静かな住宅街の中
水木しげるさんの妖怪辞典みたいな書き出しになってしまったが、ここは神奈川県藤沢市。静かな住宅街である。
遠くで聞こえる小田急線の踏み切りの音に混じって、なにやらカツンカツンとこぎみ良い乾いた音が聞こえてくる。
臼職人が臼を彫っている音である。
一見普通ですが、実は臼職人のお宅です。
その証拠に庭には臼、そして原木の山。
臼職人。
臼ひとすじ11年
臼職人柴田さんは師匠(臼の)について2年ほど修行した後、独立して今の形に落ち着いたという。あいにく筆者は臼の世界に明るくないのだが、2年で独立って結構早くないのか。
「臼の作り方を聞きに行ったらとりあえず作ってみろ、っていわれたんです。それでみようみまねで作ってみたら、まあなんとか出来たんですね。それ見て師匠が、これなら1年くらい修行したら職人になれるよ、っていうんで、そのまま弟子入りさせてもらったんです」
臼職人、柴田さん。
なんというライトな弟子入り。しかしいきなり彫れって言われて臼彫れちゃうのもすごい。
柴田さんは臼職人になる前、広告業界で仕事をしていた。
「広告の仕事って、今はどうだかわかんないですが1年くらいやるとだいたい覚えちゃうんですよ。で、つまんなくなって別の職場に移る。20代はその繰り返しでしたね。バブルの時期だったかた仕事はたくさんありました」
いい時代である。まだ柴田さんには臼の「う」の字もない。
その後バブルがはじけ、柴田さんは「疲れて」自然を相手にする仕事に就きたいと希望する。そこで出会ったのが植木屋の仕事だった。
「植木屋っていっても剪定をするんじゃなく、山に行って木を掘ってきて植木屋へ売る仕事です。穴ばっかり掘っていました」
植木屋でチェーンソーや木工の基本を学んだ柴田さんは、この頃から独学でお皿などを木彫りしていたのだという。柴田さんの人生に臼の影が現れた瞬間である。
順調に見える臼職人ロード。しかし柴田さんは「臼職人ってどう考えても将来がないですよ」と言う。そのあたりはまた後ほど説明するとして、次のページではみなさんお待ちかね、臼の作り方を学びます。
臼を作ろう
職人に臼の作り方を聞いた。
~なかなか臼の作り方を順を追って説明しているサイトはないと思うので間違いなく貴重である。これを読んだ中に僕もわたしも彫ってみたい、という人がいたらそれは臼職人への第一歩だから彫って柴田さんに見てもらってほしい~
ではいってみよう。
1.外を彫る
丸太をコンコン削って円柱にする。原木は意外と扁平しているものなのだ。
臼作りはまず最初に「チョウナ」という道具を使って原木から臼の形を彫り出すところから始まる。
いや厳密にはその前に臼に最適な木を選んだり(ここが実は一番大切という)材料を乾かしたり(1年かかる)とかいろいろ地味な過程があるのだが、今日は記事だから派手な部分だけを見ていく。
これが「チョウナ」。あまり見ない形状の道具である。
臼を彫るにはいくつか独特な道具を使う。チョウナもその一つ。道具は鍛冶屋で特別に作ってもらうのだとか。
余談だが、臼職人はやはり普段使いで臼を使うのだろうか。つまり餅つきはするのかどうか聞いてみた
「前は毎月2回くらいやってましたね。でも餅ってその場だけじゃないでしょう。ついたらしばらく食べるじゃないですか。そんなに餅ばかり食べないですよ普通」
あまり餅が好きなわけではないらしい。餅好きが臼の道に行くわけではないし、逆に臼好きが餅も好きだとは限らないわけだ。深い。いや、これはただの好き好きだからそんな深くないか。
2.斧で中を彫る
そのあと斧で中を彫り進めていく。ここはダイナミックに。
外ができたら斧を使って餅をつくためのくぼみを掘っていく。丸太から臼へと変わっていく瞬間である。
ずいぶん臼っぽくなってきた。
3.ノミで彫り進める
ある程度斧で穴を開けたらノミで掘り進めていく。
臼を一つ仕上げるのに柴田さんは3日~4日かけるのだとか。
これは感覚の問題だが、質量からいってかなりの短納期ではないだろうか。そのペースで作り続けたら月に10個、年間120個作れるということだ。臼だらけである。しかし柴田さんは言う
「いや、年間よくて15個くらいですかね」
それかなり計算が合わない。
「まず暑い時期は働いてないですから。ほら働くと体壊しそうでしょう」
年間15個ってことは月に1個ペースである。3日でできる臼を月に1個。休みすぎだろう。他は何しているのか。
臼製作の途中ではあるが、次のページでは柴田さんが臼を作っている以外の時間、主に何をしているのかに迫ります。
職人の趣味は焚き火
作業の途中、ちょっと休憩ということで職人はすたすたと自宅の方へと歩いていった。
ここから臼の話はしばらくなくなります。
柴田さんの趣味は焚き火である。
冬場に臼を作るため、手を温めたりお湯を沸かしたりする火をおこしているうち、そっちの方に興味が移ってしまったのだとか。特にアウトドアの趣味はないが、焚き火にだけはときめくらしい。
自宅の裏から焚き火グッズがどんどん出てくる。
いろんなところからまだまだ出てくる。
焚き火グッズは一つ一つが特徴的な形をしている。
「焚き火台は買う時に自分に条件を与えているんですよ、そうしないと無制限に集めちゃうから。今は長く使えるやつで、コンパクトなものを集めています」。
