特集 2019年9月12日

世界遺産に廃墟が!沖縄の中城城跡にあるホテルの謎を解く

約50年間廃虚のまま残されていたホテル。沖縄に観光に来たことがある人なら、もしかしたら目にしたことがあるかもしれない

琉球王国のグスク及び関連遺産群として世界遺産登録されている中城城(なかぐすくじょう)に隣接する場所にある廃ホテル「中城城跡高原ホテル」は別名チャイナタウンとも呼ばれ、沖縄県民ならば誰もが知っている廃墟である。
心霊スポットとしても有名で開業前に死亡事故が起きて結局開業しなかったとか、プールで子供が溺れたとかいう話がまことしやかに語られていたのだが、実際は1972年の沖縄の本土復帰前後に数ヶ月だけ営業していたそう。

約50年間廃虚のまま残されていた中城城跡高原ホテルだが、今年ついに取り壊しが決定した。
なぜホテルは2ヶ月で営業を辞めたのか。なぜ世界遺産にホテルが建って、廃墟のまま残されているのか。ホテルを建設した人はどんな人だったのか。歴史の蓋を開けたら沖縄の本土復帰前後の映画のような怒涛の話が待っていた。

大阪出身。沖縄に流れ着いて10年ぐらい。「ぱちめかす」という沖縄方言が、やることと響きのギャップがあって好き。

前の記事:つぶれそうでつぶれない沖縄本島北部の小さな売店


中城城跡高原ホテルとはこんなところだった

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ホテル跡は、中城城跡壁外の高台にある。
結構遠くからも見えるほど圧倒的な大きさだったのだが、調べてみると大小17棟が連なり、床面積は延べ11000平方メートルだったとか。
展望棟やプールなどもあったそうだ。

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上の写真は取り壊しが始まった頃。手前の車がある入り口からもっとも高台にある展望台まですべてがホテルである。
山の形状に沿って、建物が建てられていることがわかる。

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ホテルの入り口だった場所。ペンキでなにやら書かれているがわからない

昔は特に出入り口が封鎖もされておらず、探検をしたことがある沖縄県民も多いはず(そもそも勝手に中に入るのはは違法だし、2005年からは老朽化などにより一切立ち入りが禁止されていたが)。

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ホテルの周囲も歩くことができた。廃虚マニアでなくても心踊る外観である。
映画やテレビの撮影ロケに使われたこともあった。

許可を得て入ったときに撮影したという写真を借りたので載せておく。

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いや、本当にすごい。建物も面白いし、高台に建っているので見える景色も素晴らしすぎる。なぜこのホテルが営業後すぐに閉館になったのか。

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ホテルを建設した高良一(たからはじめ)さんがすごい

この「中城城跡高原ホテル」を建てたのは沖縄の米国統治時代から復帰後に活躍した実業家であり政治家で、ぶっとんだ企画力と実行力を持って、沖縄に多大な功績を残したことで知られている高良一(たからはじめ)さんという人。

まずは簡単に高良一さんの功績を紹介したい。

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高良一さんの功績

1907年(明治40年)8月14日 〜 1994年(平成6年)

・米国統治時代の沖縄における那覇市議会議員
・戦後沖縄初の映画館である「アーニーパイル国際劇場」を開館(「国際通り」の名は、この劇場の名称から由来している)
・現在の沖縄海邦銀行の前身の一つである「那覇無尽株式会社」を設立
・アニーパイル国際劇場の隣に「平和館」を開館(「平和通り」の名は、この劇場の名称から由来している)
・那覇市の多額納税者第1位に(1951年)
・沖縄初の近代的ホテル「琉球ホテル」を開設
・中城城跡高原ホテルを開設
・モノレール建設を提唱

