年がら年中面接をされる仕事が俳優
私ライターの大北はおもしろ記事を書く一方、おもしろ舞台を始めたら普通に軌道に乗ってしまい、俳優さんの知り合いが増えていく一方。
知らなかった世界の人たちであるがなんとなく「あの人たち、今日もオーディションに行ってるな~」ということがわかってきた。
人は志望動機に殺される!
今日呼んだ俳優の八木光太郎くんと青山祥子さんに聞くとだいたい週3くらいで映像や舞台など何らかのオーディションに行ってるのではないかという。一日おきに面接に行く日々が一年続く。
人が年間100日以上志望動機を答えると死んでしまうことは想像に容易い。私はとにかく志望動機というものが嫌なんです。
感じの悪いオーディションを作る
過去のオーディションでどういうことが嫌だったかを八木くんらに聞いて、架空の「最高に感じの悪いオーディション」をまず作っていく。
冒頭にレクリエーションがあることも
オーディションは基本的に自己紹介から始まって質疑応答があるそう。まれに大人数の舞台などではレクリエーションがあることも。たしかに大人がハンカチ落としをさせられるのはしんどい気持ちになる。モヤっとするポイントをまとめていこう。
モヤpoint…ハンカチ落としをさせられる
話を広げない自己紹介と質疑応答
質疑応答においては応募する役とは関係のない質問が多いそう。その人のパーソナリティをガン見していくのだろう。
モヤpoint…質問が世間話すぎる
ここでの特徴は決して話を広げないこと。一日に何十人何百人を見ていくなら話を盛り上げていてはしんどそうだ。これが質問に答える側からすると違和感があるという。
モヤpoint…質問に答えても広げない
演技をしないこともある
セリフを読んだり演技をすることは多いが必ずしも毎回ではないそうだ。今回は夫婦の役でエチュード(即興でセリフを考えて演じる)をしてもらった。
今回は夫婦という情報以外与えられない特別ぼんやりした設定である。
モヤpoint…エチュードの設定には口を出せない
実演後にはひどい事態も…
エチュードにおいてダメだしをされることもあったそうだ。たしかにそのあとで落とすならなんか言われる必要はない。
モヤpoint…エチュードにダメだし
他に変わったパターンとして、「安藤ちゃん、ちょっと八木さんに代わってやってみてよ」と選考側として同席した俳優に代わらせることがあったそう。気持ちがしんどい。
モヤpoint…代わられる
選考もなかなかにモヤる
オーディション受ける側あるあるとして、受かったと思うくらい褒められてきっちり落ちることがあるそうだ。しかもその理由が「年齢が合わない」だったりするんだという。
モヤpoint…めちゃくちゃ褒めて落とす
結果が出るのも1週間後なので一週間浮かれきったうえで落とされる。せめて早く言ってほしいという。
モヤpoint…結果は一週間かかる
とはいえ他の役を用意してくれたりすることもあるのだから見込みがなくても応募したほうがいいのだろうか。
「今回は女性の役の募集だから女性しかとりません」とわざわざ書いてある募集要項もあるそうだ。関係ない人含めてとにかく人がわんさかやってくる世界なのだろう。
受ける人が多すぎてリスペクトが薄れる
こうしてまた次の組へと移る。結局のところなにが嫌なのかと聞くと、リスペクトのないオーディションがつらいんだそう。やってる側も100人とか見なくてはならないのであれば、だんだんと人ではなくエクセルとか仕事の道具に見えてくるのかもしれない。
モヤpoint…リスペクトがない
そしてようやくここからが本番。今のオーディションをもう一回やって、青山さんと八木くんには好き勝手反発してもらうことにした。
ハンカチ落としを断る
まずは今回も冒頭にハンカチ落としである。
今回の二人は強い意志を持ってハンカチ落としを断ることから始まった。そうするとどうなるか。選考側だけでやる羽目になるのである。
40代男性二人のハンカチ落としを有望な俳優二人に見せるというカオティックな状況となった。動画も一応置いておく。八木くんの指摘に力がこもり、手練の漫才師くらい鋭いツッコミになっている。
自己紹介も選考者にやらせる
つづいて自己紹介から質疑応答に入る。
選考側も自己紹介をし、平等になった。こんなことが言えたら気持ちいいだろうな…と思っていたのだが、後に自分もやってみることになるとそうでもないのである。続いて広げない質疑応答に。
広げない質疑応答にも怒りの刃が
正直に答える志望動機
ついに出た、憧れの志望動機コーナーである。やってみると聞いていて気持ちがよいものである。これはこれで正直で美しい答えだ。
こんな風に世の全ての志望動機が「働きたいから」「給料が出て休みがあればどこでも」「なんとなく気が向いて」で済むことを祈るばかりだ。
エチュードの雑さにも声を荒げる
納得がいかないとすぐに選考側がやらされるオーディションである。これはこれで平等になって美しいのだが、現場がすぐ混沌とするのが問題である。
平等なオーディションは非効率敵である
<中略、1分程度>
全くである。やってる側も何を見せているのだろう、という気はする。平等なオーディションは混沌を生み、効率が悪い。
淡白すぎるオーディションに延長を
こうして日頃のうっぷんを発散させるためのなに言ってもいいオーディションは終わりに向かうのだが、よりスカッとさを高めるために選考側が改心して謝るという展開を設けた。
悪者が改心して謝り始める
ということで実際に改心して謝ると、受けてる側はスカッとするどころか不安になったり心の負担になって困るようだ。
結果もその場で求めることができる
スッキリはしない
さて私が考える日頃のうっぷんを晴らすオーディションが終わったわけだが、八木くんと青山さんは実際に気持ちよかったのだろうか?
