ベタ中のベタ、巣鴨インタビュー
ということでお年寄りに話を聞きに巣鴨に。
あまりにも紋切型で恥ずかしくなるほどだが、実際に行ってみると横断歩道が藤色に染まっている。おばあさんである。
巣鴨に行ったらじいさんばあさんいるかな?と思ったら見事に藤色である
助っ人を呼んだ
31才男一人インタビューはさすがにガードが固くなるかと思い、デイリーポータルZから古賀さん(女性)にもお手伝いいただいた。
会うなり「何をすればいいですか?おばあさんに?なるほどなるほど」と早足でインタビューに向かう古賀さん。
恐るべき仕事の速さで頼もしいかぎりである。
は~、なるほどなるほど、と言いながら早足で参道に向かう古賀
超高速の女
古賀さんはなるほどなるほど言いながら巣鴨地蔵通り商店街を通りぬけ、
「あたしこういうのまずお参りしないと気にしちゃうんですよ」
と、そのままお地蔵さんのあるお寺まで行って一瞬でお参りを終え、すぐ声かけ地点まで戻って臨戦体勢に入った。
隣にいて気づいたが、一直線に参拝しにいった彼女からは本当にピューっという音がした。風を切ったのだ。
超高速で必要ないことをするというある種の矛盾を抱え込んだ人だった。
インタビューをするため、超高速でお参りをすませる古賀
どうやって聞けばいいのだろう?
古賀はいいとして、本題である。後世に伝えるべき「どうでもいいこと」はどうやって聞き出せばよいのだろう?
「どうでもいい」とは「後世に伝えなくてもよい」程度の意味だ。昔はスマップ一人多かったよ、などの放っておいたら埋もれていくくらいの話がいい。
だがスマップのおじいさん版が思い浮かばない。こちら側は何も知らないので具体例が出せない。
しょうがないので、かろうじて先日当サイトの記事で知った「昔の人は新聞を声に出して読んだ」を挙げることにした。
[参考]あやしい形の道は元水路、そしてもらい泣き
用意した質問は「今の人は知らないだろうなと思う一番ささいなこと」は何?
「こちら側が全く知らないことって聞き出すの難しいでしょうね~」
と古賀さんが問題を指摘しながら「すいません、ちょっといいですか~?」とおばあさんを捕まえはじめた。またここでも速い。
「今の人は知らないだろうなと思う一番ささいなこと」は何?
一組目「今の人はインターネットでしょ?」
――今の人が知らないような昔のことを教えてほしいんですが
「う~ん、そうねえ。どうかしらねえ」
――例えば新聞って声に出して読んでたんですよね?そういう感じのことを
「新聞?声出して読まないわね~。目で読みますよ。昔からそうでしたよね。
今の人が知らないこと?今はあれでしょ?新聞なんて読まずに、インターネットらしいですねえ」
逆に今のことを教わる始末である。そして今の人のことは私たちの方が多分多く知っている。
色を見ただけでおばあちゃん用だとわかる巣鴨の帽子屋
二組目「若い人を見ると腹が立つ」
とりあえず反省は置いておいて二組目に行こう。
「昔のことっていってもね。そんなの覚えてないね。
私、昭和七年生まれだからさ。防空壕の中を走りまわってたのよ。」
――今の若い人が知らなそうなことならなんでもいいんですが…
「私は若い人を見てると腹が立つのよ。私が若いころは本当に苦労したからね。色んなところに働きにいってね。
だから息子の嫁を見てると本当に腹が立つのよ。」
腹が立つ、と言われてドキッとしたがまさかの着地点は嫁姑問題。
「戦時中を知らない嫁が…」そういうのあるよね、となった時代から40年くらい経ってる気がする。私達の知らないところで、何十年も嫁と姑は戦い続けていたのだ。
巣鴨の帽子屋をモザイクにしてみても見事におばあちゃんである
この警戒心は草食動物のそれだ
二組の結果を紹介したが、声かけはかなりの確率で失敗していた。
巣鴨の老人の警戒心は強い。男である私が声をかけるとほぼ素通りである。人は年を経るほどに警戒するようになるのか?
いや、もしかしたら警戒心が強いがために生き残ったのではないか。
生き残るのに肉食動物の強さは要らず、草食動物の警戒心のような環境に即した力が必要なのだ。草食男子は長生きすることだろう。
[参考]wikipedia「適者生存」
「インターネットの取材なんですが…」とカタカナではじめようものなら身をこわばらせて通り過ぎられる
こちらも知らないことは聞き出せない
そして本質的な問題として「こちら側も全く知らないことは聞き出せない」ことがある。
例えばアレとかコレとか…と具体例も挙げられないし、相槌もうまくうてない。
もっと具体的に「○○についてどう思いますか?」って聞かないとダメですね、と古賀さんと話していたら、テレビの街頭インタビューに出くわした。手には永六輔のフリップを持っていた。
突如「具体的」の権化として現れた永六輔。巣鴨で老人に聞くこととしてはあまりにも模範例である。
おばあさんに永六輔について聞く。こんなにも具体的なことがあろうか
座ってる三組目
反省をふまえて、立ち話でなく座ってるおばあさんに話を聞いた。聞く内容も少し手を加えた。
――今なくなってしまった昔のものって何かありますか?たとえば家事なんかで…
「昔と変わったもの?そうね、昔はお米を炊くにしても鉄釜でしょ、洗濯も洗濯板でさ。お水も井戸水を使ってたよね」
家事について聞く作戦はなかなかよかった。範囲を狭める必要があったのだ。
――洗濯板の時代も、重曹使うといいわよ~とかご近所さんからコツが回ってくるんですか?
