特集 2011年11月9日

あやしい形の道はたいてい元水路、そしてもらい泣き

あやしい小道……
あやしい小道……
地図を眺めてて気づく、明らかにあやしい形の道。それは元水路だった可能性が高い。
いきなり結論を言ってしまった。
「あやしい道」とは、まっすぐだったり、歪んでいたり、大きく湾曲していたり、周囲の道と比べると、ちょっと浮いている感じを受ける道のことだ。
そんな道を探して巡ってみる、というのが当初の予定だったけれど、まわり道がかなり多くなってしまったうえ、取材中に全く関係ない話でもらい泣きまでしてしまった……。
鳥取県出身。東京都中央区在住。フリーライター(自称)。境界や境目がとてもきになる。尊敬する人はバッハ。(動画インタビュー)

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例えばこんなの

墨田区と江東区の区境のこの部分。

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立川や森下あたりは町の区画が四角い格子状なのに、一部、地下鉄森下駅を取り囲むように斜めになっている区画がある。
この不思議な斜めの区画は一体何なのか?

いきなり答えがあった

五間堀公園
五間堀公園
早速、現地に行ってみたところ、理由があっさりと判明した。五間堀公園。そう、昔ここに堀があったのだ。
川幅が五間
(約9メートル)だったのでそういう名称らしい
川幅が五間 (約9メートル)だったのでそういう名称らしい
江東区の案内看板によると、江戸時代の万治年間(1658年~1660年)ごろに開削され、昭和30年代ごろには埋め立てられてしまったようだ。
堀の跡に沿って町を区画したので、堀の部分の斜めの区画がそのまま現代まで残っているのだ。

「橋の跡はちょっと盛り上がっている」を確認

明治37年の地図を見ると、清澄通りと五間堀の交わるところは「弥勒寺橋」と呼ばれる橋があったらしい。
カタカナで「ミロクジバシ」と書いてある(「本所區全圖」博益社・明治37年)
カタカナで「ミロクジバシ」と書いてある(「本所區全圖」博益社・明治37年)
ぼくが以前発見した「橋のあった跡は道路が盛り上がっている」メソッドに従って道路を観察してみると……。
微妙だけど、盛り上がってるんです!
微妙だけど、盛り上がってるんです!
写真で伝わるかどうか若干不安なものの、確かに微妙に盛り上がってる。おそらく、ここが弥勒寺橋なのだろう。残念ながら、橋であった痕跡はまったくない。
北側(右)が墨田区、南側(左)が江東区
北側(右)が墨田区、南側(左)が江東区
ちなみに、堀の上にあった区境は埋め立て後もそのまま引き継がれたので、同じ建物でも、北側は墨田区で南側が江東区となっている建物もある。こんな建物は区境マニアには垂涎の物件だ。右側にあった洋食店はそこそこ有名な店のだったので、何か食事をしようとおもったけれど、残念なことにランチタイムを過ぎていて入店することが出来なかった。

五間堀は本当に五間あるのか?

五間あるのか?
五間あるのか?
ところでこの「五間堀」という名称は、皆様ご想像の通り、堀の幅が五間あったのでそう呼ばれるようになったそうだ。五間はメートルに直すと約9メートル。
マイク・パウエルの走り幅跳びの世界記録が8メートル95センチらしいので、もうちょっと頑張れば飛び越えられるかもしれない。そんな距離だ。
そんな五間堀を埋め立てたあとに作られたという五間堀公園は、今でも五間あるのだろうか?
調べてみた。
少しづつ継ぎ足しながら調べる
少しづつ継ぎ足しながら調べる
地味な写真……
地味な写真……
あいにく、9メートルもあるメジャーは持ち合わせていなかったので、2メートルのメジャーで少しずつ継ぎ足しながら何箇所か測ったところ、大体8メートルから10メートルだということが分かった。
おそらく、平均すればだいたい9メートルになるのではないか?
よく昔の例えは九十九里浜とか千畳敷といったように、数字を大げさに表現することがあるけど、五間堀は本当に約五間だった。正直な地名だ。

では、六間堀は六間あるのか?

