逆川をたどって感じる古代のロマン
今でこそ交通は陸路が主流であるが、古代の頃は陸路が十分に整備されておらず、特に物資の輸送は船での方が圧倒的に効率良かった。だからこそ多大な労力を使ってでも逆川を通したわけだ。
その流路をたどることで、遥か奈良時代から現在へと至る、地続きの歴史ロマンを体感できるというものである。
今でこそ埋め立てられている逆川であるが、昭和40年代までは水が流れていたという。昔の地図を見ると確かに流路が確認できるので、その跡をたどってみようではないか。
現在この区間は緩やかな上り坂となっている。だが逆川が存在した頃は極めて深く掘り込まれ、国分寺の方向(写真奥)に向かって水が流れていたはずだ。
標高を調べてみると石碑の辺りは約31m、現在の逆川跡で一番高いところは約38mなので、そこでは今より少なくとも7mは深かったはずである。逆川の両岸は断崖のようになっていたことだろう。
これほどのものを奈良時代にすべて人の手で掘っていたのだから、その労力は多大なものだったに違いない。
そんなことを思いながら流路をたどっていくと、相模国分寺のすぐ側にまで来た。
ここで発見された階段は、以前は船着き場の跡ではないかと考えられていた。しかし最近の研究によると、単に逆川を横切るための道なのではないかと言われている。
逆川の跡はここをカーブして西の低地へ向かっているが、これは江戸時代に用水路として変更された流路である。古代の逆川はここからさらに北へと伸び、相模国分尼寺の近くを通ってから西の低地へと流れていたようだ。
今でこそ交通は陸路が主流であるが、古代の頃は陸路が十分に整備されておらず、特に物資の輸送は船での方が圧倒的に効率良かった。だからこそ多大な労力を使ってでも逆川を通したわけだ。
その流路をたどることで、遥か奈良時代から現在へと至る、地続きの歴史ロマンを体感できるというものである。
<もどる | ▽デイリーポータルZトップへ | |
▲デイリーポータルZトップへ | バックナンバーいちらんへ |