料理を手に持って撮る文化はいつから始まったんだろうか?
そんなに美味くないうえに、値段が高かったドリンク
油でカラッと揚げた玉ねぎ。これ美味かった
インスタとかで見かけるあの構図だ。気づいたらみんながやるようになっていた。
私はあまりやらない撮り方なので、弟がやっているのを見ると「ああ、そういう世代なのか」と感慨深い気持ちになる。10歳離れているとこういう文化の違いがある。
上海のディズニーにしかない(?) トルティーヤ的な食べ物。これも美味しかった。
一方で、私は利便性でしか写真を撮らなくなった
私はちょっと前に、SNSに投稿するのも見るのもすべてやめた。それによって写真を撮る頻度が激減した。
SNSで自己顕示欲を満たす必要がなければ、写真を撮らない人間なのだと初めて気づいた。今回の上海旅行でも、ほとんど写真を撮っていない。
電車の時間を覚えておくために撮った
ChatGPTで翻訳するために撮ったユニクロの看板
お店を覚えておくためのスクショ
フォルダを見返したら本当にこんな写真しかなかった。あとは、上海ディズニーランドで弟とミッキーと一緒に写った他人が撮った写真のみ。
フォルダだけ見ると、「なんてつまらない人間なのだろうか……」と震えてしまう。
利便性でしか写真を撮ってない。弟の写真を見てて思ったけど、写真は撮ったほうがいい。自分用の思い出記録としても。
誰かの写真を見るのも旅行の醍醐味
もちろん良い写真もたくさん撮っている
旅行の楽しみって、自分で撮った写真を見返すだけじゃなく、一緒に行った人が撮った写真を見るのも醍醐味なんだなと。
自分では撮らない角度、自分では注目しないもの、自分では気づかない瞬間。そういうものが詰まっている。
これがどこかも思い出せない
弟の写真を見て「こんなの撮ってたんだな」と微笑ましくなる。風景だけではなく、一緒に歩いた記憶が蘇ってくる。
「犬見つけてテンション上がってたな」とか、「コナンのアイスで喜んでたな」とか。写真そのものより、写真を撮っている弟の様子を思い出して笑ってしまう。
AIが考えた中国みたいな写真
写真ってあんまり良くないものは後で消してしまうことがあるのだけれど、「なんでこれ撮ったんだっけ?」という写真にこそ人がでるのかもしれない。余計な謎写真にこそ価値がある。
旅行写真の楽しみ方を再発見した
結局、旅行の写真って観光地の写真よりも、一緒に行った人の人柄が出る写真の方がおもしろい。
自分では撮らない角度、自分では注目しないもの。そういう謎写真を見ることで、旅行中の記憶が鮮明に蘇ってくる。
次に旅行に行くときは、謎写真を撮る弟の写真を大量に撮ろう。

弟も私もディズニーに強くは興味がないので、2つだけ乗り物にのって1周だけ散歩してすぐにでた。滞在時間は2〜3時間くらいだったと思う。もちろんつまらなかったわけではない。これくらいの時間がちょうどいいのである。こういう感覚が合うから弟って最高なんだよな。
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編集部からのみどころ
久しぶりのmegayaさんの記事。視点の違いとジェネレーションギャップ、両方の側面から弟さんの写真が新鮮でした。megayaさんに記事で弟との仲良さ自慢されるのも久しぶりだ!(石川)