贅沢版きりざいも作ってみよう
きりざいは手軽に作れて、とても美味しいということがわかった。そんなことはやらなくてもわかるようなものだが、やらなくてもわかるようなことをやらずに済ませずに、面倒でも手を動かして実行して見ることが日々を豊かに過ごす秘訣である。
これだけでも満足なのだが、次は具材の数を増やして贅沢版のきりざいとでもいうものを試してみようと思う。
足したのは塩鮭、きゅうり、みょうが、大葉である。塩鮭で動物性タンパク質を、きゅうりでフレッシュさを、みょうがと大葉という王道の薬味で香りをプラスしてみた。
具材が増えただけではない。なにも考えずに切り刻んで混ぜればよかった基本のきりざいと違って、塩鮭を焼く、ほぐすという新たな作業が加わったことで、少しだけ調理の複雑さが増した。贅沢をするためには、懐だけでなく時間や心にもゆとりがないといけないのだ。
こんなのご飯に合わないわけがない!
基本のきりざいが素朴な美味しさだとすると、こちらはいろいろな具材が渾然一体となった複雑な味を楽しませてくれる。一口ごとに素材の比率が変わって、味も変化するから食べる者を最後まで飽きさせない。
納豆といえば匂いがきつい食材の代表格のように扱われているが、ここでは一歩引いたところから他の食材たちをまとめるチームリーダーの役割を引き受けてくれている。その納豆の作る糸ならぬネットワークのもとで、各々の食材たちが存分に個性を発揮しているといっても過言ではあるまい。
スパイスとしての納豆のポテンシャルに気づかせてくれた。きりざいが思わぬ発見を与えてくれたのだ。
イタリア風にしてみた
「きりざい」は「切り」と「菜」が合体してできた言葉なのだった。つまり野菜という材料の要素と切り刻むという調理の要素が入っていればきりざいとよんでしまっていいのではないだろうか。
そんな大胆な発想の元、きりざいをイタリア風に改造してみることにした。
トマトやチーズに納豆を投入してまぜていると、なぜか少しいけないことをしている気分になった。なぜなのだろう?「納豆=和風の食材」という刷り込みが強すぎるせいだろうか。
少し前に辺境ライターの高野秀行氏が書いた「謎のアジア納豆: そして帰ってきた〈日本納豆〉」という本を読んだのだが、そこに書かれていたことによると、納豆文化はアジア全域に広く分布していて、決して日本固有の食材などではないらしい。食べ方も、潰して干して煎餅みたいにして食べる、炒め物やスープに入れる、サラダに混ぜるなど、日本人の納豆感では及ばないほどに自由でバリエーション豊かなのだという。
つまり、納豆にトマトやらチーズやらを混ぜて食べることは、突拍子もないように見えて実はグローバルスタンダードに近いとも言えるのだ。
イタリア感はない。さりとて和食でもない、どこの国でもない味に仕上がっている。納豆は先ほどと同じくらいに存在感を薄めて後ろから見守ってくれているが、意外にも野沢菜漬けやたくあんの存在感が強い。炊きたてご飯の香りを苦手と感じる人がいるように、お漬物の香りは、あまり意識したことがなかったけれど案外強いものだったのだな。
チーズ、トマト、バジルというイタリア勢と、漬物という日本勢、そしてそれらの両方を包み込む納豆。うまいこと互いが互いを丸めこみあって不思議な調和が達成されて、まるでスパイスのいないカレーを食べているようだ。
熱々ご飯の熱をもってしてもチーズが思ったよりとろけてくれないという誤算はあったが、これはこれで美味しいと思う。今まで経験したことのない感じの味ではあるけれど。
新潟の郷土料理「きりざい」の懐は広かった。しかしそれ以上に、万能調味料としての納豆の強さに気づかされたのだった。


