忘れたいことを思い出した
この会をやるにあたって「なんでもいいので忘れたい思い出を準備しておいてください」と皆さんに連絡していたのだが「なんかあったっけな…」という鈍い反応だった。言い出した僕も、実はしばらく考えてやっと思い出していた。
忘れたいことをがんばって思い出すなんてなんて無駄なことをしているのだ、とその時は思ったけど、葉っぱを川に流してスッキリした気持ちになったということは、やはり意識しないまでも日頃気になっていたのだなーと結局得した気持ちで家に帰った。
形だけの忘年会をしていないだろうか。
何となく居酒屋に集まり、何となくいつもの飲み会をする。なんなら飲みすぎて忘れたい苦労が増えたりしている。年末の忙しさの中ではあるが、ここで一度足を止めて忘年会のことを考えてみよう。
忘年会。
一般的には今年の苦労を忘れ、新年に向けて気持ちを新たにする会である。つまり忘れるための会だ。
忘れるための会。
この定義以外の、お酒、料理、予約、上司と部下などの要素を削ぎ落とし、忘れること、この1点のみにフォーカスした『本当の忘年会』を開いた。
忘れるための会をするのにお酒は必要ない。もっと言うとテーブルもイスも必要ない。店員さんも必要ないし店員さんを呼ぶボタンも必要ない。店員さんのあだ名が書いてある名札も必要ない。
左からライターの為房さん、筆者、江ノ島さん、そして写真を撮ってくれている編集部の藤原さんがいる。この4人で本当の忘年会をする。
有意義な本当の忘年会にするために用意したものがこちらである。
覚える技術の本は何冊も見たことがあったのだが、この広い世の中には忘れる技術の本もある。精神科医の方が書いた、辛い過去を乗り越える方法についての本である。
会の参加者には今年あった忘れたい思い出を発表してもらい、それぞれの思い出に合った忘れる技術を実践していく。
その場でコロッと忘れてしまう、なんてことは多分起きないが、この会を終えて家に帰ってぐっすり寝たら少し気持ちが軽くなっているかもしれない。大事なのは忘れようと取り組むことだ。だって忘年会なんだから。
忘れたい思い出を発表してもらおう。なんとなく会話の流れで「じゃあ、江ノ島さんから…」となった。本当の忘年会が始まった瞬間だった。乾杯もなにもなかった。遠くの陸橋では電車がたくさんの人を乗せて走っていた。
江ノ島:会社の忘年会でカメラマンをやらされたんですよ。そこにゲストで有名人も来てて、ずっと色んな人から写真頼まれて。あまりの数に「めんどくせぇ」って言ったら、すぐ前に社長がいて。
忘年会(従来のやつ)で損な役回りになってしまったらしい。更にその役回りに特別な手当もつかなかった。皆が楽しく飲み食いする間、タダ働きさせられてしまったのだ。フラストレーションが溜まり、漏れ出た時にたまたま前に社長がいた。
「めんどくせぇ」とか言っちゃいけないけど、言うに至った状況の理不尽さがある。会社の人に言えない不満だったので思い出してはモヤモヤしていたようだ。
「怒りやフラストレーションを何かにぶつける」という章を開いた。言われずとも皆やっている方法かもしれないが、精神科医の方にあらためて言われると説得力がある。効果があるのだ。
「あー、もう!」と言い始めた。
「そもそもだよー! そもそもなんだよー!」と言っていた。そもそもなんで自分にカメラマンを頼むんだ、という意味。
本にも、怒りのエネルギーを消費することで人は冷静になり、未来について考えられるようになる、という趣旨のことが書いてあった。強烈に思い出して気持ちを清算することが、忘れることに繋がるのだ。
為房:今年、テレビで自分の工作を紹介する機会があったんですけど、打ち合わせでその工作が全然動かなくて。考えられ得るほぼ全ての壊れ方をしていて、もうどうにもならなかったんですよ。
華々しい舞台での気まずい状況である。きっとふとした時に思い出して「あ〜、もう〜」とかなるやつだ。
同じ思考がぐるぐる頭を巡ってしまう時、それを止める行動療法である。やり方はこんな感じだった。
これを毎日やる。シンプルだけど、意志が強くて毎日コツコツできる人でないと効果は出ないらしい。ためしに1セットやってもらった。
まずは思い出し、「ストップ」と言ってからそれを否定することを宣言してもらう。
穏やかな多摩川のほとりでブラック企業の朝礼みたいなことをやってしまった。それを聞くのは会社の上司でもなんでもない、江ノ島さんと僕である。
「テレビの打ち合わせなんてすごいなあ」と思いながら聞いていた。為房さんにとっては、森の動物に決意表明するような手応えの無さだっただろう。
