奏者にとっても大舞台
コンサートの興奮冷めやらぬ数日後。東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団(以下、シティ・フィル) 首席ティンパニ奏者の目等(もくひと)貴士さんにお話をうかがった。
――今回のクライマックス、お客さんの期待度も高かったと思いますが、やはり緊張されましたか?
目等さん:はい(笑)
――他にもいろんな変わった奏法が出てきましたが、その中でもあの突っ込むところは特別でしたか?
目等さん:ですね。曲が進んでいくにつれて、だんだん……そろそろだ……やばいやばいやばい、みたいな。
それでエンドカデンツァ(最後のソロパート)に入って、直前のドコドコドコドコって部分を叩きながら突っ込むティンパニの方を見たら「ええ、なんかちょっと(配置が)遠くない!?」って思って(笑)
――ははは。
目等さん:そうやってあそこに至るまでに大きなストレスやエネルギーが発生していて、あの曲はそれも含めての音楽なんでしょうね。
今回の演奏は目等さんにとっても大舞台だったという。
あらためて曲のタイトルを紹介すると、「ティンパニとオーケストラのための協奏曲」。
協奏曲というのはソロとオーケストラが共演する形式の曲。つまり目等さんは完全に主役だったわけだ。
目等さん:私のようにオーケストラに所属している奏者が協奏曲をやるのは、一生に1回あるかないかぐらいの出来事だと思います。僕にそのタイミングが来たら、必ずこの曲をやろうって、もう前々から決めていたんです。
目等さんに協奏曲の話が来たのが一年前。それからずっと準備をしてきたそうだ。
目等さん:今回の演奏が終わって、僕の自分の人生においてひとつのマイルストーンになったと思うんですね。これまでと、ここから先っていうのが、完全にもう変わったなという。それだけの大舞台でした。
大舞台であればあるほどその陰にたくさんの裏話があるわけだが、そのまえにいったん、先に知っておいてほしい知識を紹介しよう。
そもそもティンパニって何?という話である。
ティンパニとは?
目等さん: ティンパニは太鼓(たいこ)です。大まかな構造としては大太鼓なんかと同じですが、ドレミファがあるっていうのが大きな特徴です。
こうやってメロディを奏でることもできます。
まず太鼓ごとに音の高さが違う。だから複数並べているわけだ。さらにそれぞれにペダルがついていて、その踏み込み方でも音程が変わる。
実際の演奏の中でどんな風に使われているかは、たとえばこの曲を聴いてみてほしい。
↑ティンパニの活躍がわかりますか
ティンパニは曲の中の重要なポイントに登場し、曲を締める役割があるそうだ。それがしっかりしていると、オーケストラ全体の演奏が安定感を持ったものになる。
「オーケストラの骨格を支える楽器」とよく言われるらしい。
皮の話
ティンパニの皮はプラスチックと本革の2種類がある。
素材が変わると音が変わるので曲によって使い分けるそうだが、今回の演奏では特別に第3の皮が用意された。突っ込むための皮だ。
先ほども触れたが、紙である。楽譜を見せてもらったが、「紙を貼ったティンパニに最大限の力で突っ込み、そのまま静止する」という指示が書かれているのだ。
紙は目等さんが自分で選んだ。日本画を描くための和紙を使ったのだという。
――どうしてこの紙に?
目等さん:大きい紙じゃないといけないのと、見た目もいかにもダミーだとつまらないので、太鼓の皮っぽいものを選びました。
フォルテとかフォルテッシモとか、聞いたことがありますか。楽譜に書かれている記号で、フォルテ(f)は強い音。フォルテッシモ(ff)はもっと強い音。紙を破るところにはフォルテが5個(fffff)書いてあるんですよ。ですから、こう「ベリ」みたいな音じゃ困るわけですよ。厚みのしっかりした紙です。
――やっぱり音が大事なんですね。それでしっかりした紙を選ばれたと。
目等さん:ただ、そうすると、怖いんです。初めて練習した時は、思いっきり「ばちゃん!」って飛び込んだつもりが、動画見てみたらめちゃめちゃ腰が引けてて(笑)
なので何度も練習しましたね。そのたびに張りなおして、1回練習するたびに750円。 紙って高いんですね。
メンタルだけではなくお財布にも負荷のかかる大舞台だったようだ。
マレットいろいろ
マレットというのはティンパニを叩くための「ばち」のこと。こちらも特殊なものがたくさん使われた。まず一般的なものから紹介しよう。
持ち手は竹で、先にコルクがついていて、そこにフェルトが巻いてある。フェルトがほどけてフカフカになってきているのがわかると思うが、実はこれくらいがいい頃合いらしい。
目等さん:フェルトの繊維が少し崩壊してくることによって、より深みのある音色になります。奏者によってちょっとずつ癖があるので、同じマレットを同じ期間使ったとしても、違う音に育っていきます。
一方で、今回の協奏曲で使われたマレットはこちら。
シロフォン用のマレットも登場するが、こっちは使い方が変わっている。
↑叩くのではなく、弾くことでビヨ~ンってばねのような音を出している。
さらに気になるのは、前のページでも紹介したメガホン。
目等さん:楽譜に「木か段ボールか金属のメガホン」と指示があり、野球の応援に使うようなプラスチック製じゃダメなんです。船舶積載用のメガホンを買いました。モノタロウで。
――モノタロウで!
