名水マニアと名水をめぐる
今回、名水を案内してくれるのは、ライターの池延さん。
池延さんは、学生時代にもらった名水の本をきっかけに、環境省が定める昭和の名水百選、平成の名水百選、それぞれすべての名水を訪問済みというほどの名水マニアである。
池延さんは、昭和の名水百選は、ゆっくりやったので8年で、平成の名水百選は急いでまわったので2年で制覇したという。
池延さんに、昭和の名水百選、平成の名水百選の地図をみせてもらった。
――いまざっと見て気づいた点なんですけど、平成の名水百選の方、熊本県にやたら名水多くないですか?
池延さん「熊本と富山は単純に水が湧きやすいんですよ。阿蘇山や立山連峰があって、標高差や扇状地があったりすると、水が湧きやすいんです。なので、この2県は名水多いですよ」
――マップのピンの数は100以上ありますけど、これはなぜですか?
池延さん「たくさんの湧水があつまる湧水群みたいなものも選定されてるので、実際の名水地は100箇所以上ありますね」
――なんだか根本的な質問で申し訳ないんですが、池延さんは名水地に行って何をするんですか? 水を飲む?
池延さん「実は名水百選って、飲用(そのまま飲めるかどうか)であるかどうかは関係ないんですよ、だから、実際に行っても飲用に適さない水であることはけっこうあります」
――えぇ! 名水なのに?
昭和60年(1985)に選定された「名水百選」と平成20年(2008)選定の「平成の名水百選」。環境省のサイトで確認すると、たしかに赤字で「選定された名水は飲用に適することを保証するものではありません」と、注意書きがされてある。
もちろん、汚い水でもOKというわけではなく、選定基準に水質は入っている。しかしそれよりも、その名水が地域の中でどのように使われ、きちんと保全されているか……の方が、重視されるようだ。
池辺さん「もちろん、飲めそうなぐらいきれいな水が多いんですが、飲用に適さないとなっているところの水は飲みませんが、飲めるところの水はもちろん飲んでます」
――飲めそうなほどきれいな水が目の前にあるのに、飲めないのはもどかしくないですか?
池延さん「でも、北海道とか特になんですけど、エキノコックスとか、病原体は見た目ではわからないですから。キツネみかけたら絶対飲まないです。いちど煮沸すれば飲めますが、行ってその場でというのは、ちゃんと飲めるようになっている所以外では飲まないですね」
滄浪泉園緑地
そうこうするうちに、目的地のひとつ「滄浪泉園(そうろうせんえん)緑地」に到着した。
そこそこ大きいマンションなどが立ち並ぶ住宅街の一角が突然、こんもりとした森になっている。この滄浪泉園緑地には、百名水ではないけれど「東京の名湧水57選」の湧き水があるという。
滄浪泉園緑地はもともと、福沢諭吉の弟子で、外交官、国会議員などを務めた波多野承五郎の別荘だった。戦後、開発計画が持ち上がったさい、地域住民の運動により、自然緑地として保全されることとなった。
池延さんの話によると、この滄浪泉園緑地の湧水は「ハケ」地形が重要な役割を果たしているという。「ハケ」とは、崖などの地形を指し示す言葉だ。
JR中央線の南側に「国分寺崖線(こくぶんじがいせん)」とよばれる崖が東西に延びている。滄浪泉園緑地は、その国分寺崖線のちょうど崖の部分に作られた庭園である。
大岡昇平の恋愛小説『武蔵野夫人』の冒頭に登場する「はけの家」は、まさにこの滄浪泉園にあった邸宅がモデルになったともいわれている。
園内には、急峻な崖が存在し、崖下には池がある。
池延さん「ハケの湧き水というのは、土に染み込んだ雨水が、地層を伝って、崖の表面から湧き水となって出るんです、だからこのあたりはきれいな湧き水の出るところが多いんです」
ここで思い出すのが、江戸時代に作られた大名屋敷の庭園のことだ。
日本の庭園のテーマは「自然の縮図」を庭につくることにある。海や山といった自然の風景を、庭園の中に再現する。まさに『あつまれどうぶつの森』みたいなことを、昔から日本人はやっていた。
山は、土や石を積み上げて築山を作るなりすればなんとか再現できるけれど、問題は海や川を再現するための水をどこから引っ張ってくるのかが重要になる。
水辺にある清澄庭園や浜離宮といった庭園は、川や海の水をそのまま引き込めばよかった。
では、川や海がそんなに近くない庭園はどうしたのかというと、崖の近くに作り、湧水を利用した。
後楽園(水戸家の庭園)や、檜町公園(六本木ミッドタウンの横にある毛利家の庭園)の近くに、かなり急な坂があるのはそのせいだ。
この、滄浪泉園緑地の作りも、まさにそんな「崖の湧き水を利用」した作りになっている。
「おいしい水検査セットで」硬度と残留塩素を調べてみる
さてここで、すこし唐突だが「おいしい水」検査をしてみたいと思う。
滄浪泉園緑地の湧き水は、はっきり言って飲めそうなぐらいきれいに見える。ただし、飲用ではない。
まことに残念だけれども、この水は飲むことはできない。
そこで、せっかくなので、飲めない水だけど「おいしい水」かどうかを市販の検査キットを使って調べてみたい。
調べる項目はふたつ。「残留塩素」と「全硬度」だ。
残留塩素は、1リットルあたり塩素が何ミリグラム入っているのかを調べる。
塩素は、消毒のため水道水をつくるさいに必ず加えられ、蛇口から出てくる水道水には必ず残留していなければならないと定められていて、一般的に0.5mg/l〜1mg/l程度は入っているのが普通らしい。
もちろん、残留塩素の量が多くなれば、消毒効果も期待できるが、水を飲んだときにいわゆる「カルキ臭」がするようになり、水がまずくなる。もっとも、ここの湧き水は、水道水ではないため、塩素の残留量はゼロのはずだ。
もうひとつの検査項目は「全硬度」。水の硬度である。
日本の水は一般的に軟水といわれており、全硬度値は20〜100(mg/l)あたりであることが多い。ちなみに、超硬水といわれるミネラルウォーター「コントレックス」の硬度は1480mg/lだと、ラベルに書いてある。
なお「おいしい水 六甲」の硬度は40mg/lらしいので、コントレックスの突き抜けたストロングぶりがよくわかる。そらお腹もゆるくなるわけだ。
閑話休題。まずは、残留塩素からみていこう。薬剤の入ったスポイトで水を汲み上げて、色をみる。はたして滄浪泉園緑地の湧き水に塩素は含まれているのか。
ほとんど色が変わらない。あたりまえといえばそうだが、湧き水からは塩素は検出されなかった。予想できていたこととはいえ、結果が実際目に見える形になるとおもしろい。
続いての検査は硬度。湧き水の硬度ははたしていくらか?
