金ピカだけじゃない
タイのイメージとしてはやっぱり金ピカの寺院ではないだろうか。僕の行ったプーケットという町にもいくつか金ピカの寺院があって、巨大なものは敷地内に学校が併設されていたりしてそれはもうすごいことになっていた。
まぶしいくらいです。
この金ピカのお寺のミニチュア版ともいえる祠(ほこら)が一般家庭の玄関先なんかにもあるのだ。
周囲の雰囲気からずいぶん浮き立って見える。
周りは一般家庭、祠だけが急に派手。
支柱に布を巻いて上に花を飾るのが基本のようです。とにかく派手。
日本にも神棚のある家庭はあるかと思うけど、もっと神妙な感じですよね。
コンビニの前にもある。
本当に祠はそこらじゅうにある。家の塀とか道とか、結構壊れたまま放ってあることが多いのだけれど、祠だけはピカピカでどこも綺麗に花で飾られているのだ。
何もないところに供えてあるパターン
祠を作って派手に飾るパターンに加え、お供えものだけが単独で置かれている場合もある。この場合、本当にさりげなく置かれているので見逃してしまうことも多い。
ごはん、おかず、デザートにココナッツジュースまで。かなり豪華な食事が用意されているが、置かれているのは玄関脇の見えにくい場所(ほぼ地べた)だ。
こちらも食事とデザート、飲み物とお花。これらをひとまとめにしたプレートが通りに面したバーのカウンターチェアーの上に置いてあった。
でかいパイナップルが一個どーん。あとはエビを揚げたものだろうか。そしてジュースとデザート。ジュースのコップが3つあることが多いのはなにか理由があるのかもしれない。これも通りに面したお店の軒先に設置。
シンプルにお供え物のみのパターン
いろいろな都合で豪華な食事を置いたり祠を建てられない場合もあるかと思う。そういう時にはシンプルに気持ちだけお供えする。
お花と水、そしてお線香。
丸ごとパイナップルと水、そしてお線香。
たまたま乗ったタクシーの運転席の目の前にも小さな仏像が置かれていた。日本も仏教徒の多い国だけれど、これほど生活に密着してはいないと思う。
小さい仏像を買って帰ってうちの車にもつけようかと思ったけれど、さほど信仰心もないのに失礼かと思いやめた。
タクシーの運転手いわく、タイのこのあたりの沿岸部は2004年のスマトラ島沖地震の際の津波で何もなくなったのだとか。
「日本はいま大丈夫なのか」と聞かれたので「やはりなにもなくなった地域がある」と答えると「でもタイは3年で立ち直った。日本も大丈夫だ」とゆっくりとした口調で言われた。タイにいると人の中に仏の存在を感じることがある。
お供え物は犬に食べられないのか
ところで、タイには驚くほど野良犬が多い。僕も日本で犬を探す動画を作り続けているのだけれど(
参照)、あの苦労はなんなのか、と拍子抜けしてしまうくらいタイは犬だらけである。
犬が多い、で、地べたにお供え物が置いてある。普通に考えたら食べられそうって思うだろう。だけどタイの野良犬はお供え物を食べないのだ(もしかしたら中には食べちゃうやつもいるのかもしれないですが、僕が見たり聞いたりした範囲ではいなかったです)。
とってもシンプルなお供え物。注意していないと見過ごしてしまう。
食わないよ、だってそれお供え物だから。
こちらはバーの看板の足元に置かれたお供えもの。やはり一人分の食事がさりげなく置かれていた。
お供え物、食わない(その辺の水は飲むけど)。
曲がり角にいきなり一人分の食事が乗ったプレートが置いてある。お線香が立ててあるのでこれもお供え物。
うろついてるけど食わない。だってお供え物だから。
タイでは犬も仏教徒だからお供え物には手を付けないのだ、なんてことはないと思うので、たぶん食べられそうなところを見つけたらおっぱらっているのか、供えてある物を食べられないよう他に犬用のエサを提供したりしているのだと思う(実際犬用のエサ皿を外に出している家も多かった)。
もはやお供えものなのかどうか一瞬わからない。お線香が立ってるからお供えものと判定。
おれたち、お供え物、食わない。
供えられた気持ちを感じます
タイでいろいろなお供え物を見ていると、それを供えている人々を想像することができる。面倒だけど習慣だから、って適当にやっているようにはおおよそ見えないのだ。人も犬も、実に幸せそうに暮らしている国でした。