真実と向き合う勇気
子供の頃に死ぬほど憧れたこと、長年心にひっかかっているわだかまり。実はそれらの中には大人になってしまうと、簡単に実現できたり克服できたりするものもある。
今回の結果には確かにガッカリさせられたが、くだらないわだかまりは綺麗さっぱり消え失せた。皆さんも皆さんにとっての飯丸めを実行に移してみてはいかがだろうか?
ただ、これを書いている今も腕の疲労だけは消えないでいる。
飯を丸める。たったそれだけのことが、30年間も心のどこかに引っ掛かっていた。
私は今、昼飯を食べようとしている。
何の変哲もない、恐ろしいほどに普通の昼飯。イレギュラーな出来事が入り込む隙など1mmもないように思える。
ちょっとやそっとでは崩れそうにない、平凡で退屈な日常。それが今、ペタペタと音を立てて崩壊していく。私がご飯茶碗をぶん回しただけで、見慣れた食卓に不穏な空気が立ち込める。
何が私に起こったか?
私が7、8歳ぐらいの時。
家族で食卓を囲み晩御飯を食べていると、6歳上の兄が妙なことを始めた。ご飯の入ったお茶碗をブンブンと回し始めたのだ。
バラバラだった米粒は徐々にまとまり始め、それがお茶碗の縁に当たるたび「ピタピタピタ…」と音を立て塊と化していく。何かに取り憑かれたように、一心不乱に茶碗を回し続ける兄。10分近く経っただろうか?茶碗の中の塊は、いつしか真っ白で真ん丸の白い宝玉となっていた。
米は回し続けると宝玉になる…。幼い私は心底驚いた。そして当然叫んだ。「僕のもやって!」。しかし兄からの返事はこうだった。
私は泣いた。体中の水分がすべて失われるくらい、全力で泣いた。どれだけお願いしても、兄は決して首を縦に振ることはなかった。
あれから30年以上が経ち、私は44歳になった。兄はこの日の出来事をまったく覚えていないという。一方の私は「あの白い宝玉をもう一度見てみたい」という思いに加え、優しい兄に対する「飯を丸めてくれなかった人」というアンビバレントな感情も拭い切れずにいる。
しかしある日、気付いた。「自分で丸めれば良いじゃないか」。そうだ。私はもう7歳の子供じゃない。自分の手であの白い宝玉を現出させて、30年のわだかまりを断ち切るのだ。
DPZ林編集長は常々「まずは自分事かどうかを意識しよう」と仰っている。私は今、自分事として飯を丸め始めたのだ。どうか読者の皆様、最後まで見守っていて欲しい。
茶碗を回し始めてすぐ、そう簡単な作業ではないことを悟る。茶碗の縁にくっ付く飯粒を剥がすように力いっぱい回すと、飯が茶碗から飛び出しそうになる。飯を茶碗の中で制御しながら回す。その力加減が難しい。今あらためて、兄の背中が大きく見える。
だが3分ほど茶碗を回し続けていると、突然“その瞬間”はやってきた。
暴動寸前の米粒たちがまとまりはじめ、滑らかな球体が姿を現したのだ。なんだ。30年以上抱えてきた複雑な思いは、たった3分で解決してしまうようなことだったのか。
だが人生はそれほど甘くない。どんなに茶碗を回し続けても、ここからの進展がなかなか見られない。
5分を過ぎた頃から乳酸が蓄積してきて、二の腕に筋疲労が生じてきた。
手を交互に入れ替えてなんとか回し続けるが、8分を超える頃には両腕共にやられてしまった。
フォームとリズムが崩れたことにより、飯塊の回転が不規則になってしまう。
私が7歳だったら、ここで諦めてシクシク泣いていたと思う。だが一生懸命学び、働き、考えながら生きてきた日々は無駄ではなかった。すぐに解決策が湧いてきたのだ。
一流のストライカーは時に、ゴールにいたる道筋がスッと見える瞬間があるという。私もこの水を投入した瞬間、“分かって”しまった。「飯丸めとはつまり、餅つきなんだ」。
そう。大事なのは飯を回すのではなく、茶碗の縁に叩きつけるよう意識することだったのだ。あの白く輝く丸い宝玉は、餅だったのである。
腕の痛みが限界を迎えながらも、茶碗を回し続けること12分。遂に私の前に姿を現したのが、こちら。
もしかしたら読者の中には「宝玉なんて大袈裟な。丸まった飯じゃないか」というような感想を抱いた方もおられるだろう。私も同感である。私の記憶の中にあったのはもっと…
だが現実はこれ。
なんということだ。30年以上手に入れたいと願っていた宝玉の正体は餅ではなく、ただ丸まった飯であった。偉大なるオズの魔法使いの正体が人間の爺さんだったように。呆気にとられた私は、飯塊の欠けた部分にそっと筋子を乗せた。
非日常空間と化した食卓は私が淡々と箸を進めるにつれ、またいつもの平凡さを取り戻した。
子供の頃に死ぬほど憧れたこと、長年心にひっかかっているわだかまり。実はそれらの中には大人になってしまうと、簡単に実現できたり克服できたりするものもある。
今回の結果には確かにガッカリさせられたが、くだらないわだかまりは綺麗さっぱり消え失せた。皆さんも皆さんにとっての飯丸めを実行に移してみてはいかがだろうか?
ただ、これを書いている今も腕の疲労だけは消えないでいる。
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