まだまだある、ソリッドスクエアの推しポイント

ソリッドスクエア、心から気に入ってしまった。
細部にも推しポイントが沢山あるのだ。



内と外の連続性といえば、水平だけでなく垂直の連続性も感じられるようになっている。



この階段だって、ふつうの四角い階段にした方が安いんだろうけど、円形の池に対しては螺旋階段じゃなきゃダメなんだろう。





細部までこだわって作られているけど、市民が何も考えずにくつろげる気軽さもある。
同年代の自治体を代表する建築、東京都庁舎(1990年)や横浜ランドマークタワー(1993年)の居丈高な感じを考えると、これが川崎らしさなのかもしれない。
ああ、懐かしの響き「かわさきテクノピア」

なんだろう、かわさきテクノピアって。

さらに「かわさきテクノピア堀川町ハイツ」という名の集合住宅も。
テクノピア、懐かしい響きだ。
これは80~90年代前後の響きだ。
テクノロジー+ユートピア。
当時テレトピア構想(テレコミュニケーション+ユートピア)なんてのもあったけど、テレポートとかハイテクとかテクノとか、そういう言葉が新しい時代だったのだ。
調べてみると、1980年代に策定された都市計画「2001かわさきプラン」の中で、科学技術と理想郷を基本とする近未来都市の形成を目指した、川崎駅西口の再開発事業が「かわさきテクノピア」なのだそうだ。
(『かわさき市民の市政白書-川崎市基本計画[2001かわさきプラン]の10年は-』1993年より)

水運と鉄道輸送を両立できる場所として、1906年に川崎市最古の工場である横濱製糖(現明治製糖)の工場がこの地につくられた。また、1919年隣地に明治製菓の工場がつくられた。
長らく地域のランドマークだったが、80年代に工場移転となる。その跡地につくられたのが、今のかわさきテクノピアなのだそうだ。




川崎の街の成り立ちにかかわる、歴史ある場所だったのだ。
川崎といえば工場地帯だが、そのイメージを一新しようという言葉がテクノピアだったのだろう。
