特集 2023年4月6日

つくばの謎の橋を渡る

橋、あらわる

橋、あらわる。というか最初からそこにあったのだが、とにかく辿り着いた時の気持ちはそんな感じだったのだ。

いやー。ついに辿り着いた。子どもの頃から疑問に思っていたから30年越しだ。よく分からない感情だが、たぶん嬉しい。

プレートに「花室跨道橋」と書かれている。橋の名前がついに分かった。別のプレートには「昭和46年3月竣工」とあった。重要な情報が分かっていく。

そしてこれが、つくば中心部への眺めだ。

つくば民よ、この景色を見たことはあるか。我こそはここに立った初めての民であるぞ。という感慨だった。当然そんなことはない。

橋を渡った先はこんなふうになっていた。遠くに畑とビニールハウスが見える。道は舗装されておらずどこからが私有地か分からない感じだったので進むのはやめておいた。

つくば小ネタ:その3

つくばの一般的な橋はこんな感じだよ。ぼくはこの欄干の外側を歩いて通報されたことがあるぞ。みんなはやめよう。

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結局、何の橋だったのか

というわけで、橋を渡ることはできた。それはよかったのだが、結局どういう素性の橋なのだろうか。

来た道を戻ったところ住人の方がいらしたので、橋について聞いてみた。すると、
・橋を渡った先は別の人の畑になっている
・向こうからこちらへ来る道はない

とのことだった。

つまり、実質、畑の所有者が畑との間を往復するときしか渡られない橋だ。ということはやはり、つくば民のほとんどは渡ったことがないのだろう。(ただし橋の名前で検索したところ、あの友朋堂書店の元店員の方が渡っておられた。さすがだ。)

しかし、個人の畑に渡るためだけ橋をわざわざ公に作るだろうか。

というわけで地形を見てみる。

地理院地図(自分で作る色別標高図)に加筆

問題の橋のあたりを、標高によって塗り分けた地図だ。真ん中の橋があるあたりを拡大してみる。

ここだ。切り通しになっている。

画面を左下から右上に横切る線は、つくばと土浦を結ぶ土浦学園線という道路だ。道路を通すにあたって、ここにもともとあった岬のような地形を切ったのだろう。

土浦学園線ができたのは昭和47年ごろのようだ。プレートによると橋ができたのは昭和46年。つまり道路の工事はその数年前から始まっていて、同時に橋も作ったということなのだろう。なるほど。だいたい分かった気がする。

ところで Googleマップにはここに「花室城趾」と書かれている。戦国時代までここに城があったようだ。岬の先端の地形で、いかにも城に向いている。その後は江戸時代からすでに畑になっていたようだ

そういえば、橋の手前で左を向くと、少しだけ開けた場所があった。この盛り上がった場所が土塁だったのかもしれない。


また1つスタンプを押した

気にはなってるんだけど、わざわざ行くほどではない場所ってあると思う。しかもいくつもあると思う。

ぼくの場合はそのまま大学でつくばを離れてしまい、ついに確かめることはなかった。しかし人生は短い。わざわざ行かない限り絶対に行くことはないのだ。

最近、そういう場所に行ったときまた1つスタンプを押せたなと思うことにしている。行くほどでもなかったと思うこともあるが、まあいいのだ。今回は道の奥に橋が見えたときが一番嬉しかった。

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