芯としての豆は甘いのかそのままなのか
みたらし団子やきなこ餅は、まとわせるみたらしときなこが甘く、本体であるところの団子と餅は甘くないことが多い。
となるとこの場合、豆はどうなんだろう。素材のままなのか、それともここまでの3品のように豆も甘いのか。
「みたらし豆」は煮た白い花豆にみたらしの餡をんまとわせている。
食べてみて、そうきたか! と思った。
餡も、豆も、全体がみたらし味なのだ。
みたらし餡がからむことにより豆にも餡の味が染み込んでいるということかもしれない。
みたらしを噛んでいる感覚がある。餡は思ったよりもずっとしょっぱめで、甘さは控えめと言っていいくらい。おいしいな!
みたらし味が好きな方の中には、芯としての団子はいらない、みたらし餡だけど味わいたいという気持ちがある方もいるのではないか。
そんな方が食べるべきこそが、団子ではなくこの豆だったのだ。
豆が味を複雑にする
「全体が味」の傾向はきなこ豆でもそうだった。
こちらも使われている豆は煮た白い花豆。ここに甘くしたきなこが何重にもまぶしてあり、本体の豆ときなこが一体化している。
するとどんな味がするかというと、きなこ飴(ねじり飴)みたいになるのだ。
味には豆としての複雑さもある。つまりおいしい。
豆に餅の役目ができるのか? と食べてみたが、餅をやるというよりも、みたらしやきなこといった、味そのものをやる、それがみたらし豆ときなこ豆であった。
豆はチョコにもなれる
佃屋のホームページをみてみたところ、花豆にココアをまぶしたココア豆というのもあった。
生チョコのような風味と食感なんだそうで、これもまさに「全体が味」を実現する仕事だ。豆でありながらにしてチョコを宿す。絶対に食べてみたい。
絶対は存在しないと人はいうが、これは絶対である。