『となりのトトロ』ってどんな話?
今、この記事を読もうとしている、日本語を解する人(たぶん日本人が多いと思いますが)に対して『となりのトトロ』がどんなアニメ映画かを説明する必要があるのかわかりませんが、大雑把な紹介としては以下の通りです。
『となりのトトロ』は、1988年に公開されたアニメ映画で、昭和30年代前半を舞台に、田舎へ引っ越してきた姉妹、サツキとメイが、森に住むふしぎないきもの、トトロと交流する……というお話です。
みなさん『となりのトトロ』は一度ぐらいは見たことがある前提で、話を進めます。
見たことない方は「そういうものなんだな」という感じでお読みいただければと思います。すみません。そんなに難しい話はしませんので。
松郷が県境の近く
まず、サツキとメイが引っ越してきた村の「松郷(まつごう)」についてです。
迷子になったメイを探すため、サツキが畑の中を走り回るシーンで、オート三輪に乗ったカップルに「どこから来たんだ」と問われ、サツキが「松郷」と答えると「まつごぉ〜!?」とびっくりされるシーンで有名な、あの松郷です。
ぼく個人的には、となりのトトロのなかで、このシーンがいちばん好きです。(具体的な地名が出てくるから)
というわけで、サツキとメイは松郷に住んでいるわけですが、この松郷は、所沢市松郷として実在している場所です。
上の地図を見ていただければ分かると思いますが、東京都との県境である柳瀬川という川まで数キロメートルです。
映画の中では、緑豊かな田園風景が広がっていましたが、今はかなりデカい道が雑木林と畑の中を貫くいかにも東京郊外の関東平野といった風情の場所となっております。
実は、この松郷のすぐとなりに牛沼という場所もあるのですが、これは、サツキとメイが乗り込む化け猫のバス、ねこバスの行き先表示に一瞬出てくる地名でもあります。
松郷のすぐ横なので、もちろん牛沼も県境に近い。ということになります。
筆者が鳥取に住んでいた中学生の頃、ねこバスの行き先が、塚森>長沢>三ツ塚>墓道>大社>牛沼>……と、くるくる変わるシーンを見たとき、これらの地名が気になったので、東京都の区分地図帳を買ってきて、牛沼や松郷を探しだした思い出があります。
牛沼も松郷も埼玉県所沢市ですが、県境に近かったので、東京都の区分地図帳にかろうじて載っていたというわけです。(と、ここまで書いて、郵便番号簿で探しだした気もしてきました……)
あの六地蔵の寺
映画の中で、ちょっと離れた病院に入院しているお母さんに、収穫したとうもろこしを届けようとしたメイが迷子になって、六地蔵のまえで座り込んでいるシーンがあります。
このシーンのモデルとなった六地蔵が、県境の近くにある梅岩寺という寺院にあります。梅岩寺は、埼玉県ではなく、東京都東村山市にあります。
おそらくこのお地蔵さまは、作画上参考にした程度で、映画のこのシーンがこのお寺、というわけではないことは重々承知してはいるのですが、この六地蔵のある寺から県境となっている柳瀬川までは、歩いて5分ほどの距離です。
そもそも、お地蔵さまは、道祖神と習合して集落の境界に祀られているものが多くあります。
地蔵菩薩は賽の河原(三途の川、此岸と彼岸の境界)で鬼にいじめられる子供たちを救済してくれる存在です。
この後に紹介する上安松地蔵尊もそうですが、人々が暮らす生の世界と、その外の死の世界を分け隔てる境界で、人々(特に子供たち)を守るという意味も込められているのかもしれません。
あと、これは県境あまり関係ありませんが、梅岩寺は志村家の菩提寺ですので、志村けんのお墓があります。
志村けんの曽祖父で、車大工だった志村六太郎のバカでかい墓の横に、志村家代々の墓があり、墓碑銘にしっかりと志村康徳と刻まれておりました。合掌。
カンタが傘を押し付けた祠も県境の近く