五間堀は本当にだいたい五間(約9メートル)あるということが分かった。実は、その五間堀の西端に、南北に伸びる「六間堀」という堀がさらにあった。この六間堀は本当に六間(約10.9メートル)あるのだろうか?
六間堀のあったあたりに向かう。
子供の絵があやしい雰囲気……
子供の絵があやしい雰囲気……
五間堀と六間堀の合流地点は墨田区の児童遊園になっている。児童遊園といっても、遊具がちょっとあるだけの小さい公園だ。
六間がこんなに狭いわけない
六間がこんなに狭いわけない
しかし、六間堀と思われる場所をみてみても両サイドに建物が建てこんでしまっており、幅を測れそうな場所が見つからない……。

聞き込み調査で堀の痕跡を発見

ちょうど、住民のおじさんが通りかかったので、六間堀のことを聞いてみた。
そう、堀だったんだよここ
そう、堀だったんだよここ
--すみません、ここってむかし六間堀っていう水路だったんですよね?
「あぁここね、そう堀だった。いつだったかなぁ、東京都が埋め立ててね、道んなった。だから下に下水管埋まってんだよ」
--水路だった当時のことはご存知ですか?
「うん、たしかね今でも跡が残ってるところがあるよ」
--え! どこですか?
こっちこっち
こっちこっち
ほれ、そこ
ほれ、そこ
あの古いコンクリートが堀の護岸の跡だよ
あの古いコンクリートが堀の護岸の跡だよ
「家と家の間の、コンクリートの塀あるでしょ、それが堀の護岸だったんだよ」
おぉ、これがそうか! これは言われなければ気づかなかった。やっぱり聞いてみるもんである。
これは言われないと気づかない
これは言われないと気づかない
--ということは、この護岸から左側が堀だったんですね
「そう、それでこっち側はあそこのコンクリートの割れ目あるでしょ、ちょうどあのへんが向こう岸の護岸だったン」
向こう岸は家がびっしり建てこんでる
向こう岸は家がびっしり建てこんでる
どうも、六間堀は元の堀の上に直接建物が建ってしまっていて、堀の幅が丁度残っているような場所が見つからない……。

でっかいコンクリートの護岸が出てきた

さらに、長さを測れる場所を探してウロウロしてたところ、家の前でゴルフの練習をしてるおじさんが居たのでそのおじさんにも話を聞いてみたところ、やはり六間堀は堀の上に建物が建ってしまっているため、幅がそのまま残ってるというわけではないらしい。
ゴルフ練習中にすみません
ゴルフ練習中にすみません
おじさんの話によると、堀を埋め立てた当時、東京都が埋め立てた部分の土地を切り売りしたのだという。それで、家を増築するために地面を掘ったら、護岸のコンクリートがゴロゴロ出てきて大変だったそうだ。
現在、六間堀公園になっているところは船溜りになっていて、たくさんの船が係留してあったらしい。

幅が測れそうな場所を探して北上

六間堀の幅が測れそうな場所を探して北上すると、竪川に合流するところまで来てしまった。竪川は先日、田村さんが取材していたカヤックに乗れるプールのあるあの川だ。
この建物の後ろが竪川だ
この建物の後ろが竪川だ
地図をよく見ると、この2つの建物の幅がちょうど六間堀の幅と同じっぽい。ここは歩幅で調べてみる事にする。
11歩
11歩
ぼくの歩幅はだいたい87センチ、それで11歩だったので、約957センチメートル。まあ、大雑把に四捨五入すれば10メートル。約六間ということは確認できた。

川側に欄干の名残?を発見

その後、六間堀と竪川の合流地点を橋の上からよく観察してみると、橋の欄干っぽいものがあるのを発見。
欄干っぽい……
欄干っぽい……
上の方がその橋。
上の方がその橋。
位置的には六間堀から竪川に注ぐ位置に架かっていた橋の場所にぴったりだ。断定することはできないけれど、これはかなりの確率で橋の欄干だったのではないだろうか?

