懐中時計はかっこいい
懐中時計とは、懐に入れて持ち歩くことのできる時計のことである。物によって蓋の有無や多少の形状の差はあれど、いずれも問答無用でかっこいいものとして知られている。もし男子中学生にアンケートを取れば100人中90人はかっこいいと答えることだろう。
そんな懐中時計を、先日私は買ってしまった。
しかし懐中時計がどうしてこんなにもかっこいいのか。その秘密はベールに包まれており、私の中では未解決問題の一つとして挙げられている。
今回は比較実験を行うことで、そのかっこよさを解明していきたい。真面目な企画です。
色々なものを懐から取り出します
それでは実験のルールについて説明していこう。
次の写真は、私が懐中時計を懐から取り出しているところである。
これから懐中時計の色や形、大きさといった要素を少しずつずらしながら、さまざまなものを懐から取り出していく。その様子と上の写真を比較し、かっこよさが損なわれていないかを、違和感があるかどうかという観点から判定する。
もし違和感がありかっこよくないのであれば、そのずらした要素こそが懐中時計のかっこよさの源と判明するわけだ。これは世紀の大実験だ。気を引き締めてやっていこうと思う。
なお各実験においては担当編集の石川さんにも感想をもらったので、それぞれの実験の末尾に記載している。そちらも併せてご覧いただけると幸いだ。
時計じゃなくても大丈夫
まずは最初の挑戦者だ。
せっかくなので、読者の方々は何を取り出しているのか予想しながらご覧いただきたい。
まず取り出したのはあらかじめ外装を金色に塗っておいた湿度計だ。
金色、そして針が見えるという特徴が一致するためか、遠目にはほとんど懐中時計と遜色ないように見える。近づいてみても時計に近い見た目のためか、そこまで違和感がなさそうだ。
すなわち、懐中時計のかっこよさには時計であるかどうかは関係ないということだ。いきなり大きな一歩である。
つづいてこちらはどうだろうか。
どうだろうか。こちらも金色の丸いケースに入れたためか、そこまで違和感はなさそうだ。
この器具は物の上に置いて使用するものであり手で眺めるものではないのだが、そんなことも遠目から見る限り分からない。
ぱっと見さえ違和感がなければ、取り出す中身はなんでも良いのかもしれない。
丸く、金色であるとよい
懐中時計のかっこよさに時計の機能自体は関係なさそうであることが分かった。それでは形や色を変えてみるとどうだろうか。
少し違和感が出てきた。なんとなく遠巻きにも「懐中時計ではない何かを取り出している」という判別ができてしまうのがよくないのかもしれない。
「それ、何持ってるの?」という疑問を抱かせてしまうとアウトということなのだろう。
Apple Watchは遠目にこそ違和感があるものの、近づくと「最近の懐中時計はこういう感じなのかな」という雰囲気が出てくる。時計であることの強みが出ているのだ。
ともかく金色で丸い見た目の方がぱっと見の違和感が少なく、かっこよさが維持できているようだ。なるほど、勉強になる。
色が似ていればいいというわけではない
金色に近い色で、丸くあればよいのだろうか。さらに実験は続く。
遠目にはあまり違和感がないものの、お菓子だと分かった瞬間に不審者度がうなぎのぼりになった。
なぜお菓子に鎖をつけているのか。奪われることを恐れているのか。ひょっとして最後の食料なのか。疑問は募るばかりだ。
お菓子の種類を変えてもだめであった。色が似ていて丸くとも、許される範囲と許されない範囲があるようだ。お菓子はどうやら後者らしい。
大きさも重要
最後に原点に立ち返り、時計という軸を残したまま大きさを変えて取り出してみたい。
Apple Watchの例もあるので、時計ならではの違和感のなさ、かっこよさもあり得るのではないだろうかという仮説だ。
これはだめだ。でかい時計を鎖でつないで持ち歩いているだけの人である。しかも近づいて見るとあからさまに目覚まし時計なのだ。かっこよくないにも程がある。
今日日時間を知りたければ腕時計だって、スマートフォンだってある。もっと持ち運ぶのに適した時計があるよと教えてあげたい。
もしかしてもしかすると、さらに大きくするとかっこよくなったりしないだろうか。
街中で、ふと壁掛け時計を取り出して時間を見ている人に出会うことを想像してみてほしい。私は想像したくもない。
壁掛け時計のみ時計の大きさに合わせて鎖のサイズも変えてみたのだが、それも見事に裏目に出ている。なんだその鎖は。プロレスラーじゃないんだぞ。
今回の実験では次の要素が懐中時計のかっこよさの源であることがわかった。
・丸く平べったい形状
・金色
・小さいこと
まとめていて気づいたが、これらはアクセサリーにみられるような特徴である。ひょっとしてペンダントやブローチのように、懐中時計はアクセサリーとしてかっこいいのではないだろうか。
もしかしてこれ、当たり前ですか。