スコアに戸惑いが現れていた
このあと、何も禁止せず、普通にボウリングをした。
皆、言葉を禁止した時よりスコアが良かった。皆さん協力してくれて本当にありがとうございました。
ボウリングの分かりやすさと楽しさがあれば英語禁止どころじゃない、もっともっと厳しい『言葉禁止ボウリング』でも楽しめるんじゃないだろうか。
『英語禁止ボウリング』というテレビでおなじみの企画がある。
英語を言ってはいけないのだ。つまり「ストライク」「ガター」など、ボウリング用語をうまく日本語に言い換えながらボウリングを盛り上げて楽しむ遊びである。
「ラッキー」「ナイス」などもつい言ってしまいがちなので注意しなけれないけない。
しかしボウリングにものすごく熱中でもしない限り、まあなんとなくできてしまう。
もっと制限を厳しくしてもいいと思うのだ。『言葉禁止ボウリング』とか。言葉禁止ボウリング!? …言葉禁止ボウリングだ!!
勢いで『言葉禁止』と言ってみたが、言葉とはなんだろう。辞書を引くと『声に出したり文字に書いて表す、意味のある表現』と出た。
『意味のある表現』が無いボウリングを想像してゾッとした。球を持って投げることすら捉えようによっては言葉なのだ。意味があるので。
球を食べようとしたり、ピンに色を塗ったり、そういう意味の無いことだけをしないといけなくなる。
ボウリングが成立しないのは困るので、今回は『言葉』をこのように定義した。
つまり「ここでストライクが出せれば逆転だよ」と声やジェスチャーで伝えるのはNGだが、気持ちが溢れて「頑張って!」「やったー!」「ドンマイ!」などという意味合いの声を出したりジェスチャーをするのはOKとする。もちろん球も投げていい。
ボウリングってすごくシンプルなスポーツなので、これでも楽しくできてしまうと思うのだ。たくさん倒れればみんなで喜び、倒れなかったらみんなで悔しがる。それだけでいい、いや、それだけこそが良いんじゃないだろうか。
ボウリングの分かりやすさをとことん信頼するなら言葉禁止ボウリング、言葉禁止ボウリングなのだ!!
ルールができたところで、デイリーポータルZの関係者の皆さんをボウリングに誘った。
皆久しぶりのボウリングだった。普通にやっても十分新鮮に楽しめるのだが、このあと言葉を奪われることになる。
いきなりやっても皆さん戸惑うと思うので、段階を経て言葉を禁止していくことにした。
まずは英語禁止ボウリング。
「全部倒し」「溝」などと言いながら球を投げていく。
ボウリング楽しい。これ自体が久しぶりなのだ。ちょっとした心持ちや姿勢でうまくいったりいかなかったりする。
それぞれ何投かしたのち、一段階ルールを厳しくした。英語は禁止、日本語も熟語は禁止にする。
これも定義が難しいが、ざっくり漢字が二つ以上組み合わさった言葉はNG、ぐらいの認識で進める。
長くしゃべっちゃいけないわけではないのに危なっかしくてしゃべれない。
「単語」と「禁止」と「漢字」と「セーフ」が引っかかった。
普段、熟語かどうか考えてしゃべることがないので新鮮でおもしろい。
次は漢字も禁止である。漢字に変換できる言葉は禁止。ただし普段使わないような漢字はセーフ。「嗚呼」とか。
ほぼ言葉禁止ボウリングである。ひらがなだけでしゃべれることなんてほとんどない。
しかし投げた人に向かって「すごいすごい!」とか「ドンマイ!」みたいなジェスチャーをしている様子には『言葉』っぽさがあった。
イントネーションや動きに意味を込めて伝えていたのだ。あれは『言葉』だ。
そしていよいよ言葉禁止ボウリングである。英語も熟語も漢字も、何かに意味を込めて人に伝えようとする意志そのものを禁止する。
自分の気持ちが溢れた結果の声や動きはOK。そして意味の無い言動、意味の分からない言動も言葉とカウントしないのでOK。
だからこうなる。
こんな感じでそのゲームが終わるまで投げ続けた。
今まさにこの記事の本題に当たるのだが、上のgifアニメ以上にお伝えできることがない。
何が言いたくてあの動きをしているのか分からないし、分かったら「それって言葉じゃん」ということになるので、ただカメラが映したものをそのまま見ていただくしかない。
ただ続けるに従って「投げる前になんか動いて、投げた後にもなんか動く」という「空気」ができてきた。言葉を使わず、いや使わないからこそ共有した「空気」である。
そして出来上がった空気には、誰も異を唱えることができなかった。言葉が無いからである。言葉が無い環境での「空気」はとんでもない力を持っていた。
とにかく大人が普通やらないような動きがたくさん見られた。
全部だいたい嬉しい動きか悔しい動きのどちらかなのだけど、残っているピンの数を見ないとどちらか分からない。
どちらでもいいと思う。そういうことじゃないんだ。
こんなに長くやるつもりじゃなかったんだけど「一旦止めましょう」と『言葉』を発するのが怖くなりやり切ってしまった。
疲労。疲労と、この5人で何かをやり切ったという一体感がすごかった。誰も言葉を使わなかった。言葉を使わずボウリングを楽しんだのだ。
出た感想がこちらである。
言葉禁止ボウリングには、英語禁止ボウリングのようなゲーム性は無かった。あったのは言葉を奪われ、戸惑いながらも思い思いに躍動する大人たちだった。
つい考えすぎて身動きが取れなくなってしまう時にはいいのかもしれない。見る前に跳べ、という言葉があるが、見る見ない以前に、崖とか障害物とか一切無い真っ平らな地面で、跳べ、というのが言葉禁止ボウリングだったと思う。
跳びたいなら跳べ! ということだ。それが言葉禁止ボウリングだ!
このあと、何も禁止せず、普通にボウリングをした。
皆、言葉を禁止した時よりスコアが良かった。皆さん協力してくれて本当にありがとうございました。
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