文豪の話になった
最初はそんなつもりじゃなかったのだが、文豪の話をして終わった。こんなことなら着物を着ていけばよかった。わざわざ着物を着て、ホテルに行ってクロスワードをするのはわけがわからなくていいですね。
テレワークに注目が集まっており、今やカラオケボックスやスーパー銭湯にもテレワーク用のプランがある。初めて知った時はそこで仕事をする自分を思い描いて心が躍った。
パソコンを持っていて、インターネットが使えてある程度のスペースがあればだいたいの仕事はできる。しかしそれに加えてカラオケやドリンクバーや銭湯があると思うとすごくわくわくする。仕事が捗るかどうかは別として、その過剰さにわくわくするのだ。
そんなことを考えていたところに、高級ホテルのテレワーク用プランを見つけた。ものすごく過剰だ。ものすごく過剰。「過剰」に「ものすごく」みたいなニュアンスがあるので、表現として重複している。それくらい過剰。行って、その過剰さを体験したい。
そのプランがあったのは東京、日本橋にあるロイヤルパークホテルである。
公式サイトのコンセプトというページを見ると『和魂洋才のホスピタリティで、あなたをお迎えいたします』とある。知らない四字熟語だ。和魂洋才。日本古来の精神を大切にしながら西洋からの優れた学問と知識を取り入れることらしい。テレワークに必要かどうかで言えば、要らないだろう。でも、あるのだ。さすがホテルだ、と思う。要るとか要らないとかじゃない。
そんなロイヤルパークホテルにテレワーク向けのプランがあった。
11時から14時で7,700円。もちろん喫茶店やマンガ喫茶でのテレワークに比べると高い。しかし和魂洋才のホスピタリティが7,700円で体験できると思うとお得な気もする。だってロイヤルパークのホスピタリティは宿泊しないと体験できないと思っていたし、宿泊するとしたら7,700円じゃ済まない。だからお得だ。よし。
他のホテルのデイユースのプランとじっくり比較し、予約をとった。比較検討して予約を取るテレワークだ。その時間で仕事をしろ、とも思うが、最早そういうのは野暮だ。これは、ホテルを選んだ時点でテレワークという名の旅行なのだ。もちろん荷造りもした。楽しみだ。
ここで一旦、早くロイヤルパークに行きたい気持ちを抑えて、普通のテレワークも体験しておこう。
もっとも身近なテレワークスペースではないだろうか。コーヒーが飲めてイスがあって机がある。
そして検証用の「ワーク」としてクロスワードの本を用意した。進捗が分かりやすくて繰り返しても習熟度の影響が少ない。テレワークをした時の仕事のできを比べるのに合っている。そう、遊んでいるわけではないのだ。あくまでテレワークとしてのクロスワードだ。
(この本はクロスワードの答えをキーワードにして懸賞に応募できるものですが、記事に出てくる本は締め切りが過ぎた古いものを使っています。)
ホテルのプランと同じく3時間滞在して、上の画像くらいの大きさのクロスワードを4個、見開きサイズの大きいものを4個やった。間にたくさん休憩を入れながらやったが、かなり働いたなという実感があった。
動けるスペースがないので体が痛くなったのと、かなり早い段階でコーヒーがなくなったのが辛かった。どちらもロイヤルパークなら解決するんじゃないか。ロイヤルパークに行こう。
というわけで冒頭のロイヤルパークである。
正面のボードには喫茶店ではやらなさそうな企業のパーティーや株主総会の予定が書かれている。緊張してきた。ここにテレワークをしに来たのだが、うっかり紛れ込んでしまった感が強い。「テレワーク、テレワーク」と自分に言い聞かせた。
ロビーには制服を着た係員の方が立っていて、少しでも道に迷った雰囲気を感じたら寄ってきて丁寧に教えてくれる。重そうだったら荷物も持ってくれるだろう。喫茶店にはいない人だ。