綾瀬駅の前の道もあやしげだ

続いては、足立区の綾瀬だ。足立区綾瀬といっても、葛飾区との区境にそのあやしい道はある。

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道というよりも、自転車駐車場と行ったほうがよいかもしれない。そもそも、綾瀬駅の前は区境が大きく湾曲しており、前からずーっと気になっていたのだ。こういう区境は川の跡だったりするのだ。
手前の電柱は綾瀬(足立区)で奥は小菅(葛飾区)
手前の電柱は綾瀬(足立区)で奥は小菅(葛飾区)

やっぱり川だった!

綾瀬駅を出てすぐ目の前に自転車駐輪場がある。
よーく観察すると……
よーく観察すると……
橋の欄干と親柱だ
橋の欄干と親柱だ
足立区の有料自転車駐車場だ。よく見ると……。橋の欄干と親柱が残っている。明らかに元水路だ。
建物が自転車駐車場に背を向けて建っている。
建物が自転車駐車場に背を向けて建っている。
この細長い自転車駐車場をたどって進むと、また橋の跡に出くわす。
古隅田川
古隅田川
親柱に「古隅田川」との表記を発見。ここは川だったのだ。
ちょっと見にくいけれど、赤い線の区境の下に青い川が描いてある(「大東京全圖・東部方面」報知新聞社・昭和7年)
ちょっと見にくいけれど、赤い線の区境の下に青い川が描いてある(「大東京全圖・東部方面」報知新聞社・昭和7年)
古隅田川は、かつて利根川から隅田川に注いでいた川の痕跡らしい。
「古」というだけあり、この川は奈良時代からあったらしく、当時、川に沿って「武蔵国足立郡」と「下総国葛飾郡」の国境が引かれたため、その境界が現代の区境に継承されているのだ。
綾瀬駅前のぐにゃりと曲がった区境は奈良時代までさかのぼる由緒正しい区境なのだ。

古隅田川は暗渠になっていた

現在、自転車駐車場となっている川跡をそのままたどっていくと、工事中の箇所を発見。
水の音だ!
水の音だ!
水が流れてる!
水が流れてる!
現在、古隅田川は蓋をされ、暗渠になっていた。
今の地図では川が無いかのようになっているけれど、現在でも川は暗渠となって、かわらずそこにあり続けている。
しかし、偶然にも暗渠の中が覗けて運が良かった。これがなければこの綾瀬のくだりは書くことが無さ過ぎて困っていたところだった。

大きく湾曲している足立区のあやしい道

最後のあやしい道はこちら

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足立区柳原の大きく湾曲しているこの道だ。まわりの路地のランダムさに比べ、この道だけは北から南へ、迷うことなくきれいな弧を描くように大きく湾曲している。
一体この道はなんなのか?
おそらく、賢明なる読者諸氏におかれましては、すでにお気づきのことだとは思いますが、これも古隅田川の痕跡なのだ。
赤い区境に沿って青い川が描かれている(「大東京全圖・東部方面」報知新聞社・昭和7年)
赤い区境に沿って青い川が描かれている(「大東京全圖・東部方面」報知新聞社・昭和7年)
柳原町はもともと、古隅田川によって境界を引かれていたため、葛飾区であった。しかし、荒川の開削で葛飾区の本体とは川を隔てて離れてしまい、飛地のようになってしまった。そこで、昭和9年に飛地状態を解消するために足立区へ編入されたのだ。上の地図は、編入される前。柳原町が葛飾区だったころのものだ。

意外と有名、柳原町

柳原町。近隣にお住まいの方以外にはまったく知られていないこの地名。しかし実はこの柳原町には全国的に超有名なスポットがある。それはここだ。
とくに変わったところの無い河原と土手……
とくに変わったところの無い河原と土手……
そう、ここはあの「3年B組金八先生」のロケ地なのだ。

