特集 2024年11月5日

祖父母の写真を処分したら、あまりエモくなかった

家族のことを書く場合、人とどれだけ違っていたかが書かれることが多いけど、うちの家族はあまり人と変わらない。変でもないし、立派でもなく、特筆すべきことはない。

そんな平凡な祖父母が遺した写真アルバムを整理した。

1983年、水戸出身。飛鳥山在住。まじめな演劇をつくったりライターをしたりしている。WWF会員。



母方の祖父母が老人ホームに入居したことをきっかけに、彼らが住んでいた東京の一軒家に住みはじめ、もう6年ほどになる。祖父母とも1920年代生まれ。二人とも残念ながらもう数年前に90歳を過ぎて大往生したが、その家を引き継いだ私は、小さい一軒家とはいえ片付けるのが面倒なので、彼らが亡くなったあとも彼らの生活道具とともに暮らしてきた。とはいえ、やっぱり自分の生活に必要がないものは片付けたほうがスッキリする。そこで、実家に住む母親と相談して、ダンボール5箱相当の大量の写真アルバムを処分することにした。

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押し入れに眠っていたアルバムたち(一部)

引っ越した当初、大きな本棚に収められていた写真アルバムを、まあ、そう見ることはないからとダンボールに移動させて押し入れに移動した。祖父は別に写真が好きだったわけではないし、写真を趣味にしていたわけでもない。でも、昔の人なら誰もがそうしたように、旅行に行けばコンパクトカメラで写真を撮って現像し、アルバムに収めていた。それが積み重なって、本棚ひとつを占領するまでになった。ダンボールにして5箱くらい、たぶん数千枚の写真が収められているだろう。きっと、私のスマホやパソコンの画像フォルダを開けたらそれくらいにはなるけど、それが物理としてある姿は、説得力がまるで違う。

アルバムの整理をするにあたって、母からの方針は「必要そうなものだけ抜き出して送れ。あとは処分しろ」というものだった。しかし、私がこの家に住むようになってからずっと放置されてきたものであって、必要な写真などあるわけない。そこで、上官の意図を汲みつつ個人的に立てた方針が以下。

1.祖父母が写っているものは基本残す 
2.どこで撮ったかわかるように最低限の風景写真も入れとく
3.母親、私、もしくは私の妹の写っている写真は残す

ダンボール5箱とひとくちに言うけれども、その中に詰め込まれたアルバムというのは、けっこう大変な量である。部屋に広げられたアルバムの山を見て、すでにモチベーションを失いかけている。

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昔のアルバムは魔法の書みたい
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旅行写真はエモくない

長野から上京した祖父は、闇市で生計を立てたあと、生命保険会社に入社して集金業務をしていた。祖母は、専業主婦であり、パートでソニーの工場に勤めていたという。ふたりとも、特に世に名前が知られているわけでもなく、なにかに秀でていたわけでもない。当然、検索しても、グーグルは彼らのことを何も知らない。そんな夫婦の思い出のアルバムは、おそらく祖父によって撮影され、祖父によって几帳面にアルバムにまとめられた。

この作業を行うにあたって「いろいろとエモい気分になるだろう」と予想していた。なんといっても、亡くなった大切な肉親の写真であり、形見である。同居していなかったからそこまで長い時間を共有したわけではないけれども、良好な関係を築いていた。「なんて懐かしいんだろう」「こんな表情を見せていたんだね」「仲睦まじいな」と、ときには涙を流してしまうこともあるかもしれない。亡くなった祖父母が写っている写真を整理したら、エモくならないわけがない。

作業をはじめてみると、思った通り。昔の母親や、昔の自分が写っているものなどは、やっぱりエモい。うっすらと記憶の中にある、祖父母+親子の三世代で行った猪苗代や箱根への旅行写真などは、「ああ、たしかに行ったなあ」としみじみする。これらの写真を整理しているのは楽しい。

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三世代家族旅行の写真はエモい

あるいは、祖父母自身の若かりし頃や母の子供の頃の写真も楽しい。戦前に撮影された女学校の写真などは、年代を感じさせるし、私が物心ついたときから当たり前のように老人だった祖父母にも若い頃があったんだなあと、感慨が込み上げてくる。

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昭和29年、祖父母の結婚式の写真。エモい

けど問題は、アルバムの大半を占める夫婦旅行の写真である。しかも、一人娘(母)が結婚し、ふたりきりで生活するようになった50代〜60代くらいの頃からはじめた旅行だ。娘も片付いて、仕事もリタイヤした祖父母夫婦は、余った時間をパック旅行に費やすようになったらしい。鎌倉、京都、東北、能登、九州一州、四国一周など、新聞の広告なんかでよく見かける旅行会社が主催する団体旅行に年金を費やしていた。また、投資をしていた祖父がバブル景気に乗って株で儲けたからか、80年代にはアメリカ、ヨーロッパ、中国など、海外にも積極的に行っていた。もちろん、個人旅行ではなく「夢のスイスアルプス7泊8日の旅」みたいなパック旅行である。