時間になったのでフロント(喫茶店にはない)に行って、カードキー(喫茶店にはない、以下※)をもらう。エレベーター(※)に乗って長い廊下(※)を歩いて部屋(※)のドア(※)を開ける。
大きな窓があり、テレビがあり、ユニットバスがあり、アメニティが揃った洗面台がある。(とにかく全部※)
旅先でホテルや旅館の部屋に入ったらとりあえず全部の部屋と棚を開けてキャッキャするだろう。テレワークでもやった。
「仕事があるぞ」と自分に言い聞かせながら15分ほど部屋をうろうろした。なかなかのタイムロスだ。クロスワード1個分はロスしている。
なんでもあるこの部屋だが、作業のスペースはあまり広くない。あと正面に鏡がある。仕方がない。そもそもここはワークスペースではない。ホテルの一室なのだ。
あと、すごく静かだ。空調の音しか聞こえない。そしてこれがすごく良い、というわけでもなくて、静けさに耳を澄ましてしまってなんだか気が散る。スマホで音楽をかけた。
もちろん全部僕の方に問題がある。ロイヤルパークホテルのホスピタリティを受け止めきれていないのだ。
ルームサービスは部屋のどの辺まで持って来てくれるんだろう。窓際の一番奥で食べていたらそこまでワゴンで持って来てくれるんだろうか。コース料理だったら一品ずつそれが繰り返されるのだろうか。何だか恥ずかしい。みんな部屋を片付けてからルームサービスを頼むのだろうか。そんなことを考えた。
そうやって、クロスワード1個ごとに少しだけ別のことをした。
仕事(クロスワード)と旅行の間を行ったり来たりしていたのだが、だんだん仕事の時間が短くなってきた。仕事をしていても「本当にそれでいいのか? 仕事をしている場合か?」という自分が大きくなってしまい集中できない。
色々工夫はしたが2時間ほどで限界がきてしまい、かと言って思い切り遊ぶこともできず(仕事中だから)、窓の外をぼーっと眺めるだけになった。仕事と旅行を行き来するうちに境界が溶けて、ぼやーっとした楽しいもので部屋が充満したのだ。
これはこれでやりたかったことなのですごく良かった。
何だか色々なことをして時間がきた。結局中サイズのクロスワード2個、大サイズ2個、点つなぎ1個、間違い探し1個、漢字の合体パズル1個を途中までやった。相当に気が散っている。
環境としては最高なのでノルマがあれば集中してこなせたと思うが、旅行気分を抑えつけることになるので、終わったあと新幹線に飛び乗ってしまうかもしれない。
よく小説家がホテルや旅館に缶詰になって、という話を聞くけど、あれはその場所に相当慣れて、はしゃがないようになってからでないとダメだ。多分初日は仕事にならない。
例えば、御茶ノ水にある山の上ホテルは川端康成、三島由紀夫、池波正太郎に愛されたホテルということだが、みんな絶対初日は部屋の棚を全部開けたり、意味もなくメニューやパンフレットを見たり、眠くもないのにベッドでゴロゴロしているのだ。きっとそうだ。そういう姿が克明に想像できるようになった。
全然仕事が捗ってないのに大満足で部屋を出た。フロントには、来た時にいたドアマンの方がやはりいて、にこやかに出迎えてくれた。ただでさえ満たされていた気持ちがコップから溢れて「テレワーク大成功〜!」という気持ちでホテルを出た。文豪もこんな気持ちなのかもしれない「大傑作書けました〜!」という気持ちでホテルを出るのだ。
仕事はしないといけないけど遊びたい、という時はその境界線に行ってみるのもいいのだ。別にどちらも捗りはしないが妙に満たされた気持ちにはなるし、それが一番求めていたことだったりする。
最初はそんなつもりじゃなかったのだが、文豪の話をして終わった。こんなことなら着物を着ていけばよかった。わざわざ着物を着て、ホテルに行ってクロスワードをするのはわけがわからなくていいですね。
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