坂本金八が土手の上を歩いてくるあの有名なオープニングのシーンは、この柳原町近辺の土手で撮影されたものだ。
ドラマに何度か登場した堀切駅
ドラマに何度か登場した堀切駅
堀切駅前唯一の商業施設
堀切駅前唯一の商業施設
ドラマ内の設定では、生徒の多くが柳原町内に住んでいるという事になるのではないかと思う。柳原町近辺は金八先生の町でもあるのだ。
このまま金八先生ロケ地めぐり……、という訳にはいかないので、柳原町の金八話はこのくらいにして、水路の話に戻りたいと思う。

柳原町に川の痕跡はあるのか?

牛田駅で下車したぼくは、ちょうど川跡になるはずの道に向かう。
おそらくここが川の跡
おそらくここが川の跡
一見、変わったところは見受けられない。けれど、元川だった道の街並みと、隣の道の街並みを見比べてみてあることに気づいた。
元川の道は新しい家が多い
元川の道は新しい家が多い
古くからある道には商店街
古くからある道には商店街
元川だった道の方の街並みは、道に面した家がどれも新しいのに比べ、古くからある道に面した建物は古かったり、商店街になっていることが多いような気がしたのだ。
川が道になってから新しくできた街並みと古くからある街並みで、景色の違いが出ているのではないだろうか?

おじいちゃんの話を聞き入ってしまう

周辺を探索中、川跡の道沿いにある喫茶店のおばちゃんに川の痕跡がないか聞いてみた、しかし、このおばちゃんは違う町からアルバイトに来ているだけらしく、町のことはよく知らないという。「今来てる常連さんなら昔のこと知ってるんじゃないかな?」というので、お言葉に甘えて、お店の常連さんに話を聞いてみた。
その常連さんのおじいちゃんは、店の隅に陣取り、ひとり静かに競馬新聞を眺めながらモーニングをとっていた。
地元の常連が集う喫茶店
地元の常連が集う喫茶店
--すみません、あの、このあたりの事について調べてるんですが……お近くにお住まいですか?
「あー、住んでるのは近くだよ」
--昔、そこの前の道が川だったのってご存知ですか?
「いや、俺は元々深川の方の生まれでよ、こっちのことはあんまり知らんな……」
ズコー、である。
川の思い出話などが聞けると思ったのだけど……しかし、深川といえば前のページで取材してきた五間堀や六間堀の近くのはずだ。そっちの話が聞けるかもしれない。
--深川なんですか! たしかあのへんには五間堀や六間堀なんて堀がありましたよね。覚えてらっしゃいます?
「ああ、堀ね。あったね。当時はよ、電車が縦横に走っててよ……ズズッ(コーヒーを飲む音)」
深川の思い出、おわり。
これはちょっと困った。べつの話題を差し向けてみる。
--お元気ですね、おいくつですか?
「いくつに見える? 1928年生まれだよ、昭和3年。おかしなもんでね、昔はサバを読んでたんだけど、この年になるとね、西暦で言っちゃうの、はっきりわかるから。大正生まれはもうほとんど居ないな。俺の知ってるひとで一人しかいない。昭和生まれは結構いるんだ」
--ぼくも昭和生まれですから、昭和50年。おんなじ昭和の同級生ですよ。
「え、あんたも昭和?若いねー」
40歳以上年上のおじいちゃんに「若いねー」なんてほめられると、なんだか妙な気持ちになる……。

