案内人は「タバタバー」のマスター
その人物とは、昨年11月にオープンしたばかりの「タバタバー」店主の櫻井寛己さん(29歳)。
たった6畳の立ち飲みバーだが、田端の新しい酒スポットとして注目を集めている。櫻井さんは。田端愛が高じて、田端のニュースだけを取り上げる「TABATIME」というウェブマガジンも立ち上げた。
「生まれも育ちも田端です。大学を卒業後に就職したお菓子メーカーの研修で1ヶ月間だけ新潟に住みましたが、それ以外はずっと田端から出たことがありません」
お酒のメニューを聞くと、なんと三冷のプレミアムホッピーを置いているという。こうした佇まいのバーにしては珍しい。しかし、この店の売りはレモンサワーだ。
美味い。ちなみに、店頭に植えられていたのはレモンの木だった。櫻井さんのレモンサワー好きを知っている人が開店祝いにプレゼントしてくれたそうだ。ここで、常連らしき紳士が入ってきた。聞けば、店のすぐ裏に住んでいるという。
「こないだも22歳の娘を連れて飲みに来ましたよ。ここなら気心知れたマスターの目が光ってるから、女の子の一人飲みも安心でしょ」
いよいよ「田端ベスト10」のカウントダウン
今回は冷たい雨が降る中、櫻井さんの案内で半日かけて約2万歩をそぞろ歩いた。
案内人からは「あ、田端銀座商店街とかは登場しません。僕、あまり馴染みがないんで」というジャブが放たれる。
では、10位から順にご紹介しよう。
田端文士村記念館
着いたのは1993年に創立された「田端文士村記念館」。
大正期から昭和初期にかけて、芥川龍之介、室生犀星、萩原朔太郎らが田端に集まり、文士村を形成したそうだ。芥川龍之介の研究者としても知られる木口直子さん(36歳)が応対してくれた。
「現在の企画展は、『恋から始まる物語〜作家たちの恋愛事情~』です。芥川龍之介が友人に恋の悩みを吐露した2通の手紙を初公開しています。妻・文に宛てたラブレターも展示中です。」
「常設展の方もぜひ見ていただきたいんです」と木口さん。そこには芥川が住んだ家を30分の1に縮小した復元模型が展示されていた。監修したのは目の前にいる木口さんだ。
「1927年、芥川が35歳で自殺する数カ月前の設定です。家の測量図、芥川の作品、家族や書斎を訪れた作家の証言、遺品、写真などを参考にしながら制作しました」
「それは芥川です。実際にそういう映像が残っています。あ、裏庭も見てください」
芥川が文さんに宛てたラブレターだった。昨年2月2日は芥川夫妻にとって100回目の結婚記念日。それに合わせて開催された記念展でラブレターを初公開し、文さんのフィギュアを模型内に加えた。なんとも愛あふれる話ではないか。
遺構のない文学散歩ではありますが、実際に歩けば在りし日の「田端文士芸術家村」を偲ばせる街の片鱗を感じられます。
あみ印食品工業
続いて案内されたのは、駅の東側に位置する「あみ印食品工業」。1958年からのロングセラー、「炒飯の素」を製造・販売する会社だ。
常務取締役の小池昭一郎さんが「雨で寒い中、すみませんねえ」と出迎えてくれた。偉い人なのに腰が低い。
左側が元祖「炒飯の素」。うわ、懐かしい。田端の会社が作っていたのか。右側は2012年に創業60周年を記念して作られた「炒飯の素プレミアム」だ。
「今でこそ、いろんな食品メーカーが作っていますが、これは日本で初めて発売された『炒飯の素』です。1958年といえば、長嶋茂雄が読売ジャイアンツに入団した年。発当時は、年間約50万袋を売り上げる大ヒット商品でした」
1959年には、これまた日本初となる「冷やし中華スープ」を発売。コンビニはもちろん、スーパーもない時代のため、一升瓶で出荷して乾物屋さんが量り売りしていたそうだ。
これらのグッズは小池さんがコンセプトを考えて、販売促進室の社員が形にする。「ちょうど隣で新商品の販促会議をしてますからご覧になりますか?」と言われた。
小池さんから「櫻井さんに、今度いつ取材に来てもらうかを話し合っています」という炒飯ジョークが飛び出した。
そんな小池さんに「一番好きな炒飯は何か」と聞いてみた。答えは「卵とネギと塩味だけの炒飯。純粋に米の味を楽しみたいから余計な具はいらない」。深い。
小池さんの「田端のここが好き!」
個人商店が元気なところでしょうか。あと、いわゆる“夜のお店”がない健全な街だと思う。
