう尖った骨の周りの肉がうまい。
しっかり刺さったアマダイの骨
食事も終盤になり、ほとんど食べられる部分は食べつくしたかなというところで、よく噛まずに飲み込んだ一口に混ざっていた骨が喉に刺さった。風邪で喉が腫れていたのが悪かったか。
生卵をパックごと落としたくらいに、「あー、やっちゃった」とは思ったが、この時はすぐ自然に取れるだろうと甘く考えていた。
背中に沿って骨が生えた部分を、骨ごとよく噛まずに食べたのが敗因。
魚の骨が刺さった場合の対応を調べる
妻に懐中電灯でのぞいてもらったのだが、事件現場はどうやら肉眼では見えない場所のようだ。
とりあえずネットで骨の取り方を調べてみると、「ご飯をかまずに飲む」というオーソドックスな方法は、より深く刺さってしまう場合があるのでよくないらしい。
「うがい」という安全そうな方法も試したが、場所が奥すぎるために水が届かない感じ。
「餅を丸のみする」、「トコロテンをのむ」、「指を突っ込んで吐く」といったハードコアな方法もあるようだが、やはり耳鼻咽喉科にいくのが一番のようである。
このアマダイは、自分で釣ったものを自分でさばいて干物にして、自分で焼いたものである。全行程がセルフメイド。
それを自分で食べての結果なので、ここまで自業自得という言葉が似合う体験も、そうはないだろう。
耳鼻咽喉科へいきました
もう病院のやっていない時間だったので、この日は喉がチクチクするとは思いつつも、風呂に入って寝てしまった。なんとなくイライラはするが、泣き叫ぶほどの痛みではない。ただ、これからに対する漠然とした不安は大きい。魚の骨なのに。
そして翌朝、起きたらすべてが収まっていて、悪い夢でも見ていたんだくらいの話で終わるかと期待していたのだが、喉の奥はまだしっかりと痛い。悪化はしていないけれど、自然に抜けそうな気配もない。
魚の骨くらいで病院にいくのもどうかと思うのだが、再度ネットで調べると、「刺さっている箇所が化膿した場合は敗血症を起こして死亡する場合も」という都市伝説みたいな記載を見つけた。こうなったらいくしかないだろう。
ファイバースコープで骨を発見
耳鼻科の先生は女医さんだった。いきなり魚の骨が刺さったという話は男として切り出しにくいので、まず風邪で喉が痛いですと、天気の話くらいにさしさわりのないところから攻めてみる(実際に刺さる前から風邪はひいていた)。
そして喉を見てもらっているところで、「そういえば、昨日魚の骨が喉に刺さったみたいなんですけれど」としれっと切り出す。これは何度もシミュレーションしたので、自然な流れで言えたと思う。
先生でも肉眼では見えないところに骨はあるようで、すぐにパソコンとキーボードをつなぐケーブルくらいの太さの内視鏡を右の鼻の穴から突っ込まれた。先生はファイバースコープと呼んでいた。かっこいい。
すぐに先生は「これかー」といい、写真を一枚撮って見せてくれた。
しっかりと骨が直角に刺さっていた。なかなか写真写りのいい骨である。場所は喉の一番奥らしい。
あまりポップな写真じゃないので、せめて青空の下で。ちゃんと画像を見たい人は、しばらく持ち歩いているので、会ったら声をかけてください。
久しぶりに泣いた
喉に刺さった骨は確認できたので、もうあとは抜いてもらうだけだと思ったが、ここからが大変だった。
ネットでみた体験記だと、深海探査艇が海底生物を捕獲するように、先生がモニターを見ながら内視鏡についた鉗子(ピンセットみたいなやつ)で抜いて終わりだったのだが、この病院の内視鏡は、カメラだけで鉗子がついていないらしい。
そういうのは大学病院みたいな大きいところにしかないそうなので、ファイバースコープの映像を見ながら、長い鉗子を喉に突っ込んでの作業となる。デジタルとアナログの融合だ。これでだめなら大学病院。
鼻からカメラ、口から鉗子だ。ポッポー(効果音を変えてお送りしております)っとなるのは確実なので、まず液体の麻酔薬で三分間うがいをする。喉が痺れてくるとうがいがしづらくなるけれど、ここでしっかり麻酔をしないとこのあとが辛いので、ポッポーに耐えてうがいを続ける。
麻酔を終えると、診療用の椅子に深く腰を掛け、猫背になって顎を出し、肩の力を抜いて、大きく口をあけてガーゼで自分の舌を引っ張るように言われた。相当情けないポーズである。よかったらやってみてほしい。
再現写真。黒目が小さいことにびっくりした。
いくら麻酔をしたとはいえ、やはり喉の奥に鉗子が突っ込まれるのを、黙って耐えられる訳がない。鉗子を入れられるという気配だけで反射的にポッポーポッポーとなってしまう。
先生は楽にしてというが、楽じゃないので無理だ。だが、ここで抜けなければ、魚の骨が刺さったという理由で大学病院にいくことになってしまう。
それはそれでおもしろい体験かなとも一瞬考えたが、やはり今抜いてもらうべきだろう。私がヘタに動かないよう左右から看護師さんに抑えられ、なるべく関係のないことを考えながら出産時のウミガメのように泣きつつポッポーに耐え、3度目のトライでどうにか抜いてもらうことができた。
口から卵を産むピッコロ大魔王(ドラゴンボールに出てくるキャラクター) が難産だったら、こんな感じなのかなと思った。
先生に、「よくがんばったわね!」と言われた。自分でもがんばったと思う。
これが子供のころの体験だったら、魚が大嫌いになって、今と違う自分になっていたかもしれない思うと感慨深い。
抜いてもらった骨は、1センチ以上ある大物だった。抜かれた瞬間、「喉のつっかえがとれた気分」という言葉の意味が、実感としてよくわかった。
次にこういう辛い体験をするのは、アニサキス(サバやイカなどにつく寄生虫)にやられた時だろうなと、覚悟はしている。
会計を待っている間、おばあちゃんが「私の靴はどれでしょう」と病院の人に聞いていた。靴箱には似たような黒い靴が並んでいた。結婚式の三次会に座敷席で飲んだ帰り、似たようなことがあったなと思った。
病院の人が、靴に洗濯バサミなどの目印を付けておくといいですよと、おばあちゃんに教えていた。
こんなやつでした。江戸時代だったら死んでいたかもしれない。
これを書いていて思い出したのだが、喉に骨が刺さるのは二回目だった。前は会社の同僚の女性とランチにいって、サバの塩焼き定食を食べていたら、「魚をきれいに食べるんですね!」といわれて、調子に乗っているときに刺さった。
その時は、自分の指がどうにか届く場所だったのだが、私が涙目で骨を抜いているところをみた彼女は、それからちょっと距離を置くようになった気がする。
よく噛んで食べましょう
この記事でいいたいことは、よく噛んで食べましょうということだ。栄養学的にも、魚の骨的にも。ほら、一石二鳥だ。
よく噛んでさえいれば、絶対骨に気がつくはずなのである。魚のせいではない。
今回の惨劇を反省し、肉でも魚でもよく噛むようになったので、これを機会に私は痩せると思う。もう大丈夫だ。
わざわざ骨をとってある魚が売っている意味がよくわかった。