もうすこし古い雑誌でワーキャーさせてください
そのへんにあるどの雑誌を手にとってみても、かなり面白いので、見学者みんな書庫の中で立ち読みが始まってしまい、取材どころではない。
黒澤さんが見かねて、面白そうな雑誌を見せてくれた。
林:これはどういう雑誌なんですか?
黒澤さん:『anan』創刊前に作られたテスト版の雑誌ですね。どういう経緯であるのかわからないんですが。
唐沢:ダミーの本文で、広告が入る予定のところは「AD」って書いてある? これは束見本?(雑誌や書籍を印刷する前に、出来上がりのサイズなどを確認するために製本される何も印刷されてない冊子)
西村:これをもって営業したのかな? それにしても、テスト版をここまで作り込むとか力の入れようがすごい。
テスト版の最後には編集部の座談会が掲載されており、そこを読むと、どんな雑誌を作ろうとしていたのかがよくわかる。
今作ろうとしているこの雑誌(『anan』)は元々、フランスのファッション誌『エル』と「全面提携編集」の雑誌として作られるものの、誌面の80%は日本独自の編集になる予定であり「パリのエルに日本語訳を作っただけと思われては困る」と「ただのローカライズ版だと思うなよ」みたいなことを宣言している。
そしてこの雑誌は、後に『anan』という誌名で、1970(昭和45)年に創刊される。
なお、誌名は、黒柳徹子が、モスクワで飼育されていたパンダの名前にちなんで命名したといわれるが、一般からの誌名募集で、東北地方の男子高校生が偶然「アンアン」という誌名を応募していたともいわれている。
マガジンハウスの雑誌が続いて申し訳ないけれど『ポパイ』の創刊号(1976(昭和51)年)もあった。
創刊号の最初のページを読むと「都会での生活がどうしたら、もっとハッピーなものになるか」というのがテーマらしい。
カルフォルニア特集というだけあり、スケートボードの乗り方が詳細に解説されている。
このころのスケートボードは、アメリカ西海岸で流行っているおしゃれなスポーツ。という感覚だったのかもしれないけれど、それから40年近く経ち、スケートボードはオリンピックの正式種目となった。
さらにマガジンハウスの雑誌が続いて申し訳ないが『オリーブ』もある。
大変お恥ずかしい話で申し訳ないけれど、片田舎のどんくさい男子だった筆者は、1996年に上京するまで、オリーブという雑誌の存在を知らずに育ったため、全く情報がない。とはいえ、同い年の妻は、高校生の頃から読んでいたという。
いわゆる「オリーブ少女」という言葉は、90年代後半から2000年代初頭にかけてのインターネット界隈で、揶揄的に使われていたような記憶(筆者個人の感想です)があるので、雑誌自らが堂々と自称していたということにちょっと驚いてしまった。
読者からの手紙を紹介するコーナーには、海で見つけた白い貝殻を編集部に送る人、オリーブ少女になりきって、同人冊子を作って送る人、お気に入りの駄菓子のイラストを書いて送る人など、こんにちインターネットやSNSでみんながやっているような発信を、このころは雑誌を介して行っていたことが伺えておもしろい。
……ということで、取材そっちのけで昔の雑誌を読み耽る3人ですが……なんと、この記事、次週に続きます!
次回、大宅壮一文庫のなにがどうすごいのかを、黒澤さんに詳しく伺います。
乞うご期待!
取材協力:大宅壮一文庫

