好きな「仏のポーズ」はありますか
岡田さんが好きだという仏のポーズもとってみた。「涅槃」だ。
再現するために試行錯誤するのも楽しかった。
穏やかな表情に、静的な構え。
仏像は、ただ佇んでいるだけのように見えるが、どこから見ても雰囲気がある。
特に独特なハンドサイン、印相(いんそう)がミステリアスでかっこいい。
実はポージングの参考になるのではないか。
「写真映え」を意識し、印相を取り入れて撮影してみた。
一言「仏像」そして「印相」といっても、国や宗派、時代などによって、そのバリエーションは膨大だそう。ある程度知識を得た上で実行した方がより楽しめそうである。
撮影の前に、お坊さんである友人から話を聞いた。
岡田:印相は、お釈迦様をはじめとする仏様たちがとるポーズ、とされていて、ひとつひとつに意味があります。特に真言宗では、仏様にならって印を組む修行が盛んに行われていますね。
印を結ぶそもそも理由なんですが、仏教の考え方のなかには「身口意の三業(しん・く・いのさんごう)」というものがあるんです。
米田:身口意?
岡田:「身」は、身体、からだ。「口」は、口から出てくる言葉。「意」は意識の意ですが、つまり心。この三つのはたらきを「三業」といいます。
体でする行為・発する言葉・心の三つそろって清らかにととのえて修行しなさいよ、という教えですね。
この「身口意の三業」の教えは、初期の仏教からいわれていたことなんですが、のちに密教(真言宗の教え)が出現すると、また新しい解釈が加えられました。
この三業それぞれに秘密の教えがあるということで、身密・口密・意密と呼んで、それをまとめて三密と言うんです。
米田:三密!
岡田:印は、そのなかの「身密」にあたるんですよ。
印を結ぶ、つまり仏様と同じポーズをとる、あるいは仏様を象徴するポーズをとるという修行。いわば形から入るわけですね。
仏様のポーズである印を結び(身密)、仏様にまつわる言葉「真言」を唱え(口密)、そして心にご本尊を念ずる(意密)。
この三密を揃えれば、仏様と同じ境地に至る、もしくは仏様と一体化できるというのが、真言宗での修行だそうです。
米田:新型コロナの標語「3つの密」の元ネタってもしかして……。
岡田:「三密を避けましょう」って言ってますけど、真言宗さんとしては「避けないでくれよ」って思ってるんじゃないですかねえ。
もちろん意味は違うわけですが……。
米田:印相っていくつくらいあるんですか?
岡田:これは難しい質問ですねえ……。印は、お経に説かれているもの、儀式の手引書で指示されているもの、仏像のポーズとしてあるもの、多岐にわたっているんです。さらに、宗派によって名称が変わることもあれば、共通している印もあり、特定の如来しかとらないとされている印もあり、色々と違いが出てくることも多くてですね……。
たとえば、阿弥陀如来が極楽浄土から「お迎え」に来るとき結ぶ印相は、来迎印(らいごういん)が有名ですが、それも含めて実は9種もパターンがあるともいわれます。
岡田:実は極楽浄土は上品(じょうぼん)・中品(ちゅうぼん)・下品(げぼん)と層が分けられているんです。
しかも、その上品・中品・下品が、さらにそれぞれ上・中・下に分かれている。つまり三かける三で、九段階の階層に分かれている。これを「九品」といいます。
そして、その九段階それぞれに印がある(「九品印」)ともされているんです。
米田:死後もランク分けされるんですね……。行き先はどんな基準で決められているんですか?
岡田:生前優れていた人、真面目に修行した人ほど上の方に行けます。あんまり修行しなった人や、むしろ悪い行いをした人は下の方にふり分けられます。
米田:行き先によって印が変わるなら、自分に迎えがきた時に阿弥陀如来の手を見たら自分の行き先がわかるんですかね?
岡田:どうでしょうねえ……ただ、九品について説明しているお経『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』を実際に読んでみるとですね、行き先が下の方になると、どうも阿弥陀様本人は迎えに行かないように書いてあるんですよ。
迎えに行かないんだったら、印を見せることもないはずなんですが……(そもそも『観無量寿経』には、印相の話題自体が出てこない)。
ともかく行き先については、阿弥陀様が来るか来ないかで、ある程度予想はつくかもしれません。ただ、この辺りも解釈により色々違いが出てくるんだろうなと思います。
岡田:とにかく、印を取り入れた写真を撮るにしても、覚えるのがまず大変だと思います。代表的な印にしぼった方が混乱せず楽しめそうですね。
米田:来迎印は完全に人が死んでいるので、撮影時には使いどころに悩みますね。
岡田:もし米田さんにお迎えに来られたら間違いなく下層行きですね。米田さんは阿弥陀如来じゃないので……。
仏教はその歴史の長さにより、さまざまな宗派が存在する上に、「こだわってはいけない」「絶対はない」というスタンスが基本らしい。人や国や時代を超え、さまざまな解釈が存在する。
そうして複雑化している話を、岡田さんはわかりやすく教えてくれた。さすがお坊さん。
おかげで、これまでなんとなく縁起のよいものとして見ていた仏像の輪郭がくっきりとした。今なら印をポージングに楽しく活用できそう。
仏のポーズで写真を撮ることで怒られないかと不安を抱いていたが、(教義に触れるような内容でなければ)大丈夫だろうという意見もいただいた。胸を張って印を結ぼう。
岡田さんからのアドバイスを踏まえ、覚えやすさと知名度の高さを考慮して、撮影に適していそうな印を7つピックアップし写真を撮った。
「やあ」と声が聞こえてきそう。「保護」「至福」といったご機嫌な意味を持つため、ピースサインの代わりに使ってもいいかもしれない。
与願印と施無畏印はセットで結ばれることが多く、その状態を「施無畏与願印」という。
岡田さん曰く、左手を下にして組むのが正しいとのこと。
しかし過去に「これは仏様が印を結ぶときのパターンだから、仏になっていない我々は右手を下にするように」と、修行先で言われたこともあったという。
ちょっとした違いにも意味や解釈が存在するため、かんたんそうでいて複雑である。
アニメや漫画に登場する忍者のポーズと似ているが、右手人差し指が異なる。
忍者も印を結ぶものの「忍者のポーズ」については印ではないとのこと。
カメラに向かって立つと、撮影してくれた友人が「ダンサーみたい!」と声を上げた。たしかに振り付けっぽさがある。踊り出しそうだ。
悪魔とは、心のなかの悪い要素(煩悩)をキャラクター化した存在と言ってもいいのかもしれない。でも、煩悩を失くして仏になっているはずの釈迦のもとにもやってきたし、会話したりもしたという。
誰にでもフレンドリーなやつだ。
手をマネしただけで仏のポーズらしさが出るかどうかが問題だったが、参考にした仏像を思い浮かべたり、印の意味を反芻していたせいか、思いのほかそれらしい雰囲気が出た。
印相は、ポーズとしてもかっこいいし、人と合わせてやっても楽しい。なおかつ意味があるのがいい。
普段なんとなくで取っているポージングの意味も考えたくなった。
岡田さんが好きだという仏のポーズもとってみた。「涅槃」だ。
再現するために試行錯誤するのも楽しかった。
協力:岡田文弘 さん
著書(共著)
蓑輪顕量編/東京大学仏教青年会『朝日おとなの学びなおし!宗教学 お経で学ぶ仏教』(朝日新聞出版、2012年)
蓑輪顕量編『事典 日本の仏教』(吉川弘文館、2014年)
末木文美士編『《宗教の世界史》04.仏教の歴史2 東アジア』(山川出版社、2018年)
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