冷静になった
冷静になって考えてみるとちょっとキャベツに強く言いすぎたかもしれない。休暇明けのキャベツには優しくしたいし、しばらくは中を見ようともしないつもりだ。

チンゲン菜を剥いたら中から小さいチンゲン菜が出てきた。きっとキャベツを剥いたら小さいキャベツが、玉ねぎを剥いたら小さい玉ねぎが出てくるんだろう。この機会にじっくり見ておこうと思った。
いつもザクザク切って鍋にポイと入れるだけだった。恥ずかしながらじっくり見たことがなかったのだ。
チンゲン菜のミニチュアである。それが普通サイズのチンゲン菜から出てきたのだ。人間である僕から見ると本当にわけの分からないことが起きているなと思う。
だって人間の中に小さい人間は入っていない。犬の中に小さい犬は入っていないしイルカの中に小さいイルカは入っていない。ボディビルダーの肩にジープが乗っていたとしてもその中に小さいボディビルダーまでは入っていない。でも、チンゲン菜の中には小さいチンゲン菜が入っているのだ。ボディビルダーの肩のジープには誰かが乗っているんだろうか?
そもそもこういうことを考え出すと、どこまでが『一個のチンゲン菜』なのかという話になる。大きいチンゲン菜から出てきた小さいチンゲン菜は、別の個体と考えた方がいいのだろうか。それとも大きいチンゲン菜の一部なのだろうか。
と言うか、この大きいチンゲン菜だって更に大きなチンゲン菜の一部だったんじゃなかろうか。僕たちが調理しやすいのがたまたまこのサイズだったというだけの話なんじゃないか。一つの生命としてのチンゲン菜、その本当の姿はどこにあるのか。
ただ小さくてかわいい、と言いたいだけだったのにこんなことになってしまった。上のミニチュアも、本物のチンゲン菜の傍らに偽物の植物があることが気になって仕方がない。植物って、偽物の植物を見てリラックスできるのか。人間はソファの隣にマネキンを置かないと思う。落ち着かないから。
とにかく、今回は小さい野菜を色々見ていきたいのだ。小さいチンゲン菜についてはかわいいというだけで何の結論も出ていないけどキリがなさそうなので次に行こう。
丸のままのタマネギに切れ込みを入れて少しずつ皮を剥いていくとアボカドの種のようにこれがあった。タマネギっていつも真っ二つにしちゃうので、こちらもじっくり見たことがなかった。
これはチンゲン菜ほど気持ちを乱されない。タマネギ一個の中の一部分、という感じがする。
ツヤがあるし弾力も感じる。これは一個のタマネギからほんの少し取れる希少な部位だ。ちょっと検索しただけでは部位の名前は分からなかったのでとりあえずシャトーブリアンと呼ぼう。
これだったらバーベキューの主役になれる。
いつも周りの部分と同列に扱っているが、中心にある小さい野菜はうまい、という知見を得た。
この剥き方も、やったことない。妙にドキドキした。
知らないぞこの姿。動揺してピントが合ってない。
途中、小さく枝分かれしていたあれはなんだったんだろう。タマネギはあんな風にはなっていないのに。
長ネギが成長する過程で、ちょっと寄り道でもしたくなったのかもしれない。僕も高校生の時、興味もないし得意でもないのに厳しいバレーボール部に入ったことがある。辛くてすぐに辞めてしまった。
テニスボールくらいになったがまだまだ剥けそうだ。
どこかでペリッとめくると芯があって終わりなのかなと思っていたのだが、いつまでも次の葉っぱが姿を現すのだ。
ギリギリまで葉っぱだった。しかも大きな葉っぱをそのまま小さく再現したような葉脈やシワがあった。どういう頑張りなんだ。誰への、どんな気遣いなんだ。
キャベツは、キャベツのキャベツらしさにストイックすぎないか。外に向ける自分と内側の自分が違っていたっていいじゃないか。誰がこんなに、キャベツがどこまでもキャベツらしくあることを求めたんだろう。
外から見えるものだけが真実じゃないと信じて辛い現実と向き合う人に、キャベツのこの姿を見せたらどんな顔をするだろう。キャベツ自身、その時何を思うんだろう。
そんなことを考えながらビーズの粒よりも小さくなったキャベツの中心を口に入れた。歯で噛むこともできないまま喉を通り過ぎてしまった。
チンゲン菜、タマネギ、長ネギ、キャベツの中心になあるものを見た。ミニチュアがあってかわいいと言うだけのつもりだったのだが、思わぬ方向に感情を乱された。特にキャベツには、一旦休暇を与えますので本当の自分についてよく考えておいてください。
冷静になって考えてみるとちょっとキャベツに強く言いすぎたかもしれない。休暇明けのキャベツには優しくしたいし、しばらくは中を見ようともしないつもりだ。
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