めでたさポータビリティ
たとえば見てほしい。とある家庭の食卓である。食事はまだない。がらんとしていて、なんとも寒々しいではないか。
まあわが家ですが。
そこに餅とみかんを重ねて置いてみてもらいたい。
するとどうだろう
はっ!
お正月である。
寒々しかった食卓が一気にめでたく見える。
おせちはなくともそこにはあのおだやかな元旦の朝の風景がよみがえる。
賀正。
ようするに鏡餅を置くと正月が戻ってくる、という当たり前な話なわけだけれど、ちょっと考えてみてほしい。
餅にみかん、この組み合わせだからめでたいといえるのではないか(鏡餅には本来ダイダイを乗せるようですが、ここではわかりやすくみかんとしています)。
たとえば
せんせー、あんどうくんがいたずらしていまーす。
みかんがリンゴに変わっただけでめでたくないのだ。それどころか、ある種バチあたり感すら漂う。
もう一つ実験してみよう。今度は鏡餅から餅を抜いてみる。
しっくり
みかんである。
みかんであるが、しかしどうだろう。鏡餅の余韻が残る頭で見ると、なんとなくではあるが上の写真でもめでたい空気が伝わってこないか。餅がないのに、これで十分鏡(餅)しているのだ。これはみかんならではのめでたさポテンシャルといえないか。
その証拠にバナナではそうはいかないぜ
挑戦的な朝食。
ここまでの考察から導き出される結果はただ一つ、みかんはめでたい、ということである。置いただけで正月気分がにじみ出る果物、みかん。
鏡餅はみかんさえ乗っていれば餅いらない、ってことだ。
試してみよう。
謹賀新年。
ことしもよろしく
お願い
もうしあげます。
どれもこれも正月である(言い切った!)。ティッシュが単体でめでたいなんて思ったことあるだろうか。ない。みかんを乗せたからめでたいのだ。これをみかんの実力といわずしてなんといおう。先入観ばんざいである。
それからみかんは一つだからめでたい。たくさんではだめだ。
たくさんあると一気に八百屋になる。
あとうすうす気づいてはいたが、下にひいた赤白の紙(四方紅というらしい)も重要である。
あら、どうしたのかしら
初詣の方の駐車場はこちら。
ことしも事故のなきよう。
よい一年をお迎えくだせえ。
どうってことない角の石も
みかんを置くだけでめでたい夫婦岩に
みかん一つ、それに赤白の紙。これさえあれば、あの楽しかった正月が戻ってくるのである。どんなに寒々しい景色でも一瞬にして正月にしてしまう魔法、それがみかん。
目のやり場に困るくらい見所のない風景も
みかんを置くだけで出初式。
枯れ木だって
春を待つ盆栽に見える。
中に地蔵さまが奉られていそう!(いない)
さあどうだ!
葉っぱの多い場所だとめでたいというよりも実ってる、って見えるか。
こっちの方が正月っぽい。
1月も半ばにさしかかり、コンビニではすでに丸かぶり寿司が売られているが、そんなにやすやすと正月を忘れられるほど現代人はドライではない。ゆるされるのなら録画しておいた仮装大賞とか見ながら人生ゲームやりたい。そんなときにみかんはあなたを楽々正月に引き戻してくれますよ。
めでたいやつはだいたいウェルカム。
年賀状専用ポスト。
ゴミですらこうだ。
そのへんの石は祠に。
鏡増上寺
カガミーマート
カガミータワー
鏡ルフトハンザ
カムバック正月
さてみなさんはどんなお正月を過ごされたでしょうか。僕は1日の日に日帰りで愛知の実家に行って2日、3日はテレビで駅伝を見て過ごしました。
みなそれぞれにお正月の思い出を懐かしく思っていることだろう。今回の記事はお正月と現実とを結ぶリハビリのようなもの(僕の)として捉えてください。
あと、撮影に使うためダウンジャケットのポケットに2日間くらいみかんを入れていたのだけれど、手を突っ込むたびにみかんの冷たさに「ひゃ!」っとなった。みかんはなかなか体温になじまない、逆エコカイロである。手だけ火照って困る、そんな人にもお勧めの携行果物とイエマスネー。
と、使えるのか使えないのかわからない情報を入れ込んでおしまいにしたい。
今年もよろしくお願いします
みかんを置いて写真を撮る。それだけでその周囲半径5メートルくらいが正月っぽい風景になることがわかった。
この法則が2月、3月、はては真夏の8月とかでも使えるのかどうか、試してみようと思っています。みなさんもそんなこといわずにやってみてください。