なんだかいろいろすごいが、国際通りの名前の由来に関係しているということからも、凄さがわかるだろうか。

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先日、そんな高良一さんと中城城跡高原ホテルをテーマにしたイベントが沖縄で行われた。
しかもゲストが高良一さんの長女であり先の沖縄県知事選にも出馬していた渡口初美さんだという。

このイベントめちゃくちゃ行きたかったのだが、予定がどうしても空けられず行けなかったので、イベント主催者の沖縄アーカイブ研究所のプロデューサーであり、沖縄の映画『パイナップルツアーズ』の監督を務めた真喜屋力さんに、イベントを通じて明らかになった中城城跡高原ホテルの真相を伺った。

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ちなみに沖縄アーカイブ研究所とは、記録映画や8ミリフィルムの映像をデジタル化している組織で、沖縄アーカイブ研究所webサイトでは沖縄の貴重な昔の映像などが公開中です!

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高良一と中城城跡高原ホテルの謎を掘るイベント

- 先日行われた、高良一さんと中城城跡高原ホテルのイベントがめちゃくちゃ面白そうだったのですが、イベントをするに至った経緯は?

8ミリ映画には、興味深いけどマニアックすぎて公開しづらいものが多々あります。会場であり、同主催者であるPunga Pongaの翁長巳酉さんと、少ないキャパで、ゲストを迎えて、根掘り葉掘り聞けるような上映会はできないかと以前から話をしていました。そこでサウダージ8ミリフィルムと題して、第1回は、1951年から8ミリを撮影してきた遠藤保雄さんを迎え、遠藤さんがエンジニアとしてかかわった沖縄の電力工事の私的な記録映像を上映、第二回は市場の人々を招いて、マチグヮー(沖縄の方言で商店街や市場のこと)特集。

そして第3回は当初は 中城城跡公園にあった遊園地や動物園の8ミリ映像を見ながらやるつもりで、中城城跡高原ホテルはやる予定はなかったんです。

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中城城跡遊園地にあった遊具「沖縄アーカイブ研究所より」

でもやはりあそこには中城城跡高原ホテルがあるので、ダメ元で渡口初美さんに出演をお願いしたら喜んで来てくれました。

- 渡口初美さんは前回の知事選に出馬もしていますが、遊園地と中城城跡高原ホテルをを造った政治家の高良一さんの長女にあたりますもんね

おそらく、取り壊しが始まったこともあり、今話さないとということで出演を快諾していただいたのだと思います。
でも中城城跡高原ホテルは実質の営業が2ヶ月しかないから、写真も映像もほとんどないんです。
造った高良一さんについて調査するうちに、これがものすごい人だとわかって、イベントでは初美さんの話も加わって爆笑と感動のトークイベントになりました(笑)

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中城城跡高原ホテル

- 中城城跡高原ホテルはどういった経緯で造られたのでしょう?

自分が知っている範囲ですが、もともとは中城城跡公園の遊園地が1950年に行政によって造られています。でも運営がうまくいかなかったので、民間に運営を譲渡しようと相談したのが高良一さん。高良一さんはホテルの建設込みの条件で承諾したそうです。
でも当初から城の跡地にホテルを建てるということで文化人に全力で反対にあっています。もめている最中の1957年の新聞広告がこちらです。

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新聞広告の写真「中城城跡に近く建設されるホテルの模型図」。揉めているとは思えないぐらい俄然やる気である

そしてイベント用に作ったものですが、中城城跡ホテルの当初の完成予想図を、実際に立てようと計画した場所に合成した写真がこちら。

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真喜屋力さん作図

- 沖縄の城の本丸に、天守閣のようなホテルが!!