最初の記憶は阿部定事件

おしゃれサングラスを使用
おしゃれサングラスを使用
--昭和3年ですか。どんなことがありましたかねぇ?
「事件があっただろ?おちんちん切っちゃうやつ」
--阿部定事件ですか?
「そう、それ。親父がよ、新聞読むだろ、すると母親が顔真っ赤にして「そんなの子供の前で読まないで!」って怒るんだよ」
--え?なんでですか?
「昔は声出して読んでたからな、ハハッ」
あ、確かに昔の人は新聞を声に出して読んでたって話をどっかできいたことある! まさかこんなところで裏取りできるとは思わなかった。 しかし、いきなりの阿部定事件。この事件は昭和3年の出来事ではないけれど、たぶん、このおじいちゃんの語るべき最初の記憶が「阿部定事件新聞記事音読事件」なのだろう。重みのあるエピソードだ……。
--お父さんは何をされてたんですか?
「軍人だよ、日清日露、体験してるからね」
そうだ、確かに昭和初期の軍人さんなら日清戦争も日露戦争も体験してるだろう……「坂の上の雲」の世界とつながったような気がしてちょっとうれしい。
「俺は終戦の玉音放送も聞いてるからな」
--確か、終戦は昭和20年ですから17歳の頃ですか?
「そう、志願して行ったんだから」
--志願兵だったんですか!
「飛行機乗りになりたくてよ、少年飛行兵。志願したんだけど、目が悪くて整備兵にしかなれなかった。追浜に工場があってそこに居たんだ」
--そうですか、やっぱりゼロ戦とかに憧れたんですか?
「おう、名前わすれちゃったけど、なんとかデンザブロウっていう先輩も志願して行ったんだ。当時は霞ヶ浦に飛行場があって、あそこで乗ったグラマンが初めて乗った飛行機だよ」
ぼくは飛行機に詳しくないので、その場でiPhoneを使って「グラマン 飛行機」を検索してみた。するとアメリカ軍の飛行機だということが分かった。日本の少年飛行兵がアメリカ軍の飛行機に乗るってのもよくわからない話だけれど、そのへんは何かの記憶違いかもしれない。
--(おじいちゃんにiPhoneを渡し)グラマンってこういう飛行機ですか?
「おう!これ、これだよ! ハァー……そうだ…ハスウデンゴロウだ……俺よかいっこ上の先輩だよ……死んじゃった……」
おじいちゃんはiPhoneに写しだされた飛行機の小さな画像を見つめたまま、小さく嗚咽しはじめた……。
青春時代の懐かしさや、楽しい思い出、大事な人を失った悲しみが、グラマンの検索画像を見て一気にあふれでたのだろう。
--(もらい泣きしつつ)……懐かしいですか?
「だいたい、無条件降伏とかいうけどよ、俺はまだアメリカ許してねぇからな」

……と、こんな感じで、1時間半もおじいちゃんの話を聴き込んでしまった。この他にも古今亭志ん生と並んておしっこした話や、浅草でエレベーターボーイをしてた頃のたけしを見た話など、面白い話をたくさん聞いたのだけど、残念ながらすべて川とは関係ない上に、書きだすと長くなるので割愛したい。

川跡の話に戻ります

もらい泣きをした喫茶店から、川跡の道に沿ってずーっと進むと行き止まりにたどり着いた。東武伊勢崎線牛田駅のホームだ。よく見ると線路の一部が鉄橋のようになっている。
鉄橋?
鉄橋?
よく見えないので、駅の向こう側に回りこんで観察してみると……。
これは! 明らかに川に架かっていた鉄橋だ!
これは! 明らかに川に架かっていた鉄橋だ!
昔の地図を見てみると、たしかに川をしめす波線が牛田駅まで伸びている。おそらく、40年以上前は、この下を川が流れていたのだろう。
川がこのころまではあったのだ(「東京東北部 5万分1地形図」国土地理院・昭和29年応急修正)
川がこのころまではあったのだ(「東京東北部 5万分1地形図」国土地理院・昭和29年応急修正)
すっかり川だったことを忘れている柳原町の古隅田川は、牛田駅のホーム下に川だった頃の記憶を僅かに留めるのみとなってしまっている。

あやしい道はほぼ元水路でいいと思う

今回めぐった3件の「あやしい道」はどれも元水路だった。
地図を眺めていて「あれ?」とか「おや?」と思う道を見つけたらまずは「元水路だったのかな?」と思っていただいてほぼ間違いないと思う。
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