「そういうのはなかったけどね。近所の人達で集まって、きゅうりの漬物でお茶飲んでたりしたね。コーヒーなんてなかったからね」
――そうか、コーヒーなかったんですね
「ないわよ、色んなものがなかったね」
やっと情報が来た。コーヒーがなかった。これは本当の意味で教科書が伝えない歴史の1ページだろう。
どうでもいいこと候補1
「昔はコーヒーが貴重だった」
そらそうだ、という話ではあるが、実際にそういう生活を想像してみるのは新鮮だ。お茶うけはきゅうりの漬物だったりする。「本当はそういうものの方がうまい」とさえ言っていた。
菊人形的な五重塔は好評を博していた
――井戸水って飲んだことがないんですが、ここがうまいとかあるんですか?
「あるある。うちはおいしいっていう話だったのよ。うちは二軒で一つの井戸を使ってたけど、五、六軒で一つの井戸だったりしたわね」
どうでもいいこと候補2
「井戸はここの家がうまいとかある」
東京と埼玉どっちの水道水がうまい?みたいなことが家単位である。これもそらそうだろうという範囲だが想像しなかった。
おい、あのグラスでかいぞ!
――東京ですか?
「うちは千葉の市川だったけどね、いいところでね、当時は会社は東京で市川に自宅を持つのがステータスだったのよ」
市川がステータスだったんですか!と古賀さんは驚いていた。私は全然ピンとこなかったので悪者でない。千葉、ひいては市川のみなさま、悪者は古賀だ。
どうでもいいこと候補3
「東京ではたらき、市川に家をもつのがステータス」
当時の輸送力だと郊外に家をもつパターンのちょうどいいところが市川だったのだろうか。おばあさんの地元びいき感がどうでもよさにつながっていて個人的に好きな情報だ。
さておばあさんの話のつづきである。
「昔はね、東京の空気はムッとするっていってね、江戸川渡って市川に来るとすごく空気がいいっていう人もいたわね」
そうか、空気がムッとするのって市川くらいでもうちがってたのか。
どうでもいいこと候補4
「市川に比べて東京の空気はムッとした」
これはいいどうでもよさだ。「ムッ」部分がどうでもよさを醸成している。
これが「ヌッ」でも「ペッ」でもいけない。例えば「東京の空気はペッとする」だと?ほらだめだ、気になってしまう。
「ムッ」が一番当たり前であり、どうでもいいのだ。後世に伝えるのはこれにしよう。
ということで市川駅前の観光案内所にやってきた
市川はいいところであるらしい
後世に伝えるべきどうでもいいこと「東京の空気はムッとした」を確かめるために千葉県市川駅前にある観光案内所にやってきた。
――知り合いのおばあさんが言ってたんですが、市川に住むことはステータスだったんですか?
「う~ん、当時は知らないけど市川はすごくいいところなんですよ。緑もあるし静かだし。おうちもたくさんありますしね。だから、まあ、ステータス、そうですね、ステータスだと思います。」
観光案内所の方にみなぎる市川がんばれの志も感じるが、とりあえずは確かにステータスだったようだ。
市川駅前の空気である。この匂い、もしかしてバスが近くにある?
さて空気であるが、取り立てて変わったところもない。市川の駅前はかなりにぎやかだ。
市川が栄えたのか、東京で排ガス規制など空気に良いことが行われたのか。原因は色々あるだろうけど、やはり今はムッとしない。「昔はムッとした」のが正解だ。
駅前のアナウンスが「ガーデニングシティ市川」をガンガン案内していたりポケットティッシュに「歴史と文化のまち市川」と書いてあったり。市川は過剰に市川ラブな街だった。
あのおばあさん、案内所の方、駅前のアナウンス。全てがぐるで、今日やったことの全ては、市川の手のひらで躍らされただけなのでは?という気さえしてきた。
昔はムッとしてたであろう新宿駅前の空気。こちらもほどほどにバスくさい。 後世に伝えたいどうでもいいことは『昔は市川から東京に来ると空気がムッとした』
に決定!
嵐が来て、去っていった
さて巣鴨の現場。ようやく、ぼちぼちどうでもいい話が集まってきた。あとは数を集めていきたいところだが…
「すいません、ちょっと腰が…」
うちのエース古賀がここにきて腰をいわしてしまった。もういいっすか、もういいっすか、と連呼して「年内のあいそは全部使い果たしましたんで」と言って帰っていった。
ここまで待ち合わせてから45分である。
恐るべき速度だ。ここまで速いと感じたのは北野武を取材したとき以来である。どんな濃密な人生を送ってるんだ。
[参考]大物監督にコケる芸をならう
エース古賀ダウン。「年内のあいそは全部使い果たした」と言って帰っていった。トータル45分。早い。会話が年末モードになってるとこまで早い。
今のうちにどうでもいいことは聞いておこう
観光案内所では、井戸のことも調べてもらったが、現存する場所はその場でわからなかった。
そうですか、色々ありがとうございました、と帰ろうとドアノブに手をやったら、「ところでそのおばあちゃんは今もお元気なんですか?」
聞かれた。
「え?ああ、おばあちゃんね、はい、元気だと思います。」
と答えたが、巣鴨のお寺で腰を下ろしていたので元気じゃないかもしれない、でもお参りにきたくらいだから元気なのかもしれない。
元気なうちに色々聞けてよかった。聞いた内容がどうでもいいことだったのが残念ではあるけれど、元気でなにより。
今は永六輔が元気でいることを願うばかりである。