けっこう迷うが、色の濃さとしては100mg/lあたりではないだろうか? おいしい水六甲(40mg/l)に比べると倍以上の硬度があることがわかった。味を想像してみると「後味にすこしクセがあるかな?」というぐらいの味だろうか。
貫井神社の湧き水
続いてやってきたのは、貫井(ぬくい)神社。滄浪泉園緑地からはそんなに遠くない。
崖の上にある境内には、東京の名湧水57選に選ばれた神池「老松」がある。
社殿の左手の方に入っていくと、まさに「ハケ」から湧水がこんこんと湧き出ている場所がある。ここの湧水は水量も多く、水もきれいだ。ちなみに、この湧水は枯れることなく湧き続けることから「黄金井(こがねい)」と呼ばれ、小金井の地名の由来になったとされている。
しかしというか、やはりというか、飲料水には適さないという旨の掲示がしてあった。
しかし、水の見た目はじゅうぶんおいしそうではある。
ではさっそく、残留塩素と全硬度を計ってみたい。
まずは残留塩素。
やはり、塩素は検出されず。ナチュラルボーン塩素ゼロである。
そして、気になる硬度。
硬度は100前後。さきほどの滄浪泉園緑地とほぼ同じだ。同じ国分寺崖線から滲み出る水なんだなという強い絆を勝手に感じてしまう。
名水百選『真姿の池湧水群』
さて、続いて最後の名水は『真姿(ますがた)の池湧水群』に行きたい。国分寺駅から歩いて15分ほどの場所にある。この湧水群は、東京に存在する昭和の名水百選ふたつのうちひとつだ。
ここでやっと、名水百選の登場である。おまたせして申し訳ない。
真姿の池というのは、平安時代(848年)絶世の美女と言われた玉造小町が、重い皮膚病にかかってしまった。病気全快を願い、国分寺を訪れるとひとりの童が現れ、池まで連れて行かれ、7日間この水で体を洗うよう促された。7日目の朝に池に映る自分の姿を見ると、病気にかかる前の姿がそこにはあった……。それ以来、真実の姿を写す池。真姿の池と呼ばれるようになったという。
もちろん、この湧水群も国分寺崖線の賜物である。地形図をみると一目瞭然だ。
国分寺崖線から滲み出た水は、小川となって東に流れ、やがて野川(地図右上の谷間を流れる川)へと合流する様子がよくわかる。
この小川は遊歩道が整備され、観光客だけでなく、地元の子供たちが水遊びや魚を捕まえたりする遊び場にもなっている。
では、さっそく、水質検査としゃれ込みたい。とはいえ、滄浪泉園緑地、貫井神社とほぼ同じ結果がでており、同じ国分寺崖線の湧き水であることを考えると、ほぼ同じ結果がでることは想像にかたくない。
まずは残留塩素。
塩素は全く検出されず。逆に検出されたら、水質汚染か、誰かがプールに入れる塩素のタブレットをふざけて投入したかのどっちかだろう。
つづいては硬度をみていたい。
滄浪泉園緑地、貫井神社、ともに全硬度が100ほどあったが、真姿の池湧水群はもしかしたら50あたりの少し低い数値かもしれない。どうだろう?
これは予想を裏切る結果がでてしまった。できれば実際に飲んで比べてみたいのだけれど、それは叶わない。
水脈が、滄浪泉園緑地や貫井神社とはすこし違うのだろうか? 真相はわからないが、もし本当に硬度が低いのであれば、ここの水はそこそこおいしいかもしれない。
東京にある名水
東京は、意外と複雑な地形をしており、台地と低地の境目になっているところが多く、大阪や京都などに比べると崖や谷が町のあちこちにある。
そういった高低差は高い建物やビルが立ち並ぶとあまり目立たなくなるけれど、実際に歩くと急な坂や崖がそこかしこにあり、起伏に飛んだ地形であることが実感できるとおもう。
今回わかったのは、崖からはたいてい水が染み出している。ということと「六甲のおいしい水」はすでに販売終了し、現在は「おいしい水 六甲」と商品名が変わっている。ということだった。
今度から、崖を見かけたりしたときは、どこかから水が染み出してないか。そして、自動販売機で売っている水は「おいしい水六甲」となっているのか? などを気をつけてみることにしたい。