聞き手、森の動物でもいいのか。やはり普段やらないことにはそれなりの効果がある。でも本には技術的に熟練が必要な面もある、と書いてあったので、為房さんの思考制止術がものすごくうまかった可能性もある。
筆者:道でよく知らない人に、電車賃が足りないからいくらかくれって言われることがあるんです。だいたい100円とかなので、それくらいならいいかと思ってあげちゃうんですけど、500円あげちゃったことがあって。500円って、なんかたまに思い出して落ち込むんですよね。なんであげちゃったんだろうって…。まあでもそれでその人が家に帰れたならいいんですけど…。
逃げるように河川敷を走った。江ノ島さんがやった技術と似ているけど、僕の思い出にはこれがぴったりだと思ったのでとにかく走った。
フラストレーションや怒りを解消する方法は人それぞれらしい。運動、食事、カラオケ、映画など選択肢はたくさんある。自分に合った方法を見つけておくと、嫌なことがあった時、くよくよする前に対処できる。
藤原:グッズを作ってコミケとかで売ってたんですけど、今年その売り上げを確定申告に入れたら思ったよりも税金を取られちゃって。
多摩川で聞く確定申告の話は胸に沁みる。そしてなんとも言えないもどかしさがある話である。結局どうすればよかったのか、僕には分からない。よし、葉っぱに書いて川に流そう。
これは『忘れる技術』に載っているテクニックではなく、インターネットで調べたおまじないである。元彼を忘れるおまじないとして紹介されていたが、広く使えそうなので確定申告の思い出も流してみよう。
葉っぱに文字を書くと独特の情緒が出る。
葉っぱはどれも、しばらく一箇所でぷかぷかしていたが、やがてゆっくりと下流に向かって流れ出した。いずれ海に出るだろう。忘れたい思い出を書いた葉っぱは、僕たちが見たことのない景色を見る。
そんなことを考えながら手の届かない場所まで遠ざかっていく葉っぱを見ていると、悩みも自分の手を離れたようなスーッとした気持ちになった。
インターネットに載っていたおまじないだと思って侮っていたが、悩みが遠ざかっていくイメージが強烈で、これはとてもよかった。
最後の最後に、帰りがけにできるおまじないがあるのでやってみたい。忘れたい思い出がまだある人はいないだろうか。
江ノ島:定食屋に行ったらおばちゃんが「大盛りにできるよ!サービスだよ!」って言ってくれたんですけど、その時健康診断の前だったから「大丈夫です!」って断っちゃったんですよ。親切で言ってくれたのにあんなに強く断わらなくてもよかったなって。でもそもそもおばちゃんも、僕の体型だけ見て大盛りできるよとか言って欲しくなかったなって。
江ノ島さんにも大盛りじゃなくていい日がある。そのお店にはなんとなく行きづらくなって行けてないままらしい。繊細な人なのだ。
こういう、明確に悪役のいない話はモヤモヤする。皆がそれぞれの善意に従っているだけなのに食い違いが起こる。おまじないをして忘れてもらおう。
これは失恋した時に好きだった人を忘れるおまじないだが、お店に行けなくなってしまった、という事実だけを見ると失恋と状況が近い。あんなに好きだったのにもう行けない定食屋。
江ノ島さんが糸を切って封筒に入れる間、他の3人は黙ってその様子を見ていた。
「この会社に就職したいです」と言った。糸を細かく切る作業が気を紛らわすのに良かったらしい。こんなに優しい表情ができたらもう大丈夫だ。きっと忘れられる。その定食屋にもいつかまた行けるだろう。
一般的に知られている忘年会からはかなりかけ離れた、静かで美しい会になった。『忘れる技術』を読んで学んだことは、辛い思い出を忘れるためには、まずその思い出と正面から向き合うことが大事だということだ。別のことでごまかしてはいけない。
そうすると「忘年会」で必要なものはお酒でも余興でもなく、冷静になれる静かな場所と、辛い記憶と向き合う勇気である。
そんなことが分かったが、お酒はおいしいのでお酒を飲みたいときはお酒を飲むのがいいと思う。
この会をやるにあたって「なんでもいいので忘れたい思い出を準備しておいてください」と皆さんに連絡していたのだが「なんかあったっけな…」という鈍い反応だった。言い出した僕も、実はしばらく考えてやっと思い出していた。
忘れたいことをがんばって思い出すなんてなんて無駄なことをしているのだ、とその時は思ったけど、葉っぱを川に流してスッキリした気持ちになったということは、やはり意識しないまでも日頃気になっていたのだなーと結局得した気持ちで家に帰った。
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