今では職人、焚き火のブログを開設してしまうほどの焚き火好きになってしまった。ブログは人に向けて書いているんじゃなく「焚き火できない日に見て寂しさを紛らわせるため」なのだとか。かなりだ。
焚き火台にも一つ一つ個性がある。
焚き火職人。
臼職人の一年
臼職人と囲む焚き火は温かく、心がほどけてゆくようだった。一瞬(僕はなぜ庭で臼職人と焚き火を囲んでいるんだろう)とも思ったがこの温かさに勝るものはない。
臼の話に戻ろう。臼職人に繁忙期はあるのだろうか。
「やっぱり11月12月ですね。みんな夏に臼のことなんて思い出さないでしょう。だからだいたいそのくらいの時期からまとめて仕事が入ってくるんです」
そんなことよりほら、この火の形がいいでしょう。
「臼のメンテナンスもやっているんですけどね、これもやっぱり11月12月に集中するんですよ。そうなると臼作ってる暇がないですね。まあ忙しくなるのわかってんだから前に彫っておけばいい話なんですけど」
臼はいいからこの火の形、見てくださいよ。
聞くの忘れていたが、臼職人はどうして臼を彫ろうとしたのだろう。木彫りなら他にも仏像とか熊とか、いろいろ選択肢はあったろうに。
「臼って大きいじゃないですか。だから臼が彫れたらなんでも作れるんじゃないかと思ったんですよ。結局臼以外ほとんど作ってないですけどね」
柴田さんは「いまだにどうして自分がここで臼作ってるのかわからなくなることがある」と言っていた。11年経ってもそうなんだから人生は長い。
臼、いよいよ仕上げへ
次の日、ふたたび工房を訪れると、あの丸太がかなり臼に近づいてきていた。
空気が澄み切った冬の日でした。
こうなってくると、もうかなり臼。
臼作りは雨の日は作業ができない。しかも年間15個くらいしか彫らないということで、臼製作の作業を最初からすべて取材するのはなかなかハードルが高いのだ。
4.テヂョウナで削る
斧とノミである程度彫り進めたら、あとは臼専門の道具で曲線部分を仕上げていく。このテヂョウナという道具もやはり鍛冶屋の特注品である。
これがテヂョウナ。「臼やってる人で持ってない人はいない」のだとか。
「テヂョウナは注文品なんですけどね、信じられないことに鍛冶屋がまったく違う形のを作ってくるんですよ。これで臼の形が決まるのに、図面に乗せてもまったく合わない」。
このテヂョウナは2回作り直してもらったのだとか。ようやく柴田さんの職人らしいこだわりが見えた気がしてうれしい。
このテヂョウナは35000円くらいした。
「でもこれ作ってくれた鍛冶屋はもうやめちゃいました。手彫りで臼作ってる職人なんていまではほとんどいないんですよ」
臼をめぐる環境はなかなか厳しいという
「木も減ってる。木って育つより切る方が早いじゃないですか。臼彫るには70年以上の大きい木がいいんだけど、今いい木がほんと無くなってるんです。それに後継者もいない。稼ぎがないから弟子がとれないんですね。もう臼職人に未来はないな、って思いますよ。いいニュースが一つもない」。
確かに厳しい世界である。僕も正直臼は買ったことがないが、そう考えると今のうちに買っておくべきなのかもしれない。
買っても置くとこないけど。
臼職人の憂鬱をよそに、臼製作作業は仕上げ段階に入っていく。
これは腰ガンナという道具。こうして足で削る。
5.仕上げは腰ガンナ
腰ガンナも臼職人が使う特殊な道具である。これを作った鍛冶屋もいまではもう商売やめちゃったらしい。
ところで柴田さんが臼職人になったのには他にも理由がある。
「アバウトでいいんですよ臼は。ミリ単位で注文してくる人とかいないじゃないですか。道具の研ぎも、木工だったら正確にやんなきゃ、って思うけど臼はアバウトでいいんです。そこがいい」
砥石。道具を研ぐのも職人の仕事である。臼を一つ作るたびに刃物はすべて研ぐのだとか。
柴田さんいわく「木工の専門学校とかいくと、半年くらい研ぎをやらされる」らしい。「臼はそんなことやらないですけどね」
おおらかさが魅力の臼製作だが、逆に木工にはない苦労もあるのだとか。
そが彫った先にある傷である。
削っていくと傷が現れることがある。
これも傷。木が若い頃に枝分かれした跡らしい。
原木の表面にある傷ならばそれを避けて作ればいいのだけれど、木の中にある傷は彫ってはじめて出てくる。そうなるとすごく困る。しかしこればっかりは彫ってみなければわからないからたちが悪い。
そういうとき、臼職人はどうするかというと。
焚き火をして気を紛らわせるのだ。
臼製作の過程を順を追って見せてもらったのだが、正直自分で彫れるようなものではない気がした。それを飄々と彫って見せる柴田さんはやはりまぎれもない職人である。今後も臼職人の行く道に光あらんことを。
臼、今が買いです
いろいろとこの先たいへんそうな臼。間違いなく一生ものなので、置くところがある人は今のうちに買っておくのがいいと思います。置くところは買ってから考えましょう。
僕は柴田さんに教えてもらった焚き火台を買うことにしましたが(はまった)。
臼職人柴田さんのページ
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