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80年代の海外旅行はアンカレッジ経由です

そして、旅行に行くたびに写真を撮影した。おそらくは引退して時間があったからだろう。この膨大な旅行の記録は丁寧にアルバムにまとめられ、生涯につくられたアルバムの大多数を占めるようになっていった。そして、今、これらの写真の処理に困っている。

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三社祭。背景にampmが写っている

もう60歳を過ぎている祖父母の姿は、自分の記憶の中の姿とさしたる違いはないから、私にとってあまり驚きがない。そして、有名な観光地というのは基本的に変わり映えがしないから「この時代はこうだったんだ!」という発見もない。数百年の歴史を持つ観光地は、40年くらいじゃ特に何も変わらないのだ。鎌倉は40年前から鎌倉だし、京都は40年前から京都として完成されている。観光地は、変わらないから観光地になるのだなあ。

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鎌倉の大仏は40年前も変わらず大仏

そして、デジタルとは異なり、一回のシャッターを切る重みが違うフィルムカメラ。偶然うつされた何気ない風景もなく、写真に撮られるその顔は、ちゃんとしたよそ行きの顔であるし、「ぱっと見でわかるすごいもの」か「名前を書いた看板」といった価値のわかりやすいものへとレンズを向けさせる。フィルムカメラの持つ重みは、当時の人々に、そつない写真を撮影することを要求させたらしい。

つまり、それらの写真を見ていても、なんか普通っぽくてあんまりおもしろくないのだ。ごめんね、祖父母。

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碓氷峠。感想付き

いや、どんなに普通の写真であっても、それを写したのは思い入れのある祖父母なのだから、写真を通じて彼らとともに旅行している気分が味わえるはず! そう思ってはじめのうちは頑張ってみたが、そもそも自分が行っていない旅行だし「ここで食べたカニが美味しかったんだよ」とか「せっかく行ったのに雨で全然見れなくてね」といった解説もない。そんな状態で、ふつうの老夫婦の写真と彼らが行く先々で撮影したそつない写真を数百枚、数千枚と見続けていたら、どうしたって心は麻痺してくる。当初は、祖父母へのせめてもの敬意を込めて、一枚ずつアルバムから取り出し、残す写真と捨てる写真を分けていたものの、あまりの面倒くささに、必要な写真だけ抜き出して、あとはアルバムごと捨てる方針に変更した。孫は、几帳面な祖父に似なかった。

もう忘れてしまったけど、写真の現像・プリント代は1枚100円くらいだっただろうか? そして、豪華なアルバムだって、1冊数千円はしていただろう。フィルム代だってかかる。きっと、これらのアルバムをつくるためだけでも、総額数十万円くらいは費やされているに違いない。でも、苦労して撮影したかけがえのない写真の数々も、孫の代になれば価値がよくわからないものと化してしまうのだ。旅行写真は相続されるけど、思い出までは相続されない。

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写真だけじゃなくチケットなどもアルバムに収められている。几帳面
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昭和の社員旅行っぽい昭和の社員旅行の写真
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初めての祖父の下ネタ

とはいえ、膨大な量の写真を見ていると、少しだけ意外な一面も見えてきた。

祖父は、堅物という訳ではないが、基本的に家族に対して隙を見せなかった。調子に乗って怒られた、みたいなこともないし、手荒な振る舞いもしたことがない。闇市で仕事をしていたといっても、荒くれ者というわけでもなく、ただただまともに生きてきた人なのだ。演劇をしたりフリーライターをして、あまりまともとは言えない人生を歩んでいる孫(筆者)とは違う。だから、祖父のつくるアルバムにも基本的に隙がない。しかしながら、その中でも数少ない隙がこちら。亡くなったあとに初めて見つけた、祖父の性的な一面である。

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おっパイという表記に時代を感じる

また倒れて介護が必要になるまで毎日、日経新聞と経済ニュースに目を通していた祖父は、お笑い番組を見ることもなかったし、家族の前ではおふざけをすることもなかった。下の写真に添えられた一言は、死後、初めて見つけた祖父のダジャレ(だと思う)。気づいたときには、嬉しさが込み上げてきた。

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郵便だからレターなのか! と気づくのにしばらくかかった

結局、数日にわたる作業の後、一部の写真がアルバムから抜き取られて実家の母のもとに送られた。その他の大部分の写真は、アルバムとともに燃えるゴミとして回収された。いわゆるエモとは異なるけど、味わい深い日々だった。

押し入れの空いたスペースに別の不要なものを詰め込むと、少し部屋が広くなった。

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実家に送られた写真たち。それでも100枚以上になった

 

この記事は読者投稿でお送りいただいた記事です。

編集部より寸評

遺品整理という行為に対する、型にはまらない感想が新鮮でした。それもただの逆張りではなく、自分の心の動きをしっかり観察した結果の発見なんですよね。

ただ「思ったのと違う」で終わらず理由までしっかり考察・表現されていますし、その描写を通して書き手の心境が伝わってくるところも良かったです。

またこうして記事にまとめることで故人の人となりが読者に伝わり、記事としては期せずして少しエモみが出てしまっているのもおもしろいところだと思います。(編集部・石川)

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