山手線唯一の踏切「第二中里踏切」
鉄道ファンには常識だが、田端駅と駒込駅の間には山手線唯一の踏切がある。「1時間中の遮断時間が40分を超える開かずの踏切」と聞いて実際に見に行ってみたが、意外にも1分前後待てば遮断機は上がる。
どんなジャンルであれ、「唯一」というのは誇れる勲章だ。しかし、JR東日本と北区が「改良」を検討しているそうで、もしかすると数年後には山手線から踏切が消滅するかもしれない。
踏切に口があれば、田端のいいところを聞いてみたかった。
エクスプレスはやて
田端近辺には山手線唯一の踏切の他に、田端運転所や尾久車両センターといった鉄道関連の施設が数多くあり、「鉄道の聖地」ともいわれている。鉄道グッズ専門店「エクスプレスはやて」も聖地たらしめるスポットのひとつだ。
店内には記念切符、オレンジカード、制帽、カタログ類が所狭しと置かれている。車両の部品や座席シートなど、大きいものは倉庫に保管しているそうだ。男性スタッフに「一番高いものはどれですか?」と素人丸出しの質問をしてみた。
「一番かどうかはわかりませんが、店頭のヘッドマークも一応売り物で40万円ぐらいです」
ちょっと想像を超える価格設定だった。毎日入荷があるので、目当てのものを探している人は毎日のように確認をしに来る。
鉄道マニアのジャンルはどれぐらいあるのだろうか。
「こないだ店長ともその話になったんですが、好みのジャンルは分け始めたらキリがないんですよ。乗り鉄、撮り鉄が大きいジャンルで、コレクターになるとオレンジカード、切符、部品という具合にものすごく細分化されます」
硬券に日付を印字する「ダッチングマシン」も見せてもらった。
「マイクの方は僕には何かよくわかリません。値段もいくらでしょうね」
よくよく聞くと、彼は鉄道にまったく興味がないそうだ。「詳しい人を雇うと周りがお宝だらけなので、いろいろと問題が生じやすいんです」という説明を聞いて納得した。
とにかく、治安がいい。チェーンの飲食店は駅前ぐらいで、美味しい個人店がひっそりとあったりします。
ローソン 田端新町二丁目店
コンビニの前で立ち止まった櫻井さんが「ここも、ぜひご案内したい店です」と言う。聞けば、彼が店長を務めるローソンだった。おお。
櫻井さんは、ここ田端に居を構える家系の4代目。ひいおじいちゃんは魚屋を営んでいた。祖父と父親の代からレストランに業態替えをしたが、縁あってローソンの関係者と知り合い、親子で借金を背負ってフランチャイズ契約を結んだそうだ。
「店員はほとんどが身内。僕が手伝うようになって親父もずいぶん楽になったんじゃないですかね。物心ついた頃から家の下がローソンだったせいか、青いものを見ると落ち着くんですよ。プロ野球だと松坂時代の西武ライオンズの大ファンでした」
甲類焼酎の「甲次郎」(1285円)は年配層を中心に根強いファンが多い。「Lチキバンズ」(72円)はローソンのLチキを挟んで食べるというアイデア商品だ。「発酵バターを使ったふんわりバウムクーヘン」(125円)は幅広い層から支持されており、「沖縄の海水塩仕立てミミガー」(198円)は大量に買い込む客がいる。
「ただ、ちょっと心配なことがありまして。コンビニのエロ本規制でもうすぐ入荷できなくなるんですが、うちはエロ本がめちゃめちゃ売れるんです。空いた棚でデザートでも展開しようかな」
経営者の顔を覗かせた瞬間である。
なぜかエロ本がよく売れるのでコンビニとしては大いに助かっていますが、規制後の売り上げ減が心配です。
シネマ・チュプキ・タバタ
2016年は田端にとって記念すべき年となった。街に映画館がオープンしたのだ。その名も「シネマ・チュプキ・タバタ」。
コンセプトは健常者も障害者も一緒に映画を楽しめる「ユニバーサルシアター」。運営するのはバリアフリー映画鑑賞を推進する団体、シティ・ライツだ。代表の平塚千穂子さん(46歳)は言う。
「もともと、耳が不自由な方のための音声ガイドや、目が不自由な方のための字幕上映などを行ってきましたが、本格的な映画館として開業できたのはクラウドファンディングのおかげなんです」
ダメ元で開業資金を募ったところ、3ヶ月で500人以上から1800万円余りの資金が集まった。オープン後は口コミでやネットなどで評判が広まり、今では全国から障害者が訪れる。