八木くんは「ハンカチ落としをやらないという点は、まあ言えて気持ちよかったですね」と反応がかんばしくない。
「ブレイキングダウンのオーディションを思い出しました」と青山さん。格闘家朝倉未来が企画した素人参加型格闘技大会であり、そのオーディションとは反発して目立てばリングに上がらせてもらえるアテンション・エコノミーそのもののようなしんどい世界である。
なるほど、興味深いぞ……ちょっと一回自分たちが受ける側に回らせてもらった。
自己紹介から反発してみる
これは気持ちよくはない…
一回全部に反抗してみようと自己紹介から反発してみたのだが、やはりどうしても「なにしにきたの?」感は出てしまう。場違いであるということはいたたまれないし、居心地の悪さを生む。全く気持ちよさはない。
一回心を入れ替えてできるだけまじめに臨むことにした。
志望動機を正直に言っても抑え込まれる
志望動機をはっきり言うと気持ちよいのかなと思ったが「そういうことは言わない方がいい」とおさえこまれてしまうのである。ここでも「なにしにきたんだ」の力が働くのである。
ところで青山さんはひどい演出家を演じ始め生き生きとしてきた。うっぷんを晴らすならただ立場を逆転させるだけでよかったのかもしれない。この後八木青山の二人はひどい選考者として活力をみなぎらせていく。
かつての俳優はひどい選考者となり、生き生きとする
最もカオスなエチュードをやる
その後も選考側が元気になっていき、オーディションはどんどん混沌としていく。うっぷんが晴れるというのはこういうことだったのか。
構造上なにやっても上下関係がある
でもやらされる側に徹する心地よさもちょっとわかります。猫になりなさい、っていうのに「もう知らねー! やるしかねー!」っていうどうにでもなれ感
関係ないですが一応エチュードもやったんですよという証拠を
結局、構造上こういう力がはたらいているのであれば自分のものにはならないんじゃないか。
青山さんは、唯一自分のペースにできるとしたらそれが一発ギャグをやったり「◯◯やります!」という時間なんじゃないかと言う。なるほど、それで面接やオーディションで「自己PRやらせてください!」みたいなことが行われるのか。
オーディションの最後の方で選考者が突如猫のモノマネを披露してやらせる時間があった。やたらにうまい。だけどなんなんだ。
これはインタビューにおいてもそうだ
面接やオーディションは「選ぶ」「評価する」という場なのでこのような見えない力が働いている。だからそもそも「嫌だなあ」なのであるし、それで私は就活をやめて今フラフラして20年くらいになる。
ハッとしたのだが、それはインタビューにおいてもそうなんじゃないか。その話はおもしろいですね、それはおもしろくないから次の話、とインタビュアー側が評価をくだしていくと、そこには力の構造が生まれてしまうのではないか。
ということはインタビューに限ることでもなく、あらゆる聞いて評価をする場所においてはこのような力が生まれるのだ。話を聞くときに評価も伴うとそこには力の構造が生まれてしまう。
ということを猫と河童になりながら見つけてきた。どういうこと?
ライターからのお知らせ
八木くんが大活躍してる明日のアーの映像配信11月いっぱいまで見られます。私たちはほがらかにアホなことをやってます。青山さんは八木くんと『ツダマンの世界』に11月に出るそうなので渋谷に見に行ってくだされ。
https://l-tike.zaiko.io/e/asunoah-kanikama