あのリクルート事件の発端ともなった、かわさきテクノピア
川崎テックセンターと紹介した真ん中のビルは、もともと「リクルート川崎テクノピアビル」という名だった。当時はリクルートのロゴが上部についていた
意外なことに、川崎市立図書館で「かわさきテクノピア」をキーワード検索してみても一冊も本が出てこないくらい、ひっそりとした都市計画だったようだ。
大元の「2001かわさきプラン」を調べてみると、「かわさきテクノピア」という言葉をちらほら見つけることができる。だが、例えば1986年に発表された「2001かわさきプラン第2次中期計画-1986-1990-」にも一言出てくるだけで、詳しい説明はない。その後、街びらきの冊子なども作られることはなかった。
みなとみらい21や幕張新都心なんかには比べられなくても、もう少し市民に向けて情報発信はなかったのかな…と思っていたら、まったく別の方向で有名だった。
あのリクルート事件の発端となった場所だったのだ。
休日は人っこ一人いない川崎テックセンター
1988年6月、川崎駅西口の再開発地区における便宜供与(ビルの容積率緩和)を目的として、川崎市助役へリクルート・コスモスの未公開株が賄賂として譲渡されたことがスクープされた。
それが、このビルなのだ。
休日は動かないエレベーターの佇まいにぞわぞわする。上ろうとしたら三半規管がゆらっと誤作動した
このスクープを発端に、自民党の大物政治家たちへの賄賂も次々と発覚し、ついには内閣総辞職にまで至ったそうだ。
かわさきテクノピアは渦中の1988年7月に第1街区が完成。1995年に第2街区(ソリッドスクエア)が完成した。その後リクルートはビルを売却。賃貸オフィスとなる。
そんな経緯があるからなのか、かわさきテクノピアは大々的にアピールされることなく、今もひっそりと存在しているのかもしれない。
東芝川崎ビルには東芝の子会社が入っていたが、2024年に全館退去した。世代交代の時期なのかもしれない
テクノピアの裏側には、GoogleMapで「川崎市社会実験広場」と表示される空地があった
かわさきテクノピアは、こじんまりとしながらも歴史の濃い場所だった。平日はビジネスマンが闊歩しているだろうから、歩くなら休日がよいと思う。80年代~90年代の雰囲気が色濃く残っていて、駅前の賑わいとはまた違った川崎の一面を見ることができる。
1988年完成の川崎産業振興会館も派手な天井のデザインが魅力だ
公衆電話、今もありました
市民活動の盛んな街、川崎
リクルート事件だけを取り上げると川崎に悪いので、本文で触れなかった「2001かわさきプラン」の内容についてすこしだけ触れたい。
1982年に発表され1990年代まで続いたこの都市計画、バブルへ向けてイケイケな再開発をメインに据えたものかと思いきや…毛色が違う。
特に、1982年の最初に発表された計画はそれが明確だ。
「人間都市」を核にすえて、37項目ある具体的な計画の1と2は
1. ふれあいのまちづくりを 地域福祉
2. 障害者とともに生きる 障害者福祉
となっている。
再開発よりも、福祉が先に来るのだ。
そもそも「2001かわさきプラン」の副題は「市民の手によるふれあいと創造のまちづくり」。首都圏を代表する工業地帯として、公害やさまざまな社会問題と向き合ってきた川崎らしい計画なのだろう。
ソリッドスクエアのあの気持ちのよい空間も、それを知るとちょっと納得かも。
編集部からのみどころを読む
編集部からのみどころ
最序盤、左右シンメトリーのソリッドスクエアの写真にまずやられました。何だこのかっこよさは。山田窓さんの記事の魅力は、写真のかっこよさ、都市計画の中身まで調べ尽くす綿密なリサーチ、そして「ここがいいんだよ」を具体的に説明してくれる”わからせ力”にあると思います。窓の長方形のモチーフがキャラメルとかよく調べたな…。
あと80s-90sの建築が好きと、ベッタベタに好みがわかりやすいのもいいです。山田窓さんらしいな、と思いながらぜひ読んでください。
(石川)