音が聞こえる
若干強引だった箇所もあるかもしれない。そんな音は聞こえてこないという意見もあるだろう。そこは協力。聞こえてください、という話なのだ。助け合い、ということなのだ。助け合おう、それが日本の夜明けぜよ、ということだ。
写真というものがある。基本的に写真から音が出ることはない。しかし、写真から音が聞こえることもある。写っている人が笑っていれば笑い声が聞こえる気がするし、海の写真ならば波の音が聞こえる気がする。
そのように、我々は音がないものでも、音を感じることができるわけだ。そこで東京にある代々木をYOYO木にしたいと思う。
写真を見ていると、被写体がなんて言っているか感じ取れる時がある。確証はないけれど、おそらくこう言っているだろう、という音が聞こえてくる気がするのだ。
ここに写る彼はなんと言っているだろうか。彼と言いつつ、私なのだけれど、「YO」と言っていると感じるはずだ。写真だから音は一切しない。しかし、「YO」と写真から言っているのがわかる。
このポーズは完全に「YO」なのだ。そして、登場するのが東京にある「代々木」という地名だ。私は小田急線沿いに住んでいるので、よく「代々木上原駅」を利用する。その度に思うのだ。
代々木上原の「代々」の部分を見る度に「YOYO」と脳内に響く。エビデンスと発する時や書く時にカニが脳内に登場して、お前じゃないよ、とカニに言ってしまうのと一緒だ。何を言っているのかわからないと思うけれど、そういうことなのだ。
代々木とは「YOYO木」なのだ。「よ」が二つ続くと、「YOYO」と言いたいのが人類なのだ。その方がリズムもいい。代々木より「YOYO木」。ぜひ声に出して言って欲しい。ビートを刻みたくなるはずだ。SAY YO!
代々木を全て「YOYO木」にしたい。文字ではなく全てを上記の写真に置き換えたいのだ。代々木と名の付く場所は多いのだ。代々木上原駅もそうだし、代々木公園もある。代々木という駅もある。代々木はすべて「YOYO木」なのだ。
上記の写真であれば、自然と「よよ」と読めるはずなのだ。しかもちょっと陽気な「YOYO」。世界がいま鮮やかに変わりつつあるのではないだろうか。
代々木をYOYO木にしたけれど、もっと行けるのではないだろうか。音を写真に置き換えられるのは「YOYO」だけではないはずだ。代々木を全て写真に置き換えたいと思う。
音が聞こえて来ないだろうか。YOYOの部分は今まで通りラッパー的な「YO」だけれど、「ギ」は悔しくて歯を強く擦り合わせるような「ギー」である。写真から「ギー」は聞こえてくるはずだ。私は聞こえる。とても聞こえる。
文字でなくても伝わるのだ。音を人々は感じ取れるのだ。YOYOギーなのだ。もっと行けると思う。YOYOギーの向こう側に行こうではないか。
代々木上原である。「ら」は想像力で補って欲しい。この記事で伝えたいのは、写真から音が感じ取れる、ではない。みんなで手と手を取り合い協力しようよ、ということだ。一人では成し得なかったことが、みんなとならできる、ということなのだ。
代々木上原ということだ。協力なのだ。全てはそういうことなのだ。手と手を取り合おう、ということなのだ。さすれば「ら」は写真から聞こえてくるから「代々木上原」と読めるはずなのだ。私はこの記事でそれを伝えたいのだ。協力の大切さを、愛とは何かを。
若干強引だった箇所もあるかもしれない。そんな音は聞こえてこないという意見もあるだろう。そこは協力。聞こえてください、という話なのだ。助け合い、ということなのだ。助け合おう、それが日本の夜明けぜよ、ということだ。
(編集部より)記事の内容に対して妙に写真がきれいなのがおかしいなと思って、地主さんに使用カメラとレンズをきいてみました。総額60万円以上する機材でこの記事は作られています!
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