六本木には意外と緑が多い
六本木には本当に「六本の木」があった。3つもあった。あと、全体的に思ったより緑が多かった。ビルも多いけど木も多い。ひょっとして森ビルってそういうこと……?(念のため調べたけど違いました。)
六本の木を見つけられたことだし、このあたりで「そもそも六本木の由来は何か」について調べておこう。
インターネットで六本木の由来について調べたところ、江戸東京博物館のWebページに、非常にわかりやすい説明があった。要約すると次の通りである。
諸説あるようだ。
まず、説2が面白い。いずれの大名の名前にも木に関する字が含まれているのは、地名に残したくなるような偶然だ。
地名由来.com というサイトには、実際に江戸時代の地図で「上杉・朽木・高木・青木・片桐・一柳」の大名屋敷を見つけた様子が示されている。その場所は現在の桜田門〜虎ノ門〜赤羽橋あたりで、現在の六本木よりも広い範囲のようだ。
説3の「『江戸六方の男達』が住んでおり、『六方気』が誤って『六本木』となった」については、何のことを言っているのかサッパリわからなかったので、Chat GPT、Gemini、Claudeという3種のAIに尋ねたところ、3つとも似たような回答を得ることができた。
六方とは、ここでは「血の気の多い」「ヤンチャな」のような意味。
江戸時代、この地域には、血の気の多いヤンチャな(=六方)な男たちが集まる場所だった。そのため、この地域の気風や彼らのことを「六方気(ろっぽうぎ)」と呼ぶようになり、「六本木」に変化した。
六本木が「ヤンチャな男たちが集まる場所」は、いまもそうだと思う。つくづくそういう土地なのだ。
しかし、六本木で六本の木を探し歩いている筆者としては、やっぱり説1の「松の大木が六本あった」であってほしい。六本の松の大木は具体的にどこにあったのだろう。この説の出どころは「町方書上」という、江戸時代後期に書かれた、江戸の各町の由来や現況についての資料のようだ。
これと全く同じ内容でもう少し読みやすい資料 ( 御府内備考 七十九 (麻布之五) )も見つかったのでそちらを使うことにする。「ふみのは」という古文解読アプリも使い、解読したらこうなった。
話を整理すると、江戸時代後期に「龍土六本木町」「飯倉六本木町」とされていた場所に、当時よりもさらに昔、6本の大きな松の木があったということだ。
さて、まだまだ歩き回ろう。大昔の六本の木の幻影を追うのではなく、あくまでも今ある六本の木を探す。
等間隔でまっすぐきれいに六本ならんでいる。
光専寺について調べたところ、1614年に創建である。先ほどの東洋英和女学院もそうだが、歴史のある建物ほど「六本の木」を意識している気がする。
さらに少し歩いたところで見つけたのがこちら。
場所は全日本海員組合。日本の船乗りたちの組合だ。1945年設立なので、80年以上の歴史がある。
奇しくも、光専寺も全日本海員組合も、住所としては六本木7丁目にある。先ほど「龍土は六本木7丁目」と申し上げたが、やっぱりここには六本の木を引き寄せる何かがあるのかもしれない。
結局、今回見つけられた「六本木」は東洋英和女学院、光専寺、全日本海員組合の3つであった。ここからはおまけ。六本の木ではないけれど伝えたくなったものを伝える。
図で解説すると、こうなる。
六本木には本当に「六本の木」があった。3つもあった。あと、全体的に思ったより緑が多かった。ビルも多いけど木も多い。ひょっとして森ビルってそういうこと……?(念のため調べたけど違いました。)
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