↑こうやって歌う
――これはもはや歌じゃないかと思うのですが、ティンパニの演奏といえるんですか?
目等さん:ただ歌うわけでなく、実際には歌いながらティンパニで共鳴させるんです。こうやってティンパニがどこまで多様な表現ができるかっていうのが、この曲の一つのコンセプトだと思います。皮の音、木の音、金属の音、肉の音……
――え、肉ですか?
目等さん:楽譜に指示があるんですけど「いや、そんな」って思って(笑)
自分でも読んでも、google翻訳にもかけて、やっぱり本当に手でした。
プロの音楽家ですら信じられないような特殊な奏法が続出するのが、この曲だったのだ。
なぜティンパニに突っ込むのか
最後に、一番気になっていたことを聞いてみた。クライマックスでティンパニに突っ込む展開、別に笑わすためにやっているわけではなくて、音楽的に意味があるはずなのである。それはどういうものなのだろうか。
目等さん:はい、単に面白パフォーマンスではないはずなんです。これはあくまで私の解釈ですが……
この曲は、上に上ろうとするエネルギーと、それから下に下がってしまうエネルギーとが拮抗してる曲だと思うんです。最初に、ターラ⤵、タラタラ⤵っていう高い音から低い音に下がるフレーズから始まって、それが何回も何回も出てきます。に対して、タタタタタッタタ⤴って上昇するフレーズも何回も出てくる。
――上がったり下がったりするんですね。
目等さん:そうです。上がりたい、良くなりたい、お金が儲かりたいとか、わからないですけど(笑)そういう気持ちがあるわけです。それでイカロスみたいな感じで、上に上に飛んでいこうとするんです。
でも1番最後は、グリッサンドといって、ちょっとずつ音が下がる表現をしてるんですね。結局どうしても上がれなかった。あとは落ちていくだけ……で、最後にバチャンって飛び込むんです。
ですからこれは、ティンパニよりも、もっともっと全然低い、人間が聴こえる限界よりもっと低い音の表現。それを表現するにはあれしか方法がなかったんじゃないかなと思います。
勝手な想像なんですけど、私はそう思って演奏しました。
そういったある意味すごく悲痛な場面が、あの話題のクライマックスに込められていたわけである。だからこそのあの緊張感だったのだ。
聞けば聞くほど面白い
他にもいろんなお話を伺ったのだけど、個人的に面白かった話をもう一つ紹介したい。
打楽器奏者である目等さん、実はリズムゲームがものすごく下手らしい。それには音速が影響しているとのこと。
目等さん:打楽器はオーケストラの1番後ろにいて遠いので、時差が生まれるんです。一番前で弾いているバイオリンの音を聴いて、ここだな、ポンって音出すと、全然遅れちゃうんです。僕は常にちょっとずつ早く叩かなければいけない。
太鼓の達人っていうゲームあるじゃないですか。あれ、めちゃくちゃ下手なんです。 全部、ちょっと早く叩いてしまうという(笑)
今後オーケストラ演奏を見る機会があったら、ぜひティンパニに注目していただきたい。たとえ奏者が楽器に突っ込まなくても、よく見るとめちゃくちゃ面白く、かっこいい楽器だからだ。
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団からのおしらせ
第369回定期演奏会が開催されます。
日時:
2024/4/19 (金) 19:00開演 [18:15開場]
◎18:40より指揮者 高関健によるプレ・トークあり
会場:
東京オペラシティ コンサートホール
チケットはこちらから
常任指揮者 高関健によるシーズン開幕プログラム。ソリストには実力派ヴァイオリニストの南紫音が登場。ベートーヴェンの名曲《英雄》にも乞うご期待。
※ティンパニに突っ込む曲の演奏はありません