そして三週間が経った
時は流れて試験当日である。
当日は朝10時より総合保健センターで試験が始まる。普段東京に住んでいる私にとって何を意味するかというと、とても朝が早いということだ。
肝心の勉強の出来だが、どうだろう。一応テキストを一通りは読み込んだものの、知識を血肉として吸収できたかと言われればかなり怪しい。
特に学生時代より苦手としていた歴史は大変苦戦した。具体的には戦国時代の群馬領の変遷のところで3、4回は寝落ちして朝を迎えている。
一方で楽しかったのは近代。特に本来ならば高崎が県庁所在地になるはずだったのに県庁舎の土地の都合などで前橋市になってしまって大変遺憾、というくだりはとても楽しかった。なんならそれ、小さい頃に母からも聞いたことがある。きっと高崎市民の総意なんだ。
中に入ると受験票の確認があり、あらかじめ決められた席へ誘導された。私の受験番号は153番。つまりこの日、150人以上の高崎学の猛者が集まっているということになる。
検定部屋には長机がきれいに並べられており、カンニング防止のためか一席ずつ間を空けて参加者を座らせていた。うん、完全に受験だ。
受験者は見渡す限り年配の方々ばかりだ。だいたい60代から70代の方が多い印象だろうか。その中で私。アウェイだ。アウェイすぎる。
問題は100問、試験時間は90分。途中退室は試験開始後30分以降、または終了10分前まで。そういったことが試験管より厳かに告げられる。
受験者は私語など誰一人せず、しん...とした空気だ。社会に出てから久しく味わっていない空気である。
終戦 〜俺たちの戦いは始まったばかりだ〜
端的にいうと、だめだった。
どのくらいだめだったかというと、初めて自信を持って答えられた問題が頭から数えて60問目くらいだった。つまり半分以上、いやその後も合わせて8割くらい雰囲気と推理で答えてきたのだ。
過去問のテキスト曰くこの検定は平均点70点、博士は90点以上をマークするらしい。そんな調子では到底及ぶはずがないのだ。
しかしだめだめながら色々と分かった事もある。例えば問題は縄文時代、戦国時代、近代と時代ごとにほぼ等しい数でまんべんなく出題されること。また実際の問題を通して、検定ガイドブックにて抑えるべき内容がなんとなく掴めそうなこと。
つまりは傾向と対策である。傾向は分かった。ここから1年かけて対策をしていく......かどうかは分からないけど、久しぶりに受験という緊張感が味わえたのは楽しかったので、もう一度受けてみたい気持ちはある。
また頑張ります。
思い入れのある街を知るということ
検定を通じて一ついいなと思ったのは、好きな街のことを知るのは楽しいということだ。
当たり前だが街には歴史がある。今回は高崎市を縄文時代まで遡って学ぶことができたが、私が普段住む街や、実家がある街にも同じように古くから続く営みがある。
私が好きなあの街、この街にはどんな出来事があったのだろう。どんな紆余曲折を経て今の街並みが形作られたのだろう。検定がなくとも、図書館や地域の博物館などで調べてみるのも面白いかもしれない。
そういうなんか良い感じで今回はまとめさせてください。点数があまりにも冴えなかったので。