翌朝
子どもが朝起きて、スプーン(に戻したもの)の束を見つけて「これ全部作ったの?」「よくできてるねえ」と感心してくれた。もう粘土の部分を剥がそうとはしなかった。
数による説得力ってある。
スプーンとしてもフォークとしても使える先割れスプーン。しかしこれが絶妙にちょっとだけ不便な時がある。
そんな時はどうしよう。先割れスプーンを2本用意して、それぞれスプーンとフォークに戻してあげよう。
先割れスプーン。スプーンの先が割れていてフォークとしても使える食器である。スプーンとフォークの掛け合わせなので『スポーク』とも呼ばれているらしい。
しかしこれが万能かというと、ちょっと違うな、と思う場面もある。
先にちょいと引っ掛けて小さな口でちゅるちゅる食べることになる。よく噛んで食べるようになるので健康にはいいのかもしれない。
問題なくすくえるのだけど、口に入れた時ほんの少し緊張感があるのだ。とがっているから。
スプーンとして使っているのに、とんがった部分で口の中を傷つけないように気をつけなければいけない。
ポセイドンの持っている鉾みたいな先割れスプーンに出会ってしまうと、もう明らかに食べ物の味が違う。緊張で。
つまり、スプーンもフォークも、使えはするのだけどちょっとだけ不便なのだ。
ならばどうしよう。先割れスプーンを2本用意して、それぞれスプーンとフォークに戻したらいいんじゃないか。
進化さえすれば世界が良くなっていくという価値観は必ずしも正しくはないと思う。元に戻す営みから気がつくこともあるだろう。
これはそういう試みである。
ケンタウロスの人の部分を馬に近づけている気分だ。
馬の部分を人にする、でももちろんいい。とにかく複雑なものをシンプルにしていく爽快さがある。
少しずつ彫っていき、2時間後。
なんだろう、まだケンタウロスっぽい。シルエットがスプーンだからだろうか。
これはフォークだ。ケンタウロスが馬になった。ヒヒーンである。弓も引けない。ただ走るのはものすごく早い。視界も横に広い。
使ってみた感想は最後にまとめて紹介します。
さあ、次は先割れスプーンの割れた部分を埋めてスプーンに戻そう。
アクセサリーなどが作れる、お湯で柔らかくなる粘土。成分を調べて、自分が口に含む分には大丈夫と判断して使用しました。
先割れスプーンをスプーンに戻したいという方は、改めて素材の安全性を確かめた上で使用してください。
きれいにできて嬉しい。パズルの最後のピースを埋めるような気持ち良さがあった。
スプーンの美しい曲線が戻ってきて、やっぱりこの形だよ、と思った。
とがった部分がない。口に入れた食器、どこをとっても丸みがある。こちらも恐怖心がなくなったことでおいしく感じる。
余談だが上の写真と更にその上の写真、表情や姿勢が全く同じで食べ物だけ違うの不気味ですね。
先割れスプーンをスプーンとフォークに戻すことで、満足感と安心感を得た。暮らしの中で得られる『感』の中でかなり大事な二つではないだろうか。
この二つがあればもう何も怖くないわけだが、もう一つ気が付いたことがあった。
使い勝手を確かめたあと、あの楽しさが忘れられなくて目的もなく夢中で作り続けた。
緩衝材のプチプチをつぶすのと似た気分だ。先割れスプーンの割れた部分を埋めて、きれいな平面に直していく作業がやめられない。
うん、剥がしたくなる衝動も分かる。埋めたくなる衝動もあれば、それを見て剥がしたくなる衝動も同じ熱量で生まれる。
衝動の永久機関の誕生である。
しかし大人は深夜に起き出して作業をすることができる。ひたすら埋めて、30個スプーンを作ったところでベッドに戻って寝た。
子どもが朝起きて、スプーン(に戻したもの)の束を見つけて「これ全部作ったの?」「よくできてるねえ」と感心してくれた。もう粘土の部分を剥がそうとはしなかった。
数による説得力ってある。
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