でもこの文化財無視の野望は当然文化人から大反対にあって、最終的には本丸から城壁外の高台に建設場所が変更になって決着しています(笑)
こんな様相になっているのはホテルの予想宿泊客が外国人中心というのもあったし、沖縄という文化がまだ定まっていない時期だったのもあるかもしれません。

初美さんによると、ホテルの建設にあたってそれまでの事業の売り上げなど全資産をつぎ込んだそうですが、もともとはそのお金は、現在観光ホテルが乱立している恩納村の海岸の土地を全部買い占める予定の資金だったとか。いまの恩納村の観光地化のことを考えると、本当に先見の明がすごい!としか言いようがありません。というか海岸を全部買い占めって、スケールもすごすぎますが(笑)

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世界に1部だけの中城城跡高原ホテルのパンフレット

話の途中だが、ちょっとここで中城城跡高原ホテルがどんな感じで完成されたのか、パンフレットを見ていただきたい。
これは中城村護佐丸歴史資料図書館に保管されているのだが、学芸員さんが営業期間の短さから、おそらく世界にこの1部しか残っていないだろうという貴重なものだ。

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(中城村護佐丸歴史資料図書館所蔵)
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パッと見ると普通のホテルのようだが(中城村護佐丸歴史資料図書館所蔵)
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部屋の中から岩が見えたりしたらしい。この部屋は通路から丸見えだったのだろうか(中城村護佐丸歴史資料図書館所蔵)
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ホテルが開業されていたのは1972年ごろ。イベントや観光案内などにも時代を感じる(中城村護佐丸歴史資料図書館所蔵)
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パンフレットには国際海洋博覧会の案内もあるが、その前にホテルがなくなるとは...(中城村護佐丸歴史資料図書館所蔵)

ホテルの閉館とその後

- 場所も、ホテル自体も面白いと思いますが、何がきっかけで閉館することになったのでしょうか

これも聞く人ごとに微妙な違いはありますが、ひとことでいえば沖縄の本土復帰でしょう。
恩納村の海岸を買わずに資産を投げ打って造ったホテルですが、復帰によって中城城跡一体が文化庁によって文化財保護地域に指定されたんです。保護地域では地形を変える工事や建物の建設は中止が言い渡されました。展望台はまだ建設途中、中城城跡入口からバスを乗り入れる予定だった道も作られなくなってしまった。行ったことがあればわかるんですが、入り口からホテルの場所までは結構遠い。あそこを荷物を持って宿泊客が歩くとなると無理があります。結果2ヶ月で閉まることに。
でもいつオープンして、いつまでやっていたという記録は探したけれどありません。

ホテルは2ヶ月でしたが、プールや剥製館などはその後2年ぐらいは運営していたようです。僕も小学生のときにプールで泳いだ記憶があります。ジャングルプールがとても楽しくて良い思い出です。

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ジャングルプール(中城村護佐丸歴史資料図書館所蔵)

- 閉館から半世紀ほど取り壊されなかったのはなぜなんでしょう

解体費もかかるし、造ったのに運営できなかったという損失も大きかったので、その保証を誰がするのかというのが大きかったのだと思います。
高良家にとっては想像できないぐらいの損失です。
昔の新聞に損失額を計算した記事があったので見たら、評価額の合計が49億。それも昭和55年当時の試算で、です。 不動産鑑定士が評価したようですが。全国的にも例がないってありました。
初美さんもイベントでは「ホテルを建てなければねぇ」って言っていました。「恩納村の海岸だったらねぇ」って。

- なぜいま取り壊されることになったんでしょうか?

高良家はこれで没落したわけではなく、その後、みなさんが名のあるところの経営をされていたり、初美さんも那覇市議になったり。
半世紀たって、「もういいよ」って遺恨を手放されたのかと思います。それを言えるのが本当にすごいと思います。

- ホテルはさまざまなロケ地にも使用されていましたが、真喜屋さんは映画などで関わったことはあったのですか?

