若水を汲み道中記
翌日、元旦の日が昇る前に水を汲みに行く。高千穂では女性が担うことになっているそうだが、そこはスミマセン。僕がいかせてもらいます。
それにしても、5時に水を汲むから4時には起きなければならないのか…。
家から車に乗って天真名井を目指す。普通の人は寝静まっている時間なので、ビクビクしながら車のエンジンをかけた。あと職質されたらどうしようか。道中で人と話してはいけないのだ
適当な場所に車を停めて、桶と柄杓を手にして狭い道をいく。未明の異様な雰囲気がある。オバケとか出たらどうしようか。でもオバケ怖がっても一銭にもならんしな。いや、なるか?YouTuberとかさ。
小学生のころ、家族が寝静まったあと真っ暗な居間で光るADSLモデムにビクビク怯えていたことをふと思い出した。今の子供は何に怯えているのだろうか。
民家に目をやってみると、すでに起きているのか明かりの灯っているところが多くあった。そういえば宮崎の人は全国でいちばん早く起きるとかってどこかで見たな。
だらだら要らないことばかり頭に浮かぶ。昔の人だって、まさか身口意の三業が整えられているわけもないだろうし、同じようにボケーっと考え事をしながら歩いたことだろう。
壁の脇を通り抜ける。
天真名井のまわりはバリバリ工事中で、バリバリ重機が置いてあった。
ていうか、そうだ。数ヶ月前に業者さんに依頼されてこの現場の安全祈願祭を執り行ったのは僕だった(神職なので)。ひとまず、滞りなく工事が進んでいるようで安心した。どんな余談やねん。
飲めない水を汲むんだぜ
絶賛工事中だが、天真名井の池までは無事に近づけた。
そう、天真名井の水は飲めないのだ。僕は飲める時代があったことを知らなかったくらい、飲めない。
祖父から教わったとおりに拝礼をして、唱えごとをする。
「新玉の 年のはじめに 杓取りて よろずの宝 われぞ汲み取る」
新しい年のはじめに柄杓で水(=よろずの宝)を汲み取る、くらいの意味だろう。
それが済んだらいよいよ水汲みである。
飲めないだけでまさか毒ではないのだろうし、臆することなく水を手に取った。澄んでいてきれいな水だ。
川の水のflavorがした。飲むのはよしたほうがいい。
飲めない水を汲んでも仕方ないので、一緒に持ってきたペットボトルの天然水を桶に移し替えた。家に帰ったらこの水でお茶を淹れよう。(若水汲みをすることが大事だと思っているので臨機応変に進めます)
用事を済ませて、碑にお供えをして引き返すことにした。高千穂では、水の神さまに一度見せた供物は持ち帰ってはならないとされている。もし一升瓶を持っていたら全部飲ませてあげないといけないのだ。
この場を離れる直前、ぽこぽこと水が湧き出る音がして辺りに白い煙がたゆたった。なるほど、神様の歓迎のあかしと見ようじゃないか。お邪魔しました。
お茶を沸かそう
せっかくなので、持ち帰った水で緑茶を淹れてみよう。
これが若水で淹れた緑茶である。実際にやってみるとなかなかの感慨がある。
ズズズズ。
うまい。いつも飲むお茶と味がぜんぜん違う。なんて言うんだろうな、こう、澄みきった爽やかな味がする。ランクがひとつ上がっているような…ああ、そうか!
ペットボトルの天然水でつくったお茶だから美味いのだ。