櫻井さんは平塚さんとも支配人の和田浩章さんとも非常に仲がよい。とくに、和田さんとは同い年ということもあり、この日もトークが弾んでいた。
平塚さんが言う。
「映画館を始めてみてわかったんですが、田端の人は本当にやさしい。目が不自由な方が道に迷っていると、わざわざここまで連れてきてくれるんです。商店街の働きかけで、駅まで行く途中にある信号機に音響装置も付きました」
人と人との距離が近い。小学生がふらっと入ってきたと思ったら、ロビーでお絵描きをして帰っていくんです。
長嶺製茶
製茶店といっても、ご紹介したいのは茶葉ではない。ソフトクリームの上に抹茶の粉末をこれでもかというぐらいふりかける「むせ抹茶ソフト」だ。櫻井さんが「ガチでむせますから」と脅す。
店長の高津和彰さん(58歳)いわく、「うちは静岡の老舗製茶問屋の東京直売店。発売当初はパラリとふりかけるぐらいでしたが、『景気よくやれ』という社長からの指示で現在の量になりました」
何はともあれ動画を見てほしい。
ふりかける手を一向に止めようとしない高津さん
1本350円だが、そのうち半分ぐらいは抹茶代なのではないだろうか。「はい、どうぞ」と手渡されたが、そっと歩かないと抹茶が宙を舞う。気を使って外で食べることにした。
櫻井さんによれば、先日テレビ局から「田端にインスタ映えするスポットってありますか?」という問い合わせがあったそうだ。「ないです」と即答したそうだが、これ動画で撮れば相当映えますよ。
私は2駅離れた王子に住んでいますが、交通の便でいえば田端の圧勝。山手線で何処へでも行けますから。
ぐぅふぃ〜
第3位は「チュプキ・タバタ・シネマ」、「長嶺製茶」と同じ田端駅下仲通り商店街にある「ぐぅふぃ〜」。櫻井さんが小学生の頃から通う、おもちゃ屋兼駄菓子屋だ。
店内はザ・昭和といった佇まいだった。漫画、プラモデル、駄菓子がぎっしりと並び、端にはレトロなゲーム機が鎮座する。永江敏行さん(69歳)によれば、「昔遊びに来ていたお父さんが子供を連れてきて、その子供がさらに自分の子供を連れてくる店」なんだそうだ。
子供時代の櫻井さんもよく食べていた。
「みんな好きでしたね。『ブタメン』はちっちゃいカップヌードル。『ペペロンチーノ』はパスタなんだけど、普通にお湯を捨てて食べてももいいし、そのままラーメンっぽく食べるやり方も流行っていました」
永江さんが言う。
「うちは消費税なしです。100円玉を握りしめてくる子たちから取れないでしょ」。
大物は出ないけどいい街ですよ。よそから来た消防士が田端に異動したいって言ってました。出動がすごく少ないみたいです。
テラス
第2位はローソンの真向かいの喫茶店「テラス」。新橋、人形町で修行を積んだマスターの杉本光司さん(69歳)が切り盛りしている。
眼帯をしたママが櫻井さんに話しかける。「あそこの斜め前でカフェができるみたいよ、3月20日だかオープンって言ってた」。櫻井さん「へえ、知らなかった」。こうして情報交換が行われる。
スパゲティのランチセット(800円)がすごかった。サンドウィッチはこだわりの焼き玉子。
顔見知りだという先輩が櫻井さんのとろこに挨拶に来た。
「タバタバー出店、おめでとうございます」
エグザイル風のイケメンだが礼儀正しい青年。ローソンでアルバイトをしている友達の兄貴だそうだ。喫茶店は地元のサロンである。
「マスターは新商品のパンとか好きだよね。オススメのチョコをくれとか。食べてないのでわかりませんって言いますけど」
山手線の中で一番開発が遅れた街だからね。村みたいな集合体が残っているところがいいと思うよ。
鳥幸
櫻井さんがタバタバーの開店準備のために帰った。田端に乾杯するのはここだ。
寡黙なご主人。高橋清丈さん(53歳)は櫻井さんのお父さんの後輩で、一緒に仕入れに行っていた仲らしい。
テレビは夕方のニュース番組。ホラン千秋が何か喋っているが、こちらは田端のことで頭が一杯だ。
吉田類が「酒場放浪紀」で訪れた名店。カウンターの男性客グループは「札幌の人はススキノで魚食わない。俺らが銀座の寿司屋行かないのと同じ」という話で盛り上がっていた。
何にもないけど住みやすいよ。うちのお客さんで警察官がいるんだけど、こっちに異動したいって言う。治安がよくて暇だから。