サツキとメイがお地蔵さまの祠で雨宿りしている時に、同級生のカンタがサツキとメイに自分の持ってるボロ傘を押し付けて帰る、カンタが実はちょっとやさしい男だということがわかるシーンがあります。
このとき、雨宿りしていた祠も県境の近くにあります。
この祠は、めちゃくちゃ県境に近く、歩いて1分ほどのところにある松戸橋が県境となっています。
柳瀬川周辺は、県境が入り組んでおり、川を挟んで飛び地となっている東京都や埼玉県もあるのですが、少なくとも明治時代からこの県境となっているようです。
埼玉県と東京都は、もともと武蔵国として一つだったため、江戸時代には、この境界は入間郡と多摩郡の郡の境界でした。
明治時代に廃藩置県が行われ、武蔵国のうち現在埼玉県となっている地域には川越県、忍県、岩槻県、大宮県(浦和県)など、無数の県が誕生します。1871(明治4)年にはそれらの県が整理され、川越を県庁とする入間県と、埼玉県が成立しますが、入間県は1873(明治6)年に群馬県と合併し熊谷を県庁とする熊谷県となります。
1876(明治9)年、熊谷県のうち、旧武蔵国の地域が埼玉県と合併して、現在の埼玉県がほぼ完成しました。
一方、多摩郡は、かなーり複雑な経緯を経て、西、北、南の3つに別れ、1871(明治4)年に神奈川県になり、1893(明治26)年に東京府(後の東京都)に編入されます。
明治時代の一時期、明治26年までは、神奈川県と埼玉県が接していた。ということになります。
なお、西多摩郡、北多摩郡、南多摩郡のいわゆる三多摩郡が、なぜ東京府に編入されたかというと、帝都であった東京市の水源を確保するためだったとも言われています。
ここからもう少し西側に行ったところに、多摩湖や狭山湖といった大きなダムがあるのも、無関係ではないでしょう。
七国山病院は県境にある
さて『となりのトトロ』ですが、サツキとメイのお母さんが入院している「七国山病院」。これは東村山市の八国山緑地にある新山手病院がモデルです。
新山手病院は、1939(昭和14)年に、結核治療の病院として開園しました。
お母さんの病気は、作中では明言されてはいませんが、設定上では結核ということなのかもしれません。
サツキとメイが住んでいる松郷から、お母さんが入院している七国山病院まで、お父さんと自転車で向かうシーンがありますが、グーグルの経路検索で調べると、松郷から新山手病院まで自転車で30分ほどと出ました。実際に走ると1時間ぐらいでしょうか。これは、かなりリアルな時間だと思います。
もちろん、県境を超えることになるわけですが、それよりなにより、新山手病院の裏手にある八国山緑地は、そのまま県境となっています。
そもそも、この八国山という地名の由来は、そのいただきから、上野、下野、常陸、安房、相模、駿河、信濃、甲斐の八カ国の山が見渡せるからついた名前だといわれています。「国境を見渡せる」という意味を含んでいるとも言えなくもないのです。
つまり『となりのトトロ』は境界がテーマだった
以上、モデルになった場所で、県境に近い場所を巡ってみましたが、いかがでしょう。
トトロが住むような異世界と、人間の世界を、境界を越えて自由に行き来できるサツキとメイは、境界に近い村で暮らし、境界に近い学校に通い、境界で迷い、境界で療養する母に会いに行く。『となりのトトロ』はそういう映画だったわけです。
サツキとメイは、異世界の存在であるトトロやねこバスのふしぎな力を借りて、黄泉平坂の向こう側へ行きそうであったお母さんに、収穫したばかりのみずみずしい食べもの(とうもろこし)を届けに行く……つまり、いろいろなものの境界で生きる姉妹の物語だったのではないか、そんなことを考えてしまいます。
というわけで『となりのトトロ』は県境アニメということでよろしいでしょうか。
異論は認めます。