大学の時に映画の手伝いをしたことがあって、沖縄で自主映画を撮ると。
キャバレーような場所として撮影するから、中城城跡高原ホテルの一番大きなホールを暗幕を張って真っ暗にしてほしいと言われました。
材料は床材などを剥がしていいと許可を取っているからと言われて、ひとりで2日間ぐらいかけてあのホテルの中を歩いて材料を探してまっくらになるように進めていたんですが、結局時間がないからという理由で映画はなくなってしまった(笑)

その時にホテル中を歩き回ったら、上の階は畳なども綺麗に残っていて、人が無断で住んでいたりもしていました。半世紀かけてだんだんと廃墟のようになっていったんでしょうね。個人的には取り壊さずに残して欲しかったなという思いがあります。あんなのはもう誰も作れないので。

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パンフレットにも和室には畳、洋室には赤絨毯が写っている(中城村護佐丸歴史資料図書館所蔵)

ただあの建物がなくなったら、元の地形がほとんどそのまま出て来るんじゃないかと。ちょっとそれは楽しみにしています。
那覇の牧志第一公設市場と中城城跡高原ホテルが同じ時期になくなるというのは感じるものがありますよね。

高良一さんの(実現しなかったけど)すごすぎる構想

最後にイベント時にも紹介された中城城跡高原ホテルを作った高良一さんのすごすぎる構想をお伝えしたい。高良一さんはユニークな発想と行動力で「高良ラッパ」という異名がついた方。これらはすべて実現はしなかったが、稀に見る想像力豊かな人だったことがわかるはずだ。

先島連結

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「西銘順治研究」佐久田繁 編著 月刊沖縄社に掲載された『めざせ「昭和の蔡温」- 西銘知事二一世紀に向けての提言』高良一著の挿絵より

「八重山列島は結べばいい!」とあるが、石垣島から波照間島は小型高速船で約1時間ぐらいの距離だ。結べるかよ!

石川運河

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真喜屋力さん作図

沖縄本島で最も細い石川-仲泊間に運河を通して横断しやすくという豪快すぎる案!

他にも鹿児島の与論島から沖縄本島最北端の奥集落へ海底トンネル通す案や、首里と識名をつり橋で結ぶ案、伊江島と沖縄本島を架橋で結ぶ案など、距離感がわからないと想像しにくいかもしれないが、なにせ50年後の現代でも「無理無理無理無理...!!」と思われるようなぶっ飛んだ構想をたくさん企画されていたよう。
それを考えると、中城城跡にホテルを建てるのはわりと現実的だったのかも...?

そしてパンフレットにもあったが、中城城跡高原ホテルは、ホテルだけでなく一緒にプールや遊園地、動物園などがある一大レジャー施設だった。そんな風にしたのは遊ぶところが少なかった沖縄県民のためだそうだ。
閉館後そのまま壊されずに残されていたので、「廃墟」「幽霊ホテル」とも言われていたが、中城城跡高原ホテルにかけた高良一さんの情熱を思うと、いまさらだが建設が中止になったことや今後解体されることがしみじみ残念な気持ちになる。

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解体前の中城城跡高原ホテル

中城城跡高原ホテルは2020年3月には解体終了予定だそうだ。跡地は公園になるとか。
でも建物なくなってもきっといつまでも私たちの心にはホテルの面影は残り続けることだろう。そんな沖縄の夢の跡だ。


沖縄アーカイブ研究所さんからのお知らせ

お宝フィルム眠っています

沖縄アーカイブ研究所にはさまざまな貴重なフィルムが集まっているそうですが、現在もっともデジタル化したいのは郷土史研究家の福地唯方さんの残した87本のフィルムだそう。フィルムが劣化しており映写機にかけられないのでどんな映像が入っているのかは蓋を開けてみないとわかりませんが、フィールドワークで得られた沖縄各地の貴重な映像と思われます。

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一部テストでデジタル化に成功したそう

デジタル化には1フィルム最低30万円のお金がかかるそうですが!ご興味のあるかたは、沖縄アーカイブ研究所さんまでぜひお問い合わせください。

取材協力
沖縄アーカイブ研究所 真喜屋力さん、仲間公彦さん

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